138話 捻れた歴史
全ては、一人の青年から始まった。
火竜の国が出来たばかりの頃、一人の青年が助けを求めて魔女たちの前に現れた。
その青年は、心臓から植物が生える奇病に苦しみ、『助けて欲しい』と涙を零して懇願した。
十三人の魔女が順番に呪いを試していくが、誰も、青年を助けることが出来なかった。
──ただ一人を除いて。
十三番目の魔女は、『今の技術で』青年を治すことは出来ないと悟ると、青年を大樹に変え、治す方法が確立するその時まで、眠らせる手段を取った。
それが当時の最善にして、彼女に出来る精一杯だった。
······それが、仲間たちとの絆を割いてしまった。
魔女たちは『必ず出来る』と信じていた。けれど彼女以外、長い時間の先を見据えている者はいなかった。
彼を治すために、彼を大樹に変えたことを、魔女たちはひどく怒り、責め立てた。
『お前なんて、ねぎされてしまえばいい!』
そう告げた魔女もいた。
十三番目の魔女は、誰も助けられない彼に手を施したのに、それを散々責められて、腹が立った。
プライドばかり高く、出来もしないことを引き受けて、出来なければ誰かのせいにする、魔女たちに腹が立った。
『私はただ──』
気がつけば、彼女は仲間だった魔女を殺していた。
ローブや帽子の端切れには、残り火が揺らめいている。文字通りの消し炭になった彼女たちに、十三番目の魔女は冷たい目で見下ろした。
それでもまだ、彼女の怒りは消えなかった。
一人だけ、消し炭にならなかった魔女がいた。
十三番目の魔女と仲が良かった、十二番目の魔女だった。
彼女は、消えてしまった仲間に黙祷を捧げ、十三番目の魔女に『どうするつもり?』と尋ねた。
『あなたは、仲間を殺してしまった。国の人は、貴女を恐れるでしょう。生きていることすら、許さない者もいる』
『知らん。どうだっていい』
十三番目の魔女は、抑えきれない怒りにのみ込まれ、身体がドラゴンへと変化し始めていた。
十二番目の魔女はそんな彼女を哀れに思い、一つだけ、大きな呪いをかけた。
『みんな、貴女のことを忘れるでしょう。遥か先、あたし達が死んだ後、この国が朽ち果てるその時まで、この呪いは続くでしょう。これで、魔女であった貴女のことを知る人間は、あたし以外いなくなる』
十二番目の魔女は、彼女にこう言い残した。
『でも、忘れないで。いつか貴女の怒りを鎮める人が来る。最も勇敢で正直者。真実を掲げ、底抜けの愛を持つ者が、貴女に真の意味で、安寧を与えてくれるでしょう』
十三番目の魔女は、一人静かに火山へと消えた。
友人はそう言ったが、そんな完璧な人間なんて、この世のどこにもありはしない。
火山の洞窟の中で、彼女は心を冷たく閉ざしてしまった。
***
その話に、私は「あぁ」とこぼす。
彼女は、自分のしたことの正しさに、自信が無いのだと。
だからこそ、今の今まで苦しんできたのだと。
私は彼女の問いかける双眸に、胸が苦しくなる。
こんな事になるのなら、最初からしなければ良かったのか? 私が大人しくしていたら、何も起きなかったのでは? ──なんて。
(何度も考えたことだった)
眠れない夜を過ごし、悪夢にうなされ泣きながら目を覚ましたこともある。けれど、何度問いかけたところで、その答えは出てこなかった。
取り戻せない過去の仮定の話なんて、考えたところで無駄なのだ。
「······良くはなかったと思う」
私は正直にそう言った。
青年はすぐにでも助けて欲しかった。それが出来ないのなら、症状を弱めながら助ける方法を模索すれば良かったのではないか。なんせ十三人も魔女がいたのだ。知恵を出し合えば、何とでもなったかもしれない。
責め立てた彼女たちを殺したのも、少しばかり残酷だった。
そう告げると、ドラゴンは死を覚悟したような表情で、ゆっくりと目を閉じる。
「だけど」と、私は言葉を続けた。
「間違ってなかったんじゃないだろうか」
ドラゴンが、ハッとしたように目を開けた。
私は自分の考えを、彼女に告げる。
「方法が分からないまま、あれこれと手を施すよりも、方法が確立したあとの方がいいだろう。誰も助けられないまま、彼が亡くなったら、きっと仲間割れをしただろうし、『私だったら〜』なんて言い出すかもしれない。彼を『今すぐに』助けられないと判断したことも、彼を延命させる方法としても、貴女がしたことは最善だった」
