149話 騎士が向かう場所
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
空に放り投げられ、重力に引っ張られる私を待ち受ける地面。
体勢を整えたのはいいが、このまま着地すれば、良くて両足が粉砕骨折。悪くて死亡。もっと悪くて下半身不随だろう。
(どうする? どうする!? 何か、何か考えなければ!)
グルグル考えを巡らせたところで、落下速度は変わらないし、答えを出すより死ぬ方が早い。
覚悟を決めて地面を睨むと、地面から羽毛が私に向かって飛んでくる。
「卵を温めよう!」
羽毛はベッドのような大きさにまでなり、私を地面に優しく下ろす。
ふわふわと風に揺れる羽毛から降りると、ケンタウロスと珍妙な格好の魔女が、私を待っていた。
「リコリス! と、トラヴィチカ?!」
「やぁっほやっほ〜。ケェトさん!」
「久しぶりだな」
リコリスは私の手を取り立たせてくれる。トラヴィチカは帽子を脱ぐと、だるだるになるまで伸びた先端を耳に当てる。
「う〜ん、ナディーちゃんがい〜い感じぃに、問題起こしてぇるねぇ」
「じゃあ今のうちに行こう」
「待て待て、どこにだ」
「決まってぇるで〜しょお? ボクちゃんたちぃ、ケェトさんを逃がぁす役でいるんだぁもんねっ」
「貿易の港に、東の大陸に行ける船が来ている。今から向かえば、夕刻までには乗船出来るだろう」
リコリスは私を背中に乗せると、東へと駆け出した。
トラヴィチカも箒に乗ってリコリスの後ろを追いかける。
私は遠ざかる国をじっと見つめた。
「なぁ、ナディアキスタはどうなる?」
トラヴィチカにそう尋ねた。トラヴィチカは箒をリコリスと並走させると、「知んなぁ〜い」なんて欠伸をする。
「ボクちゃんたちは〜、ナディーちゃんにぃ『ケェトさんを逃がしぃて』って言われぇただけだぁし」
「魔女なら上手くやるんじゃないか? 商人の国で私を助けてくれた時も、そうだったじゃないか」
二人はあまり心配では無いらしい。
ナディアキスタに相当信頼があるのだろう。だが、胸騒ぎがしてならない。
あのバカのやることだ。どうせロクなことが無い。
引き返すべきだろうか。
(──このまま逃げれば、私は自由だ)
誰も私を知らない土地で、肩書きも何もかも捨てて、私は新たな人生を歩める。
農業をするも良し、道場で剣術を教えるもよし。お金を貯めて、別の土地に旅をするのもいい。
好きなことが、好きなだけ出来る。
私がここを離れたら、その後誰が、国がどうなろうと無関係なのだ。
私はキュッと口を結ぶ。
目の前に広がる自由の素晴らしさ。リコリスにいつか見せたこのチカチカする世界を、今度は私が手に出来る。
手を伸ばせばすぐに届く距離にある。今このまま、船場に向かうだけで。
──ナディアキスタなら一人でも、何とか出来るのでは?
(我ながら、浅ましいな)
けれど、それくらい我慢してきた。
言われた言葉の数だけ、私は密かに泣いた。押し付けられたレッテルの分だけ、私は怒った。
もう、我慢は必要ない。
「リコリス」
「どうした? ケイト」
──我慢しなくていいのか?
