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16話 傲慢の裏側

 ナディアキスタが大事な用があると言うから、何か緊急性があると思っていた。だから、頼まれることはきちんと全うしようと決意した。……のに。


 石鹸の香りと水の冷たい感触。

 そして、湧き上がる怒り。




「皿洗いかよ! 自分でやれやぁ!」


「うるさい騒ぐな! (まじな)いを書き間違うだろ!」




 私が皿を洗う傍らで、ナディアキスタは羽根ペンで、皿に何かを書き連ねていた。

 青いインクが、文字らしくも文字らしくない、術式のようなものを描き、その端から消えていく。


 ナディアキスタは、私が洗ってきちんと拭いた皿に、片っ端から(まじな)いを書いていく。


 皿一面に書き終えると裏面にも書き、一枚が終わるともう一枚に手をつけて、それが終わると、またもう一枚に手をつける。それを延々と繰り返していた。



「ったく、大事な用があるって言うから、大人しくついてきてやったのに」


「とても大事な用件だ。オルテッドには、あまり頼めないからな」


「皿洗いくらい、お前の魔法でこと足りるだろうが」


「いいや、『一番最初に』『人の手で』『丁寧に洗った皿』じゃないとダメだ。魔法なんかで洗ったら意味が無い。(まじな)いが使えなくなる」


「なるほど。で、オルテッドに頼めない理由は何だ」



 私がそう尋ねると、ナディアキスタは手をせかせかと動かしたまま、ムスッと頬を膨らませる。



「あいつは、俺様の言うことを聞かないからな。皿の洗い方も雑だし、森の仕事でしょっちゅう手を怪我してる。高貴な魔女である俺様の使う皿を、血だらけの手で洗われるなんて、たまったもんじゃない!」


「自分勝手な理由だな。私でもキツイぞ。お前、シンクの高さくらい変えろよ。低すぎる」


「フン! 俺様に合わせて小屋を建てたんだ! お前たちに合わなくて当然だ! 俺様だけが! 実力を! フルに使える小屋だからな!」




「つまり背が低いと······」


「もっかい言ってみろ! その舌を引っこ抜いて、二度と喋れなくしてやる!」


「はっ、魔女の癖に頭が回らないな。『声を奪ってやる』くらい言え。そんなんだから、オルテッドに子供扱いされるんだ」


「うーるーさーいー! うるさいっ、うるさい! あれはオルテッドが兄に対して敬意を払ってないだけで、俺様のせいじゃない!」


「あーはいはい。そういう事にしといてやるよ」


「ムカつく女だな! 偉大な魔女たるこの俺様に、いつまでもそんな態度を取れると思うなよ!」




「この俺様にかかれば、お前の耳を引きちぎり、目を抉り、喉を潰して鼻を削ぐ······体の中から無理やり植物を生やして、激痛に悶えさせることだって出来る。

 それら全てを治してもう一度を繰り返す、見る側にも苦痛を与えられるような拷問だって容易いんだからな。

 そんな目に遭いたくなければ、無駄口を叩くな。舐めた態度を取るな。

 魔女の森にいる以上、お前の生き死には、この俺様の手中にあるのだぞ!」




 ナディアキスタは私にそう威嚇しつつも、羽根ペンをせかせかと動かす。私は皿を洗いながら、はぁ、とため息をついた。





「お前みたいに、傲慢な態度を取れたら。自信過剰なことが言えたら。もっと楽だったのかな」





 ポロリと零れた本音に、今度はナディアキスタがため息をついた。



「まだ自分の星巡りに振り回されているのか。一昨日言ったことすらも忘れたのか? 俺様は優しいから、もう一度だけ言ってやるが、『対価を取れ』。それが【自死の剣】から身を守る策だ」


