番外編 ケイト、二十歳の誕生日
「侯爵様、おはようございます」
モーリスの声に目を覚まし、私は体を起こす。時計を見やれば、八時三十分を指していた。······いつもは八時きっかりなのに。
いつものモーニングティーがコーヒーで、好きなブレンドだから、ますます怪しい。
今日は着る服が用意されている。いつものシャツとズボンはどこかに隠されていて、私は久しぶりにドレスを着た。
髪結いが上手いアリサにヘアアレンジを施され、ダイニングに向かう。
用意された朝食はいつもより豪華で、食後のデザートに、好物の苺を使ったムースが出てきた。
ムースの上には『誕生日おめでとう』の文字が書かれたチョコプレートが乗っている。
「──モーリス」
私が彼を呼ぶと、モーリスはニコニコしながら厨房から出てくる。
姿勢を正して、「お呼びですか」なんて、白々しく尋ねてきた。私はもう笑うしかない。
「祝ってくれてありがとう。だが、別に祝わずとも」
「いいえ。誕生日は祝い事ですので」
「そうでも無いだろ」
「侯爵様。お言葉ですが、誕生日とはその人が生まれた、喜ばしい日なんですよ。それに侯爵様は成人を迎えたんです。二十歳の誕生日ですよ。とびきり盛大に祝わなくては」
モーリスは私よりも浮かれていて、昼食はどうしようとか、夕飯も豪華にとか、今日の予定を組み立てていく。
モーリスが浮かれたところで、私はいつも通り仕事だ。せっかく用意してもらったドレスも、もう脱がなくては。
「モーリス、いつもの服を用意してくれ。仕事の時間だ」
「あ、エリオット様より、休暇命令が届いております。本日はお休みです」
「あのバカに説教する日も近いな。誕生日休暇なんて、今どき誰も取らないだろうが」
悪態をついたものの、兵士たちには『誕生日休暇』を取るように指示していたし、何なら騎士団の規律にも、『福利厚生による休暇を取らない場合、罰則を与える』とまで書いてある。
今まで散々無視してきたから、エリオットも最終手段を取ったのだろう。団長命令は逆らえない。
「〜〜〜、わ、かった。もの凄く、ものすご〜〜〜く不満だが、休暇を受け入れよう。領地内の問題事は? そろそろ視察の日程を組まないと。屋敷の備品の注文もしないとな。そういえば、ヒイラギが別邸の修理をしたいと言っていたか。業者の手配と、見積もりも──」
私がデザートを食べながら、予定を組んでいると、モーリスが「いけません」とピシャリと言った。
「今日はお仕事は禁止です。領地内の問題事も、こちらで対処致します。備品の注文は、そもそも使用人の仕事です。そろそろアレスタに教えてもいい頃ですね。ヒーラギの方はあっちにお任せしましょう。予算の算出等々も、私が請け負います」
「駄目だ。モーリスは働き過ぎる」
「それ、ケイト様が仰いますか?」
モーリスの無言の圧力に耐えかねて、私は降参のポーズを取る。モーリスはまた、さっきまでの笑顔に戻り、ルンルンと仕事に戻った。
浮かれたモーリスは少しばかり気味が悪いが、たまにはゆっくりしよう、と私も諦めた。
「それはそうと、魔女様がお見えです」
「歩く厄災を追い返せ! 今すぐだ!」
「この俺様を厄災扱いとはいい度胸だ! どうやらお前をイボヒキガエルに変える日も近いようだな!」
ナディアキスタが腕を組んでドアの前に立っていた。頬を膨らませて、ぷりぷり怒っている。
モーリスは「手遅れかと」と耳打ちした。
私は仕事の日より疲れることを確信した。
モーリスは仕事に戻り、ナディアキスタは私の近くの席に座る。
いつもの藤色のローブのポケットを漁り、中からあれやこれやと出していく。
「魔女の森の一同から、綿織物と、花束。あと北の領地の新たな貿易品として、桃で作ったワイン。試飲ついでに持って来た」
「おい、私は」
「今日で二十歳だろうが。自分の年齢も忘れたか間抜け!」
