143話 馬鹿だろ!
屋敷に帰ってきたが、モーリスの出迎えがない。
またメイヴィスに呼び出されたかと思い、ダイニングに向かう。
今朝買ったオレンジでジュースを作ろうか、なんて呑気に考えていると、ダイニングには怒りで顔が真っ赤なナディアキスタが立っていた。
「おい、ケイト! 一体どういう事だ!」
ナディアキスタは私に詰め寄るが、私はナディアキスタを怒らせるようなことをした覚えはない。
「なんの事だ」と聞けば、「とぼけるな!」なんて、やっぱり分からないことが返ってくる。
「メイヴィスから聞いたぞ! お前の死後に、領地を譲渡するって言われたって、パニックになってたんだ! しかもモーリスに至ってはべそべそ泣いてるし! お前っ、何考えてるんだ!」
「モーリス泣いてたのか……」
そりゃ出迎えが無いわけだ。
ナディアキスタは「馬鹿だろう!」と怒鳴り、私に叫ぶ。
「運命を変えるって、言ってただろうが!」
「運命の方から来ちまったら、どうしようもないだろうよ」
魔女厳禁の火竜の国が、魔女を信じ始めた。
戦争寸前の獣の国が、内輪揉めに忙しくなった。
その他の国での騒動に、私の名前が出てくれば、さすがに国も見て見ぬふりは出来ない。
ナディアキスタはまだ納得がいかず、ギリギリと歯を食いしばって、拳を握る。
「まだ引き継ぎと譲渡書類の申請が済んでないんだ。お前と話している時間もない」
私はナディアキスタを押しのけて、厨房に向かった。
ナディアキスタはギュッと唇を結ぶ。
「──俺様と、一緒にいたからか?」
彼の問いかけに、私も動きが止まる。
「俺様が魔女だと、バレたからなのか?」
ナディアキスタはしゃぼん玉に触れるように優しく、そう尋ねる。
ナディアキスタのことが大臣たちに知られているのは確かだ。だが、まだ疑惑程度のこと。
私が騒動起こす時、いつも隣にいるくらいの認識で、ナディアキスタが魔女だとはまだ知られていない。
私はナディアキスタを鼻で笑う。
「はっ、私がお前を庇うとでも? 傲慢でプライド高過ぎる自己中魔女を? 私はそこまでお人好しじゃないんでな」
大臣の一人に聞かれた。
『奴は魔女なのか?』と。
だから私はこう答えた。
『いいや。彼は無関係だ』
──ナディアキスタは、知らなくていい。
私の素っ気ない態度に、ナディアキスタは「見損なったぞ!」と怒り散らして屋敷を出ていく。
私は「あっそ」と興味無い振りをして手を振った。
私はナディアキスタがや屋敷の門を出たのを確認し、「悪いな」と小さく謝った。
「ああでも言わないと、お前は私に手を差し伸べるだろう?」
私は騎士として、領主として、……仲間として。ナディアキスタを巻き添えにするわけにはいかない。
ナディアキスタがもし、魔女だと知られたら最後、森は焼き払われ、ナディアキスタは拷問を受け、彼の弟たちは国に殺される。
そうなれば、ナディアキスタは死ぬよりも辛い目に遭うだろう。
彼は十分苦しんだ。私一人の身で庇えるのなら、それでいい。
私はオレンジを絞り、ジュースを作る。ぽたぽたと落ちる雫が、涙のように見えた。
***
騎士団──団長の執務室
エリオットは机に両肘をついて、頭を抱えていた。
何とかケイトの処分を軽くしよう、行動の弁明をしようと試みたが、頭の固い年寄りが聞くはずもなく、皇帝に委ねられてしまった。
騎士団長の権限、騎士団の規則、法律等々、引き合いに出せるもの全て使ってみたが、全て無駄になると気も沈む。ため息だって出てしまう。
「……はぁ〜〜〜〜〜」
「随分と長いため息だな。努力虚しくといったところか? 鈍感女のためによく尽くす奴だな、お前は」
「うわっっっ!?」
いつの間にか目の前にいるナディアキスタに、エリオットは椅子を倒して背中を打つ。
痛いところを擦りながら起き上がると、ナディアキスタはふん、と鼻を鳴らした。
「この程度で尻もちをつくとは、騎士団長の名が泣きそうだな」
「すぐに臨戦態勢が取れるケイティと一緒にしないでくれよ。本当に油断したんだ」
「常に気を抜くな。お前らみたいな職業なら特にな。俺様だったから良かったものを、これが魔物だったらひとたまりもないぞ」
「肝に銘じとくね。で、何の用かなナディアキスタ殿。その様子じゃ、遊びに来たわけじゃなさそうだし?」
エリオットは椅子に座り直すと、ナディアキスタに話を振る。
ナディアキスタは外に誰もいないことを確認すると、ドアを閉めて開かないように結界を施す。
ガラスの棒で上を二回、ドアノブを三回、蝶番に一回ずつ、コンコンと叩き、「隠れんぼしよう」と呪文を唱える。
薄い幕のようなものがドアを包むと、ナディアキスタはガラスの棒をしまい、本題に入る。
「今回の件で、俺様は相当頭にきている。ケイトのことは常々馬鹿だと思ってきたが、俺様が今まで見てきた中でも一番の大馬鹿者だ! 偉大なる魔女であるこの俺様が直々に、あいつの頭をぶん殴ってやらねばならんと思う」
やっぱり尊大な態度のナディアキスタに、エリオットは「君はそうだよね」と、半ば諦めたように頷いた。
だが、ナディアキスタの勢いはすぐに弱まる。
「しかし、俺様一人でケイトを助けることは出来ん。だからお前に依頼したい」
ナディアキスタは懐から、金の封蝋の羊皮紙の手紙を出し、エリオットの前に置いた。
ナディアキスタは縋るように「頼む」と、エリオットにずいと突き出した。
「ケイトの友人として、依頼する。──俺様の手助けを欲しい」
ナディアキスタはケイトの強ばった表情で、全て察していた。
だからあえて、知らん振りをして彼女の前を去った。
エリオットは手紙を開くと、目を丸くする。そして「分かったよ」とナディアキスタを握手を交わす。
「最善を尽くす」
「恩に着る」
ナディアキスタはふんぞり返ることなく、エリオットに頭を下げる。エリオットはナディアキスタの肩を叩いて、激励した。
これが、二人の交わらない心が、共鳴した瞬間だった。