「あー、うん。覚えてる。······ちゃんと、覚えてる」



 でも、誰かの為にしたことを、自分の利益に数えていいものか、まだ悩んでしまうのだ。




 頼まれて、行動して、報酬をもらう。




 それが、自分の運命を変える方法だとしても、誰かを思いやっての行動が、自分勝手な理由で汚れてしまうのは、如何なものか。


 高潔なムールアルマの心すら、汚してしまうのではないだろうか。




「お前が悩んでいることは全て無駄だ。慈悲深いこの俺様だから教えてやるが、この世に無償の愛はないぞ。高潔な心が、汚れるなんてことは絶対にない」




 ナディアキスタは、私の考えを見透かしたように口を開いた。でも手は動いたまま。

 彼は私の方など一切見ずに、話を続ける。



「親子間でさえ、無償の愛なんて存在しない。意識してないだろうが、日常から対価が発生するんだぞ。


『お手伝いしたら』、『お小遣いをあげる』。

『一時間勉強したら』、『三十分遊んでもいい』。

『テストで高得点を取ったら』『褒めてもらえる』。


 何かの行動をすると、それと同等の対価がもらえる。『勉強しなくても褒める』なんてことはほとんどの家庭であるまい」


「確かにそうだろうが、でも騎士は他者を慈しみ、守り、己の信念を貫く気高く純潔の心を──」






「『他者を貶せば』『同じことを言われる』。

『相手を殴れば』『殴り返される』。

 暴力だろうと対価は生まれる。お前がやっているのは『殴られた』『けれど何もしない』──対価を自ら捨てる行為だ。

 お前は、自分が死ぬまで、殴られ続ける気か?」





 ナディアキスタの鋭い一言に、私は言葉を詰まらせた。

 殴られて黙っている気は無い。今日だって、新兵の両足を折ったばかりだ。でも、暴力と愛は、遠く離れた位置にある。捻れた線が交わることは無い。


 それを、同一視していいわけがないだろう。


 しかし、ナディアキスタはそれすらも、「不要な悩みだ」と言った。



「腹が減れば食べる。眠くなれば寝る。動物や植物を対価に腹を満たし、時間を対価に休養をとる。

 生きている以上、森羅万象の出来事に対価を払うというのに、何も受け取らずに生きることなんて出来るものか。対価を取ること自体は、悪いことでも間違ったことでもない。

 もし、間違っていると言うことがあれば、それはその対価が起きた事柄と、中身がそぐわないものだった時だ。それ以外は咎めることなんてない。

 遠慮せず奪い取れ。お前はまずそれに慣れろ。いちいち細かなことで悩まれては、俺様が直々に手を貸してやった意味が無くなるだろう! 忙しい俺様の努力を、露一滴足りとも無駄にするな!」



