137話 声を頼りに
壁掛けの松明の揺らめく山道。
険しい岩の道を、一歩一歩丁寧に歩いていく。
オレンジ色に照らされる私の背中に、ナディアキスタがため息をかける。
「なぜ、わざわざ火竜の元へ」
ナディアキスタのそれは当然、聞かれるだろうと予想していた。
けれど、彼が納得するような答えを、私は持っていなかった。私自身、自分の直感に半信半疑なのだ。けれど、行かなければいけないのだと、どこかで理解していた。
私がナディアキスタに頼んだことは、自分の護衛だった。
騎士である私が剣を持たず、身軽な格好で山を登り、世にも恐ろしいドラゴンと対面するというのだから、ナディアキスタは口をあんぐりと開けていた。けれど、不思議と文句も嫌味も言わずについて来てくれる。昔より優しくなっているらしい。
火口に近づくに連れて、肌を焼く痛みが増していく。
肌がジリジリと痛もうとも、目がすぐ乾いてしまおうとも、私は足を止めなかった。
途中で道を逸れ、『関係者以外立入禁止』の道に入る。ナディアキスタもさすがに止めたが、私が金食器のバングルを見せると静かになった。
しばらく歩き、しめ縄のかかった洞窟へと足を踏み込む。
コツ、コツ、コツ。
足音だけが虚しく響く暗い道で、ナディアキスタは顔をしかめた。
おそらく、魔力の濃さが尋常ではないのだろう。
奥に進む度に、何かの鼻息が突風のように吹きつける。
道が開け、辺りが炎の光に満ちると、そこにはだだっ広い空間と、すやすやと眠るドラゴンがいた。
ただ眠っている姿すら首が痛くなるほど大きくて、顔だって腕を広げても目の大きさくらいしかない。
「これが、火竜か」
「かなり長寿のドラゴンだな。ケイト、本当に剣を持たなくて良かったのか」
ナディアキスタは私の腰をちらと見る。何も提げていない腰が、こんなにも不安になるとは思わなかった。
ドラゴンは、私たちの気配に気がつくと、ゆっくりその双眸を開く。
満月と同じ、山吹色の目が私たちを睨み下ろしていた。
『何をしに来た』
低く放たれた声が、私の背筋を凍らせ、足を震わせる。
すぐにでも逃げ出したい。けれど、私は彼女を、受け止める義務がある。
「私は、ケイト・オルスロット。貴女とお話したく参上しました」
ドラゴンはそれを聞くと、いきなり炎を吐き出した。
ナディアキスタは私の前に素早く立つと、ガラスの棒の先から氷の結晶のシールドを張る。
しかし、シールドは端から溶けて、すぐに使えなくなる。
ナディアキスタを抱え、私は横に転がり炎を避ける。
ドラゴンの爪が、私の体を弾き飛ばした。
掠っただけでこの威力。壁に激突し、亀裂を入れて私は地面にぽとりと落ちる。
人形よりも無力な自分に(もう、逃げた方がいいんじゃないか)と問うが、体はドラゴンの方を向き、震えながらも立ち上がる。
「私は、剣を持っていない。貴女を傷つけることもしない。どうか」
『うるさい!』
また、ドラゴンは炎を吐き出した。ナディアキスタは私を突き飛ばし、シールドを張る。
「ナディアキスタ!」
「逃げろ! お前みたいな凡人に残られた方が迷惑だ!」
「いや、私は逃げない」
ドラゴンは翼を広げるとそのまま体を回転させる。
私は地面に伏せて避けられたが、ナディアキスタは翼を全身で受け止めてしまう。せり出た岩に額を打ち、血が滝のように流れ出す。
「おい!」
「すぐに止まる。狼狽えるな、たわけ」
私はドラゴンに向き合う。
ドラゴンは何度も私とナディアキスタを叩きのめす。私はその度に立ち上がり、彼女に声をかけ続けた。
ドラゴンはついに『黙れ!』と叫んだ。
『貴様らに何が分かる! か弱い人間ごときに私をどうこう出来るものか!』
「ならどうして、私に呼びかけた!」
腹に込められるだけの力を入れて、私は叫び返す。
ドラゴンは一瞬だけ、傷ついた子供のような目をした。やはり、彼女だったのだ。
「聞いた。聞いたんだ何度も、貴女の声で! 助けて欲しいのに、誰にも助けを求められない! 苦しみ続けた声を!」
『······聞いたからなんだ。お前に私の痛みが理解出来るとでも?』
「完全には無理だ。けれど、似たような痛みがある」
『私は人間を助けただけだ』
その言葉は、一度しか聞いていない。けれど、その重みは、私がよく知るものだった。
「──良かれと思った結果が、必ずしも良いものとなるとは、限らないものな」
いいや。私は利己的な理由だった。
決して、誰かのために動いたわけでは無かった。
──奪われたものを、取り返したかっただけのこと。
それが、責められるほど悪いことだった。それだけのことだ。
「私は妹がいた。私は妹が大嫌いだった。彼女に奪われたものは、私物から未来まで、幅広く、数え切れずある。どうせ悪女なのだ。なら、取り返すついでに、罰してやろう。······今思えば、とても軽く考えていた」
ドラゴンは翼を畳む。
私に顔を近づけて、「それで?」と言わんばかりに目を細めた。私は、彼女に微笑んだ。
「私が悪女になった。家族を裏切り、殺した残虐な女。血も涙もない、邪な女に」
私のものを、返して欲しかった。
欲を言えば両親に、アニレアだけでなく、自分のことも──ほんの少しだけでいいから、見て欲しかった。家族の目はアニレアしか映さないから、いつも褒めてもらえる彼女が羨ましかった。
「ただ、愛されたかった。それだけだった」
彼女は他者のため。
私は己のため。
──何一つ同じでは無い。
けれど、そうして得た灰だらけの未来に涙した、あの気持ちは一緒だ。
「聞かせて欲しい。小さく、無力な私に。貴女が苦しむ、過去の棘を」
ドラゴンは大きく口を開けた。
私は避けようとは思わなかった。ナディアキスタが足掻く。私に手を伸ばした。
『──人を助けることが、そんなにも悪いことか?』
彼女はそう、私に問いかける。
私は彼女の言葉に、耳を傾けた。