「······ケイト?」
──我慢しなくていいのなら。
「ケイト、具合でも悪いのか?」
「酔っちゃったんじゃぁな〜い? 少ぉしスピード落としたぁげたぁら?」
──私の好きに動こう。
「今すぐ国に戻ってくれ!」
私の声に、リコリスは驚いて足を止めた。
トラヴィチカは「しょーき?」なんて眉をひそめる。
「ケェトさん、今かぁら自由になろぉとしてんだよ?」
「ケイト、君はいつか私に見せてくれた。自由に大地を駆ける、訪れなかっただろう世界を。今度は私の番だ。良心の呵責なら」
「いいや。私の意思だ。今すぐ国に戻ってくれ。あのバカ一人に任せられん」
「ナディーちゃんなぁら大丈夫だってぇ!」
「トラ、私はあのクソッタレにぶん投げられたんだぞ」
一発ぶん殴ってもいいだろう。私はそう言った。単純で、下手くそな言い訳だった。トラヴィチカは一瞬だけ疑うような目を私に向ける。けれど、すぐに笑った。
「んははっ! ケェトさんらぁしぃね。ボクちゃんはいーよ。お手伝いくぅらいはぁ、したぁげよっかにゃ〜」
「ケイトが決めたなら、私も手を貸そう」
二人の快諾に甘え、私はリコリスにUターンさせる。
リコリスの足音が、さっきよりも軽快に響く。私はリコリスにしっかり掴まった。
「······ケイトと友達になれて、誇りに思う」
リコリスは突然そう零す。私は「光栄だ」と言いつつ、驚いた。
そして、自分のことを思ってくれる人達がこんなにもいたのかと、嬉しくなった。それを言葉に出来なくて、私はリコリスにそっと抱きついた。リコリスは笑って手を添えてくれる。
豆粒ほどだった国が近づいてくる。その時、リリスティアが箒に乗って現れた。
トラヴィチカの隣を飛び、私を見ると「ナディアキスタの阿呆仲間め」と頬を膨れさせる。
「あの子も馬鹿だがな、お主も同じくらいの大馬鹿者じゃ。何のために儂らが手を貸したと思うておる」
「その辺の不満と文句と嫌味と説教は、ぜ〜〜んぶナディアキスタから聞くよ」
「そうじゃな。あやつが罵倒のためだけに溜め込んだ、数百年分の言葉を存分に浴びると良い」
同じ師匠の元で育ったせいか、リリスティアも十分に言葉が荒い。これが素なのだろうか。
トラヴィチカは首を傾げると「あれぇ?」と声に出す。リリスティアもトラヴィチカを見やった。
「リリスティーちゃんはぁ、船場で待機のはぁずだよね〜? なぁんでここにいるぅのかな?」
「なに、暇つぶしに占星術で遊んでいたのじゃが、星の動きがどうも怪しい。しばらく安定しているはずの星が、一斉に逆行し始めたんじゃ」
「逆行程度なぁら、気にしぃなくてぇ良くな〜い?」
「そうだな。ケンタウロスも、多少は占星術の心得がある。逆行なんて······」
「全ての星が、一斉にじゃぞ。逆行のタイミングも、その速度もまばらな星が全てじゃ。あ〜、ナディアキスタの言葉が一番的を得ているんじゃが、何と言ったか」
リリスティアはうんうんと唸り、トラヴィチカは「しらぁな〜い」と肩をすくめる。私も聞いたことがあるような、ないようなで記憶を探してみる。が、喉まで出かかっているのに思い出せない。
ナディアキスタっぽい、星の逆行······ありえない動き······全ての星が崩れる······星巡り。
「──《星崩れ》?」
リリスティアはパチンと指を鳴らし、トラヴィチカは「聞いたぁことあるぅかも」と納得する。
それが起きている? だとしても、それがどう影響するというのだろうか。
所詮は星だ。ただの目安だ。
それが崩れたところで、人に影響はないだろう。
だが、魔女にとってはそうでも無いらしい。
「星にも魔力はある。月が人体に影響を及ぼすが如く、星が持つ力は、生まれた時から繋がるものじゃ」
「それぇこそ、赤ちゃんのぉへっちょの緒みぃたいなぁ?」
「トラ、へっちょって何じゃ?」
「リリスティア、『へそ』のことだ」
「はぁ。義賊の森の言葉は時々分からんのぉ」
話が少し逸れてしまったが、要は『星の力が真逆に働く』のだと言う。
慎重な【牡牛座】は大胆に。リアリストな【山羊座】は夢想家に。
数年前に起きたばかりだというその《星崩れ》は、本来ならば152年後に来るはずだった。だが今、起きてしまった。
リリスティアは真剣な顔で私に言った。
「ナディアキスタの占星術はデタラメじゃ。だが良く中る。これが何を意味するか分かるか?」
「──ナディアキスタは、自分の星を【屍上の玉座】と言っていた」
その言葉の通りなら、椅子の下に屍が集うのだろう。
しかし、星の力が反転した今、その屍はどこに行く──?
「っ!! リコリス! 急いでくれ!」
私はリコリスを急かした。リコリスは一層加速する。
トラヴィチカは帽子で、騎士の国の様子を聞いてみる。すると、表情が消え、真剣な面持ちで杖を構えた。リリスティアも杖を手にする。
「ちょぉっと、やばいかぁもね〜」
トラヴィチカは私の方を見た。私はそれで確信した。
「ナディーちゃんの星が、暴れちゃってる」




