144話 悪巧み
騎士団の規律において、皇帝の処分待ちの一週間は、自宅待機となる。
その間は家の周りに監視役を配置し、対象が外に出たり、誰かと連絡を取り合ったりしないようにする。
──はずなのだが。
家の周りに兵士がいる様子も無ければ、手紙や食材の検査が入った様子もない。
普段と何ら変わりない一日に、私は拍子抜けした気分だ。
国の裏切り者に当てられる警備なのだ。さぞかし仰々しいのだろうと、思っていたのに。
「モーリス、コーヒーの準備を頼む」
「はい、侯爵様。……·その前に、エリオット様がお見えになります」
「追い返せ。つまらない説教を聞く気は無い」
「すみませんが侯爵様。もう書斎の前にいらっしゃいます」
「あいつこそ本物の化け物なんじゃないか?」
モーリスが書斎のドアを開けると、笑顔のエリオットが立っていた。
私が「帰れ」の仕草を見せても、エリオットは「元気かい?」なんて聞く耳を持たない。モーリスは黙ってコーヒーの準備をしに行った。
「帰れ。今はお前と話をしている余裕なんてない」
「いや、帰れないんだよねぇ。俺は君の監視役だから」
「はっ! この私の監視がお前一人か。騎士団はいつから人手不足になった?」
「俺じゃないと、君の監視は務まらないからね。何人配置したって、ケイティは逃げおおせてみせるでしょ。俺なら君を捕まえられるし、一人で足りる」
「あっそ、好きにしろ」
私がペンを取ると、エリオットがひょいと取り上げる。
何かと思えば、書類の上にチェスのボードを置いてにっこりと笑っていた。
「少し話をしようか」
エリオット流の、話し合いだ。
魔物討伐前や、盗賊団への襲撃前などの作戦を練る時に、エリオットは必ずチェス盤を引っ張り出して、チェスをしながら考える。
私と作戦会議をする時は、私がチェスの相手をしてやるが、騎士団全体での会議となると、一人チェスをして考えている。
拒んでもいいが、エリオットの目が笑っていない。
私の立場は被告人だ。騎士団副団長でもなんでもない。拒んで死期を早めるのは愚行だろう。
「いいだろう。早めに済ませようか」
エリオット先攻、私が後攻でチェスが始まった。
エリオットのポーンが前に進んだ瞬間、チェスはものすごい速さで進んでいく。久しぶりの高速チェスに、頭がついていかない。
「チェックメイト」
エリオットに負けて、私は頬杖をついてキングを指で弾き倒す。エリオットははは、と笑うと「弱くなった?」なんて挑発する。
私は駒を元の位置に戻し、再戦を申し込んだ。エリオットは笑顔で了承する。
二回目は私が勝った。
一回やってしまえばどうってことない。エリオットは、駒を戻しながら「何を企んでるの?」なんて、私の腹を探りに来る。
それは、私のセリフだった。
「お前に言われたくないな。何故わざわざ私の監視に来た」
「俺以外にケイティの監視を出来る人がいないから」
「嘘つけ。家の周りさえ押さえていれば、私はどこにも出られない」
「ケイティだからねぇ、自宅の抜け穴くらい知ってるだろうし。正面突破だったとしても、その辺の兵士に捕まえられないよ」
「腰抜けを育てた覚えはない」
「それを言うならケイティもそうだよ。君が大人しく死を待つとも思えない。領地も屋敷も、全部国に返還しないという君の意志は君らしい」
三回目の高速チェスが始まった。
エリオットは手を止めずに話を続ける。
「でも、君が大人しく死ぬとは思えないなぁ。何を考えているの?」
「はっ、勘ぐり過ぎだ。やんちゃな私も、流石に派手にやり過ぎた。反省して死刑を甘んじて受けようという気になっただけだ」
「嘘つき」
三回目のチェスはエリオットの勝ちだった。
私は駒を戻す。エリオットはクイーンを持ち上げ、私に突き出した。
「さっきの手、ちょっと気になったんだよね。なんでクイーンを下げたのか」
「その必要があったから」
「いや、ケイティの駒の進め方は、脅威となる駒を先手取りにいく。クイーンを下げるはずがないんだ」
「戦い方はその都度変わる。それだけの事で……」
「今まで一回も下げたこと無いのに?」
──今までのチェスの動きを全部覚えていたのか? 気持ち悪い。
エリオットは四戦目の準備をする。
モーリスはコーヒーを用意すると、「外にいます」と席を外してくれる。良い執事を持ったものだと、彼を見ると常々思う。
エリオットがチェス盤のポーンを進めた。
私も駒を進める。
「ナディアキスタと何を企んでる?」
「何で彼の名前が出てくるのかな?」
ナディアキスタの名前を出すと、ルークに伸びていたエリオットの指がぴくりと動く。何か企んでいるのは事実らしい。
私は畳み掛ける。
「先日、ナディアキスタがうちに来た。その時は、私の態度に怒鳴り散らして帰ったが、仕返しがないままだから気になっていてな」
「そういう気分だったんじゃないの?」
「まさか。二言目には皮肉が飛んでくるような、あのクソ魔女に限ってそれはない」
「それで俺に? ナディアキスタ殿とはあまり仲良くないんだけどなぁ」
「私に関することなら、オルテッドやメイヴィスより、お前に行くだろうからな。オルテッドは森から出ないし、メイヴィスは私相手には口が軽くなる」
「いやいや、ナディアキスタ殿は俺にも怒鳴るからな」
エリオットははぐらかす。
四戦目のチェスは私の勝ち。また駒を戻して、私たちは五戦目の準備をする。
「──怖い?」
チェスの駒を手にしたエリオットが、そう尋ねた。私は腕を組んで悩む。
「……怖くない、と言えば嘘になるが」
戦場では何度も死にかけた。そして、偶然にも生き延びて帰ってきた。
今更死にかけることに不安はない。が、本当に死ぬのだと思うと、背中が冷える。手に力が入らなくなって、胸が寂しさで埋まる。
死にたくない。けれど、私には死ぬしか選択肢がない。
そして認めたくないが、それを受け入れる準備が自分の中で整っている。その事に、悔しさにも似たものが、私の中で爪を立てていた。
「──ケイティ、もしも、生きる道があったとしてさ。それが目を前にあったら、君はそっちを選んでくれる?」
五戦目のチェスが始まる。
また、目にも留まらぬ速さでチェスが進む。
エリオットの強気な手も、私のトリッキーな手も、チェス盤の上で防がれ、突破し、封じられを繰り返す。
私は駒を掴み、エリオットの問いに答えた。
「もしも話をするな。そんな道があるのなら、とっくに選んでる」
エリオットにチェックメイトをかけた。
エリオットは悔しそうに笑うと、「そうだよね」なんて微笑んだ。
「……まぁ、あればの話だから」
エリオットはチェスを片付けると、ドアの前に立ち、ようやく監視らしいことをする。
私はペンを握る。目の前に転がるクイーンの駒に苛立って、エリオットに投げつけた。
エリオットは無言で私を見張る。私は不満を顔に出しながらも、残りの書類を片付けた。