「あ〜そういえば」
さっきも会話したはずなのに、もう忘れていた。
ナディアキスタはガラスの棒でテーブルを二度叩く。
「“喉が乾いた”」
私が一瞬、反応しかけた。厨房の方から、ワイングラスが二つ、ふわふわと浮いて来て、テーブルに置かれる。ナディアキスタはコルク栓を、私よりも細い腕で開けようとする。
「いつの間に人の屋敷に呪いを施したんだ」
「商人の国から戻ってきてすぐだ。呪いが使えない家は不便過ぎる。文明とは怖いものだな」
「魔女の呪いは文明じゃないだろうが。マヌケめ」
「魔女は全ての職業の元。科学も魔法も、全ては魔女から始まった」
「会話しろクソッタレ」
ナディアキスタは小指にルビーの指輪をはめて、コルク栓を引っ張る。さっきまで抜けなかった栓は、いとも簡単に抜けた。
グラスに注がれたワインは、薄桃色で、甘い香りを放つ。
ナディアキスタは私に無理やりグラスを持たせると、勝手に乾杯をする。
「俺様の弟は、二十歳まで生きるのが難しい。今生きている弟たちが、最長だ。だから、二十歳のお祝いをしてやった事が少なくてな。お前を実験台に、祝い方を練習しようと思う」
──相変わらず、素直じゃないな。
私が彼を睨むと、ナディアキスタは目を逸らし、意味ありげに口をパクパクさせて、咳払いをした。
「······誕生日おめでとう。ケイト」
私はグラスを少し高めに掲げる。ナディアキスタもそれに倣った。
ワインを一口飲んでみる。ふんわりとした甘みと桃の香りが口の中に広がり、その後を追いかけて、アルコールの苦味が喉を伝う。
初めての味に私は咳き込んだ。ナディアキスタが「お子ちゃまだな」と笑う。
「うるさいな。酒なんて今初めて飲んだんだ。くそ、コルムの店のドリンクで口直ししたい」
「あれは本来、人間が飲むものじゃないんだがな」
口の中に残る苦味に顔をしかめる私を、ナディアキスタは面白そうに見ていた。
***
ナディアキスタの急な来訪から一時間後。
モーリスが備品の発注をしていると、屋敷のドアを誰かがノックする。
モーリスはその『誰か』を知っているため、発注書を置いて、出迎えに行く。
ドアを開けると、案の定オルテッドが立っていて、タルトが入ったバスケットを持っていた。
今日はいつもより膝が痛むのか、重心が右に寄っている。
モーリスは「お待ちしておりました」と挨拶すると、荷物を持ち、オルテッドを支えながら、ダイニングへと案内する。
オルテッドは「悪いな」と申し訳なさそうに言った。
「兄さんは来てるんだろ? ケイトと一緒か?」
「はい。魔女様は一時間前に来られました。ワインをお持ちでしたので、試飲がてら、成人祝いをしてらっしゃるかと」
モーリスがそう言うと、オルテッドの表情が曇った。
モーリスはキョトンとして「いかがなさいました?」と尋ねる。オルテッドは少し、焦った様子だった。
「いや、大したことじゃないんだ。けど、兄さん······あぁ、どうしよう」
モーリスは何となく察した。
オルテッドは困ったように笑った。
「兄さん、絶対酒飲んだよなぁ」
***
天井に落ちたテーブルと、壁に飾られたティーカップ。
上下左右関係なく繋がった椅子と、食器が活けられた燭台と、花瓶を差した花束で、しっちゃかめっちゃかになったダイニングで、私は唖然とする。
ワインのボトルを片手に、上機嫌なナディアキスタは、ケラケラ笑いながらガラスの棒を振るう。
ナディアキスタが棒を振るう度に、ダイニングは面白おかしく様変わりしていく。
最初のうちこそ、私だけで何とかなっていたのだが、ナディアキスタがワインを飲む度に酷くなっていくので、もうどうしていいか分からない。
「誰か、助けてくれ······」
──こんな形で助けを求める日が来るとは思わなかった。
