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145話 あの日を繰り返して

 魔女の森──ナディアキスタの小屋


 赤と黒を基調としたナディアキスタ専用の仕事部屋で、ナディアキスタは大釜をかき混ぜていた。

 ネズミの目玉を三つ、黒いヤモリのしっぽを一つ。

 ケンタウロスの尻尾の毛を三グラムと、錆びたバターナイフを一本。

 老人の前歯を五本入れて、時計回りに三回鍋をかき混ぜる。


「······くそっ」


 釜底から浮いてきた鍵を床に叩きつけ、ナディアキスタは大釜を蹴る。

 散乱した魔法道具を睨むと、ナディアキスタは「あの大馬鹿者め!」と居もしない誰かを怒鳴った。


 壁に張りつけた、今日の日刊新聞の大見出しには『裏切りの椿、遂に投獄!!』の文字と、澄まし顔の女が読者を睨む写真が掲載されていた。

 ナディアキスタは乱暴に、その新聞を爪で引き裂く。言葉にすらならない怒りが、ナディアキスタの周りを渦巻いていた。


 ***


 投獄から三日が経つ。

 長時間あると聞いた尋問も、娯楽のないと聞いていた監獄も、思っていたより快適だった。

 尋問なんて、聞かれたこと全てに「はい」で答えたら、すぐに終わった。むしろ、私がごねて時間を伸ばしたくらいだ。

 食事だって、戦場で食したものより、もっと酷いものが出てくるかと思ったが、魔物を食べさせてくれるなんて優しいにも程がある。



「ナディアキスタには怒られるなぁ。また魔物食べてたら、それこそ火山みたいにドッカーンて」



 鉄鼠(てっそ)の骨を噛み砕き、血で汚れた口元を、手の甲で拭う。

 久しぶりに食べたから、きっと不味いんだろうと思っていたが、慣れ親しんだ魔物の味は、一年我慢したくらいで忘れていなかった。

 投獄初日から、看守たちは私を化け物扱いしようとしていたようだが、私の悪食を知らなかった彼らは恐れて逃げてしまった。

 あれだけ手塩にかけて育てた兵士は、とんだ腰抜けに育ってしまった。


「不甲斐ないなぁ」


 エリオットにはキツく言っておかないと。

 私は引きちぎった鉄鼠(てっそ)の半身に手を伸ばす。私の手を掴み、それを止める人がいた。······一人しかいないが。



「また俺様に面倒をかける気か」



 ローブをふわりとなびかせて、鉄格子越しに私を小声で怒鳴る。

 鉄鼠の半身にぎょっとしながら、ナディアキスタは私の口元を濡れたハンカチで拭いた。


「あーもう、血でベトベトじゃないか」

「んぶ、拭かなくていい。今更身だしなみが必要か? つーかこれ、腐ったカブみたいな匂いすんぞ」

「あぁ、痕跡を消す薬に浸してある。これで周りを拭いていけば、俺様が来たことも、お前がここにいたことも全部無くなる」

「ンなもので顔拭くなよ! ······って、んん? お前まさか」


 私が聞くと、ナディアキスタは金の鍵で牢屋を開ける。

 ドアが開くとナディアキスタは私に手を伸ばした。


「ケイト、手を取れ。早く逃げるぞ」


 商人の国で、私が彼にしたことをなぞる様に、ナディアキスタは私に救いを差し出した。

 けれど私は、彼の手を掴まず、体力があるのに立ち上がりもせず、壁に背中を預けて、動かずにその姿を目に焼き付けている。

 痺れを切らしたナディアキスタが舌打ちをした。



「早く!」



 ナディアキスタは声を荒らげるが、私は首を横に振った。

 私は動かないのではなく、()()()()()()


「私がここを出たら、まずはモーリスが被害に遭うだろうな」

「何の話だ」

「幾百もの時を生きたジジイなら分かるだろ。罪人が逃げた時、いたはずの魔女がいなくなった時、最初に誰が死んだ?」


 ナディアキスタはハッとする。

 ようやく、私が黙っていた理由を知り、伸ばしていた手を握りしめた。




 私が牢屋から逃げたら、まず最初にモーリスが拷問を受ける。

 モーリスは絶対に口を割らないから、きっと殺されるか、自ら命を絶つだろう。その次に屋敷の使用人たち。彼らは一切何も知らないから、私がどうしたところで話せるわけがない。きっと彼らも死んでしまう。


 その次はメイヴィス。彼女は賢いからきっと察しているが、拷問を受ける前に自死を選ぶだろう。


 その後で領地の人間たちが目をつけられる。

 魔女の森はナディアキスタとオルテッドがいる。けれど、元々の私の領地は?



 私一人が逃げただけで、幾百もの人が犠牲になる。

 その中にはナディアキスタの弟も、魔女の森の出身者もいる。ナディアキスタを泣かせ、守るべき者を手放し悲鳴を聞くくらいなら、私が命を手放した方が、守れるものが遥かに多いのだ。


 ナディアキスタは「愚か者」と私を罵る。私は「それでいい」と返す。

 自分一人の命で全て終わるのなら、それが一番いい。


「──ナディアキスタ」


 私は彼に尋ねた。本当に、愚かしくて、情けない事を。



「私は『悪役』らしく、振る舞えたか?」



 ナディアキスタは鉄格子を殴ると、「全然だな!」と大声を出した。

 ようやく看守が異変に気づいたらしく、ガチャガチャと鳴る鎧のうるさい音が近づいてきた。

 ナディアキスタは私の頬をつねると、顔をずいと近づける。



「いいか、お前はまだ『良い子ちゃん』過ぎる。悪とは何か、悪役とは何かを、この俺様が! 直々に! 教えてやる!」



 私は、その後にくる言葉を知っていた。

 こんなにも淡く、儚い希望に胸を躍らせる日が来るとは思わなかった。

 こんなにも、泣きたくなることがあるなんて。




「勝手に逃げたら殺す!」

「······約束を破ったら殺す」




 ──こんな気持ちだったのか。


 ナディアキスタがローブを(ひるがえ)すと、無数の星が煌めいて彼は消えた。

 来ないであろう未来が、彼を前にすると現実味を帯びてくる。

 あるはずのない世界が、彼がふんぞり返った先に見える気がする。

 だからこそ、望んでしまう。



 剣を掲げ、野を駆ける。私が生きる、眩しい未来を。



 ようやく駆けつけた看守共が、「何があった!」と開いたドアと欠伸をする私を交互に見る。


「逃げようとしてたのか!?」

「馬鹿言え。飯がしょぼかったから、蹴り飛ばしたんだよ。次はマンティゴラ持ってこい。ネズミなんざ、食った気がしねぇ」


 看守に文句をつけて、私は半分残った鉄鼠を蹴って返す。

 看守は内蔵が飛び出しているそれを引きずって牢に鍵をかけ直した。

 静かになった牢屋で、私は鼻歌を歌う。


 傲慢で、自信家。自尊心の塊で、自分勝手な高飛車の魔女。

 彼の隣に立って、仲間を連れて、大きな口を開けて笑う、幸せな世界に思いを馳せて。

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