150話 地獄絵図に立ち向かう
私が国に戻ると、そこはナディアキスタに投げ飛ばされた時とは違う、大騒ぎになっていた。
骸骨が武器を持ち、カラカラと骨を鳴らして人々に襲いかかる。
通りも建物も血が飛び散り、それはさながら戦場のようで。
殺意ある言葉は悲鳴へと変わり、怒りに満ちていた表情は絶望の底へと落ちていた。
今はもう、誰も私を見ていない。骸骨共の殺意に人々は、ただ前を向き、目の前を過ぎる運命から必死に逃げていた。
リコリスは怒りと哀れみの目を向け、トラヴィチカは帽子を深く被る。
私は阿鼻叫喚の国を前に、黙って見ているしかなかった。
ふと横道から走ってきた骸骨が、私たちの方を向いた。窪んだ目で四人を品定めするように見ると、剣を振り上げて襲いかかってくる。
トラヴィチカは杖を振り上げた。
「木に穴を開けよう‼」
杖の先から飛んで行った鳥が、鋭い嘴で骸骨の頭蓋を突き砕く。
固い地面に落ちた骸骨は、黒い煙となって消えた。
「なぜ、スケルトンが······」
リコリスは驚いた様子で言う。リリスティアも動揺していた。トラヴィチカは「ナディーちゃんかぁな〜?」と真剣な顔でこぼした。
ナディアキスタの星が反転したなら、有り得る話だ。
だが、これをどうやって止めたらいいのだろう?
「──まずは、民の命を最優先に。リコリスとトラヴィチカは、スケルトンの殲滅を頼む。リリスティアは、避難指示を。私は、ナディアキスタを探しに行く」
私は三人に指示を出した。
リコリスは私に「やめた方がいい」と忠告した。
「ケイト、私は君の強さを認めている。けれど、君は今貧相な服で、武器もない。一人でこの惨状の中を突き進むのは危険だ」
リコリスの言うことは最もだ。
私はボロ切れのような服を着ている。
だが、それが何だと言うのだろう。
「平気だ。リコリスが心配するようなことはひとつもない」
そう言った直後で、私の背後からスケルトンが襲ってくる。
リコリスが弓を構え、トラヴィチカやリリスティアが杖を掲げる。
私は足を後ろに振り上げた。踵でスケルトンの顎を蹴りあげて、体を捻って胴体を蹴り砕く。
私に砕かれたスケルトンの後ろから、更にもう一体がこちらに向かって走ってきた。
私は髪を切るために借りたナイフを、スケルトンに向かって投げつける。ナイフはちょうど眉間の当たりに刺さり、スケルトンの頭を砕いた。
私はナイフを拾いに行く。
カラン、と音を立てたナイフを手のひらで回し、リコリスに笑顔を見せる。
「私は、リコリスが思うよりも強いからな」
リコリスは安心したような表情で頷くと、トラヴィチカを連れて国の中を走る。リリスティアも箒で急上昇し、空から様子を窺った。
私は軽い準備運動をして、鈍った身体を叩き起す。
ゆっくり息を吐き、通りの向こうを見据えた。まだまだスケルトンは溢れている。
懐かしい。オークの討伐を思い出す。
スケルトンは初めてだが、何体倒せるだろうか。考えただけでも笑みがこぼれる。
ナイフをクルンと回して、私は裸足で駆け出した。
***
「あぁ、こんちくしょう! どんだけ湧けば気が済むんだい!」
「虫みたいにちょこまかと。あと何体いるんだ?」
「あたしに聞くんじゃないよぉ。遠くまでわんさかいるくらいしか分かりゃしないんだから!」
「それは俺にも見えて······ん? けっ、ケイト様!?」
ふと入った路地で、私はモーリスとメイヴィスに出会う。
スケルトン越しに飛んできたモーリスの蹴りをしゃがんで避けて、私は「やぁ」と声を掛ける。
私が引き連れてきたスケルトン三体は、メイヴィスの飛び蹴りによって全て打ち砕かれた。
メイヴィスはその豊満な胸に私の顔を押し付けて、ぎゅうぎゅうと苦しいくらいに抱きしめる。肩越しに、すすり泣く声が聞こえた。
「ケイト様、ケイト様······」
「メイヴィス、泣くな。私は生きてるぞ」
「だから、だから泣いてるんだよぉ。ごめん、あたし、ごめん······」
「何もしてない。メイヴィス、何も謝ることは無い」
「何もしてないからさ。あたしは、何もしなかった」
メイヴィスは後悔を吐露する。
モーリスは、私と目すら合わせてくれない。私はモーリスを呼び寄せるが、モーリスはたじろぐばかりだ。