ダイニングに駆けつけたモーリスとオルテッドに、私は少し安心した。が、モーリスはあんぐりと口を開け、オルテッドは呆れたように首を振る。
「だーはっはっはっ! そぅら踊れ! 歌え! ほらケイト、お前ももっと飲め!」
「ナディアキスタ。さっきから言ってるが、それは鹿の剥製だ」
「そうか! 今は紅茶の気分か! 良いだろう。俺様は機嫌がいい! 紅茶くらい、存分に飲ませてやろう!」
ナディアキスタがガラスの棒で壁を叩くと、絵画が壁から外れて床と同化する。ナディアキスタはロウソクを片手に持ち、気分良さげに棒を振った。
厨房の方から紅茶の缶が飛んできて、ナディアキスタはそれにロウソクを差し出す。
「モーリス止めろ! 燃やされるぞ!」
「魔女様! さすがに一番高い紅茶は困りますっ!」
慌てたオルテッドがナディアキスタを取り押さえ、モーリスが紅茶缶をジャンプして奪還する。
私はナディアキスタからガラスの棒を没収した。
「んぇ? いきなり何だ」
「兄さん、そろそろ寝る時間だぞ」
「んぅ〜? オルテッド? デカくなったなぁ」
「そりゃ、兄さんに育てて貰ったからな」
オルテッドの頬を、ナディアキスタは優しく撫でる。そして、ヘラッと笑った。
「そうか。俺の弟は、大人になるまで育ったかぁ」
「そうだ。ほら、そろそろ寝るぞ」
オルテッドは私の方をチラと見る。私は指で合図し、モーリスに部屋の用意を命じた。モーリスはダイニングを抜けて、廊下を駆けていく。
オルテッドはナディアキスタを抱え、ダイニングを出た。私は不安で二人の後を追う。
「オルテッド、俺様は歩けるぞ」
「ダメだ。酒を飲んだ兄さんを野放しには出来ない」
「オルテッド〜、早く下ろせぇ。俺様を誰だと思ってるんだ〜」
「はいはい。偉大な魔女で、俺の兄さんだよ。はい、ねんねねんね」
「オルテッドッ! めっだぞ! 兄に向かってそんな態度を取って!」
「兄さん、俺もう六十過ぎてるぞ」
「育てた奴の顔が見てみたいわ!」
「兄さんだろ〜······」
べろんべろんに酔ったナディアキスタも面白いが、オルテッドが淡々と返していく様子も面白い。
オルテッドは恥ずかしそうに「すまないな」と謝った。
「兄さんは、いい兄だし、すごい魔女だがその······酒にものすごく弱くてな」
「別に構わない。ダイニングの件は後で直接怒るが、良いものが見れた。しばらくは、からかうネタに困らない」
「はは、お手柔らかにな。あ、兄さんから受け取ったか? 綿織物と花束。何を贈ればいいか分からないって、珍しく頼ってきたから無難な物になったが」
「え、あれは魔女の森の皆からじゃ?」
私がそう言うと、オルテッドは一瞬目を見開いて、いきなり笑いだした。
「あははは、兄さんそんなに気恥ずかしかったのか!」
「は? どういうこと······あぁ。くそ、そうかよ」
ナディアキスタが渡したのは、自分で選んだ物だったらしい。誤魔化す為にあんな事を言ったのか。
けれど、彼が弟の話で嘘はつかない。······本当に、大人になるまで育つのは珍しいのか。
人のことを『実験台』呼ばわりしたが、ナディアキスタは二十歳の祝いを大事にしているのだろう。彼にとって、本当に素晴らしい日だから。
私は、いつの間にか眠ったナディアキスタの頬を軽くつつく。眠る姿は、私の歳と大差ない。けれど、前よりも私の方が少し、年上に感じた。
「······ありがとう。ナディアキスタ」
私はナディアキスタに礼を言う。聞こえていないのは、分かっていた。
***
後日、オルテッドからダイニングの件の謝罪の手紙が届き、ナディアキスタから『記憶忘却薬』が届いた。
私はちょっとした意地悪のつもりで、オルテッドに返事を書き、薬は捨てた。
するとナディアキスタの訪問が無くなった。彼からの最高のプレゼントは、ダイニングを犠牲にした、安穏の日々である。