私の言葉に同意するように、ナディアキスタも「そうだな」と答える。
「実際、呪いとしての方法は八百年前に出来たと聞く。歪んだものを元に戻すという『真実を映すもの』ですら獣人や魔物が生まれた後だ。火竜の国は、この七国の中で一番最初に出来た国だ。魔女の存在が、世に認められるか否かの時代に生まれた国で、技術が追いつくはずがない」
ドラゴンは、まだ悩んでいるようだった。
本当に、昔の自分を見ている気分だ。だからこそ、彼女にかけるべき言葉は知っている。
かつて私が、モーリスに言われた言葉が、ドラゴンに受け渡される。
「『魔女』としては、良くなかったんだろうが、『貴女』としては、間違ってない」
どうか、誇りを持ってくれ。そう祈りながら、私は彼女に額を寄せた。
ナディアキスタは以前、私にかけた言葉を贈る。
「どうせ後世に語り継がれるのは『善』の行いだけ。誇大妄想で描かれた英雄譚に、『悪』が美しく表されるはずもない。『悪』が偉大な何かを成し遂げようと、愚かで救いようのない人間共が、理解するはずがない。『悪』が『悪』である裏側を、知る者があるとするなら、それは本人たちだけだ。望み通りに振舞ってやれ。そして自分の心のままに生きればいい」
ナディアキスタは、ドラゴンの頬に軽いキスを落とす。
私も彼女に、騎士の祝福も含めて、キスを落とした。
すると、ドラゴンは鱗がボロボロと剥がれ落ち、鱗の剥がれたところから、強い光が放たれた。
私たちは目を覆い、光から顔を逸らす。
眩い光が消えた。目を開けると、そこには背の高い魔女が涙を流して立っていた。
「──怒りで己を見失い、怒りに数千年も囚われた。私は今も、魔女と名乗れるのだろうか」
その問いには、ナディアキスタが答えた。
「ねぎされた身で、師匠であった魔女を殺した俺が、今も魔女を名乗っている。魔女とは誰かを助ける万能な存在だ。誰かを助けている以上、魔女と名乗ることを後ろめたく思う必要は無い」
「私は、火竜として人を恐怖で支配していたのだぞ」
「いいや、誰一人として貴女を恐れてはいなかった。神の如く、敬われてきた。十二人の魔女を模した“使徒”と呼ばれるもの達もいる。十二番目の魔女が、歴史を変えたから。全ての人から貴女を忘れさせたから、形は違えど貴女も尊い存在となった」
魔女はフッと笑う。
帽子で顔を隠し、「あの馬鹿め」と言った。
「いつもいつも言っていたろうに。突拍子もなく、とんでもない呪いを使うのはやめろと。フフフ······でも、感謝せねばな。ミステルには」
魔女は私を呼ぶと、私の手を取り膝を曲げる。
「感謝しよう。遠い国の美しい人。お前は、私と似ていないと卑下していたが、他人を助けることと自分を助けること。私は、その二つに大差は無いと思うのだ。だからお前も自分を誇れ。古い古い記憶に縛られた私を、二人で助けてくれた。お前の言葉が私に届かなれけば、きっと仲間と同じように焼き払っていただろうからな」
魔女は杖で私の右肩を一回、左肩三回、胸を二回、トントンと叩く。そしてくるんと私を回すと、真っ赤な美しいドレスを着せてくれた。
ナディアキスタはそのドレスに目を丸くする。
「ドラゴンに変化した後も、私が作り続けた魔法道具──『決意の羽衣』だ。強い信念と覚悟に敬意を表し、これを贈ろう」
「あ、わぁ、えっと。ありがとうございます」
こんなにも綺麗なドレスを貰えるとは思っていなかったし、これが魔法道具だと思うと、動くのも怖くなる。
破いたりなんてしたらナディアキスタが発狂する。
ナディアキスタは私に、「早く着替えてこい」と口パクをして洞窟から追い出す。
私は魔女に深くお辞儀をして、洞窟を出た。
真っ暗な道なのに、真っ赤なドレスはとても目立つ。
雲のように軽く、綿のようにしっかりしたこのドレスは、そこそこ露出度が高い上に、ひらひらした布の部分が地面に着きそうで怖い。
宿に着き、私は鏡を見ながら、ドレスを丁寧に、傷つけないようにそぉっと脱ぐ。
それくらいしないと、不安だった。
「綺麗なのに、勿体ないな」
ようやく脱いで、いつもの服装に戻る。ドレスを丁寧に畳みながら、私はふぅとため息をついた。
「せっかく貰ったのに。着る機会が一生来ないんだから」
ドレスを撫でて、そう呟く。
かべ立てかけた剣は、曇りひとつないまま、私が握るのを待っているようだった。