「わ、私······は」
「お前もか」
「私も、何も出来な、かった、ので」
「会いに来てくれた。差し入れしようとしてくれた」
「全部、門前払いでしたが」
2人とも、自責の念が強すぎる。
気に病んでいないと伝えたところで、この二人は後悔に押し潰されたまま、動けないのだろう。
私はメイヴィスの背中をあやす様に叩きながら、モーリスにも腕を広げる。
「モーリス・ホークスキッド、来い。家族に拒絶されて、私は悲しいぞ」
モーリスは目を見開き、泣きそうになりながら、おずおずと腕の中に収まる。私は肩を震わせる大きな子供を慰めた。
少しすれば二人は落ち着きを取り戻す。モーリスは少し赤い顔で「ご指示を」と私の言葉を待つ。メイヴィスも、同じような感じだ。
「ナディアキスタの元に行きたい。奴が何処にいるか探してくれ」
「ここから東の方へ歩いていたのは見たのですが······」
「東の方に、空き店舗があるんだ。仕立て屋とは別に、ブティックを始めようと思って、結構前に買ったのさ。そこに入っていったよ」
「そうか。二人ともありがとう」
「······兄さん、結構深手を負ってるみたいだったから、応急処置の方、頼むよ。あたしらは目立つから、あまり動けないんだ」
「もちろん。私の知らない所で死なれては困る」
私は大通りの方に耳を澄ませる。
まだ、騒ぎの収束は出来ていないようだ。
「そうだな。二人とも、エリオットと協力して、民衆の避難経路の確保を頼む。兵士たちに避難誘導を最優先に指示するよう、エリオットに進言してくれ。二人の目と速さがあれば、朝飯前だろう?」
私がニヤリと笑って聞けば、二人もニヤリと笑う。
獲物を見つけた鷹のような目で、「もちろん」なんて声を合わせる。
「期待してるぞ」
この言葉を合図に、二人は駆け出した。私はナイフを握り直し、東の空き店舗を探しに向かった。
***
ケイトがホークスキッド姉弟と再会する少し前。
ナディアキスタは小さな店のドアを開ける。
何も無い、すっからかんの店内に足を引きずって入る。
外からは、自分の星に襲われる人々の悲鳴が、うるさいくらいに聞こえてくる。
ナディアキスタは固くて冷たい床に膝をつき、力の入らない手で矢を引き抜く。だが、自力で抜く力も、魔女の魔法を使う力も残っていない。
肩を大きく動かして空気を貪り、なけなしの力を込めて、一本一本ゆっくり矢を引っこ抜いていく。
身体に空いた穴は直ぐに塞がっていく。その度に、守れなかった弟たちの、幸せそうな笑顔が浮かんで、悔しい気持ちになる。
お腹いっぱい食わせてやれなくてすまない。
沢山遊ばせてやれなくてすまない。
もっと子守唄を歌ってやりたかった。
静かな森で、穏やかに暮らしていたかった。
魔女である自分のせいで、弟たちは同じ人間に殺された。
自分の星のせいで、弟たちは安らかに眠れずに、自分の寿命を刻んでいる。
怪我を負う度に、死にかける度に、弟たちの寿命が自分を生かす。
これがどんなに惨めだろうか!
「······早く抜けろっ。············早くっ! 弟の寿、命を、無駄に、するっ、な!」
ナディアキスタは胸に刺さった矢を抜こうとする。けれど、深く刺さっていて、びくともしない。
もう矢を握るので精一杯だ。限界まで力を入れても、手が滑るだけでどうしようもない。
(──もういっそ、このまま寿命を使い切って死んでしまおうか?)
ナディアキスタの心の深い底から、そんな浅ましい考えが浮かんでくる。
どうせ生き長らえても、今生きている弟が死んでしまえば、その分の寿命が加算される。自分の弟に、寿命を使い切って死んだ者はいない。
このまま使い切って、自分が死ねば。
(弟たちが、苦しむことは)
──バンッ!
ナディアキスタの後ろでドアが勢いよく開いた。眩しい光がナディアキスタの背中を四角く照らし、不機嫌な女の声が上から降ってくる。
「よぉ、ヘナチョコ魔女」
ゆっくり振り返れば、ドアの前で仁王立ちする、ボロ切れを着た女が立っていた。
シャツにズボンなんて格好ではない。
手に持っているのだって、見慣れた剣ではなく、安物のナイフだ。
けれど新緑のロングヘアも、逆光でも分かるつり目も、女らしくない言葉遣いも、今は頼もしく思えた。