 ナディアキスタはぷんぷん怒りながら、皿全てに術式を書き終える。

 そして手を二回ほど叩くと、「おい“片付けろ”」と命令した。ナディアキスタの傍に積まれた皿は、一枚残らず食器棚に納められる。

 ナディアキスタは満足そうに腕を組むと、「さすが俺様」とドヤ顔を決めた。私が感心していると、「褒めてもいいぞ」と調子に乗った。


 私は絶対に褒めなかった。更に調子に乗るのが目に見えていたからだ。




 ナディアキスタは私を連れて一度小屋から出ると、小屋のドアを決まった手順で叩く。




「おい、“仕事をしろ”。俺様は忙しいんだ」




 そう命令して、またあの魔女の鍋のある部屋に、切り替える。


 ナディアキスタはテーブルの上に並べた魔法薬を、一つ一つ中身を確かめながら、鍋の中を覗いて掻き回す。


 ピンクのガラスの小瓶を手に取ると、それを私にポイと放り投げる。



「バッカお前っ! 魔法薬を投げるな! 爆発したらどうすんだよ!」


「俺様がそんな危ない物を作ると思うか!」


「土と反応して爆発しただろ!」


「昔の話だ馬鹿者! いつまで引っ張る気だ!」



 ナディアキスタは深く、深くため息をつくと、「報酬だ」と言った。



「月明かりにかざしてから飲め。寝る前が望ましいが、夜なら何時でもいい。部屋の明かりは一切つけるなよ。貴重な薬だ。無駄にしたら承知しないからな」


「はぁ? 皿洗いごときに、こんな大事なの渡すな。私は受け取らな──」





「対価を、受け取れ。そして慣れろとも言ったぞ。何度も言わせるな。言葉も話せぬ赤子じゃないだろう」





 ナディアキスタはそう言って、私に薬を押し付ける。私が渋々受け取ると、ナディアキスタは「もうお前に用はない」と言って、外に放り出した。



 結局、彼の気分に振り回された。ナディアキスタにとって、私は都合のいい駒のひとつなのだろう。私は彼の小屋に舌を出した。



 不満を顔に出していると、オルテッドがひょっこりと現れた。



「また兄さんが何かしたのか?」


「あいつのしょうもない用事に振り回された。皿に魔法をかける為だけに、洗わされたよ」


「ああ、あれか。俺もやったなぁ」


「オルテッドはあいつの弟だもんな。いつも振り回されて大変だ」


「そうでもないぞ。慣れると兄さんの行動は、分かりやすいからな」



 オルテッドはケラケラと笑うと、「シンク、低かったろう」と言った。私が大きく頷くと、「そうだろう」と笑う。



「俺も昔はよくやったんだ。皿洗いに箒を磨いて、テーブルを拭いて、バケツを洗ってってね。でも俺もいい加減歳だし、膝を悪くしてからは、そういうのも出来なくてな。

 森の子供や、若い奴に代わってもらってたんだ。そうか、今回はケイトか。ありがとうな」


「別に構わないさ。ナディアキスタの自分勝手さは、変に言い返すだけ無駄だ。何であんなに傲慢なんだ」


「ははっ。仲間思いなところもあるんだけどな」



 ナディアキスタを庇うオルテッドが、何だか珍しい感じがして、私は怒る気も無くなっていた。

 オルテッドは思い出したように、木の籠を私に差し出す。



「中に羊肉のミートパイが入ってる。今日の相談に乗ってくれた礼だ」


「礼だなんて。あれは領主としての仕事なんだ。お礼を言われることじゃない」




「じゃあ仕事の『報酬』だ。それなら受け取れるだろう?」




 オルテッドにそう言われると、何だか突き返すのも悪く思う。オルテッドは「兄さんにキツく言われた」といって、引き下がる気もないらしい。



「兄さんが、『ケイトが物を受け取れるようになるまで慣れさせろ』と、しつこく言っててな。耳にタコが出来るくらいだ。これ以上言われたら、心労で倒れてしまいそうだよ。そんな負荷がかかったら、この老体じゃ治るかどうかも分からない。ケイトはそんな事させないもんな?」



 ──あの兄にして、この弟あり。



 私に意地でも対価を渡す気だ。

 私が仕方なく受け取ると、オルテッドは明るい表情で「さすが侯爵様」と茶化した。

 結局、受け取るつもりのない対価を受け取って、私は森を出ていった。オルテッドは森の外まで私を見送ってくれた。森を抜けると、モーリスが外で待っていた。



「帰りも歩きでは足が疲れるでしょう。馬車を用意しました。さぁ、どうぞ」


「いつからいたんだ? 私は帰る時間を言ってないぞ?」


「出来る執事は、主人の行動を把握しているものです。さぁ、中でおくつろぎください。眠っていても構いませんよ。屋敷に着いたら起こしますので。

 御者も今度お雇いになりますか? 私の運転では不満があるかと」


「別にいらない。どうせ国の中しか馬車は使わん。オルテッドからミートパイをもらった。皆で分けよう」


「では、それを今日のメインに致しましょう」



 私が馬車に乗り込むと、モーリスはオルテッドと顔を合わせて微笑む。オルテッドも笑みを返した。



「ケイトをよろしく頼むぞ。モーリス」


「ええ、魔女様によろしくお伝えください」



 モーリスは爽やかに挨拶をすると、軽やかに馬車に飛び乗り馬を操る。

 オルテッドは馬車が遠くなると、頭をガシガシとかいた。



「······いい目をした、弟くんだなぁ」



 ***


 ケイト宛に送られた脅迫状と、誹謗中傷の手紙。独自の経路で手に入れたそれを、ナディアキスタは鼻で笑った。


 ナディアキスタの仕事部屋の鍋の中で、手紙はグズグズに煮溶けている。ナディアキスタは用意した小瓶の蓋を次々と開け、中身を鍋の中に薬をぶちまけた。

 全ての小瓶を空にすると、棚から薬材を引っ張り出して天秤で丁寧に量る。



「あいつは、優しさに振り回されているな。対価を取れと言ったのに、直接ぶつかってこないものは見ないフリか。愚か者め」



 ナディアキスタは薬を量ると、それらも鍋の中に放り込む。長い木の棒で鍋をかき混ぜると、鍋に浸かった先が焼け落ちていた。その出来に満足そうに笑うと、ガラスの棒を鍋の上にかざす。




「底なし沼から這い出でる手 悪夢より忍び寄る足音

 全ての災いは人より生まれ 人へと帰る

 受け取らなかった悪意の帰る場所よ 幾重にもなる負の鎖

 地獄の底より燃え上がる火よ! その過ちを許すことなかれ!」




 鍋の底から手紙の文字だけが、歪に浮き上がってくる。

 鍋の上を漂う煙と一緒に揺らいでは、ドアをすり抜けて空へと飛んでいった。ナディアキスタは鍋から文字が浮き上がらなくなるまで、じぃっと見つめ続けた。



(なんじ)、他者を悪戯(いたずら)に傷つける者よ。魔女の(まじな)いを受けよ。己の言葉に引き裂かれる痛みを知れ」



 ガラスの棒で、ナディアキスタは鍋の縁を二度叩く。

 鍋は激しく沸騰すると、雄叫びをあげて震え出した。



 ボンッ!



 大砲のような音を立てて、赤い煙が飛び出した。それは、鬼のような恐ろしい形を作って消えた。

 ナディアキスタは不満そうにそれを眺めると、「これで手紙は来るまい」と独り言を呟いた。



「全く、『助けてくれ』の一言すら出ないとは。赤子よりも手がかかるぞ。······ケイト」



 ナディアキスタは、一枚の手紙の封を撫でた。


 高級な手紙の封蝋には、オルスロット家の家紋があり、手紙の端には『貴方の弟の弟より』とだけ書かれている。



「······いい目を持った使用人がいて、良かったな」



 それが誰かまでは、口にしなかった。

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