131話 『 』の魔女
女を抱えて連れていった先の小屋。
ナディアキスタの小屋と比べると整っていて、小屋というよりはログハウスのような見た目だった。ナディアキスタの小屋なんて、あばら家と言っても差し支えないくらいみずぼらしい。改めて思い出すと、よくあんな所に住めるなと、呆れてしまう。
女は私の腕からひょいと降りると、家のドアを開けて、「さぁこちらへ」なんて私を招き入れる。
私はお辞儀をして小屋に入る。
女は暖炉の前の椅子に、私を座らせた。火竜の国では、客人を通すのは客間のテーブルで、暖炉の前には通さない。
私は内心驚きながら、椅子に腰かけた。
「······驚くでしょうね。暖炉の前に通すのは、古いもてなし方だもの」
「あ、ええ。確かに、少しだけ驚きましたわ」
「さて、何をお飲みになる? ハーブティー? コーヒー? ミルクたっぷりの紅茶がいいかしら?」
「え、緑茶じゃないのですか?」
客人に出すのは緑茶。それすら決まっている国で、こんなにも自由なもてなしはいいのだろうか。使徒に知られたら、それこそルール違反で捕まるだろうに。
女は笑って「別にいいの」とコーヒーを淹れた。
「客人には、その人が好きなものを出すの。それが本来の、正しいもてなしの仕方。さぁどうぞ」
女はそう言って、小屋に見合わない金のゴブレットのアイスコーヒーを、私にそっと手渡した。
私がひと口飲むと、女は手をぽんと叩いた。
「そうだった。挨拶を全然してなかった。あたしはステリアというの」
「あ、私は──」
「ケイト・オルスロット。騎士の国──ムールアルマの侯爵家の一つで、騎士団の副団長。そうでしょう?」
他人の口から、自分の情報がポロポロとこぼれる。これが、こんなにも怖いなんて。
背筋が凍る感覚が気持ち悪い。私は即座に彼女から距離を取り、いつでも剣を抜けるように体勢を整える。
しかし、ステリアは「お座りになって」と私に椅子を向けた。
「勝手に答えたのは、あたしが悪いわ。違うの。あなたを調べたわけではないのよ。ええそうね、教えてあげましょう」
ステリアはそう言うと、私の前に金のゴブレットを持ってきた。
「さぁさぁ教えておくんなさい。『コウモリの牙』と『狐の毛』。『フクロウの爪』と『トカゲのしっぽ』をくるりと混ぜて、『星の砂』を一振りしたら、歌を歌って? マーメイドの声が枯れる前に『錆びた鈴』を二つ鳴らして『沈没船の船底』を少々。さぁさぁ教えておくんなさい。彼女の名前は何かしら?」
聞き慣れたリズムの呪文。
ゴブレットに次々と投げ込まれた魔法薬材の数々。
ステリアがくるんと回したゴブレットから浮かんだ、私の顔。
『ケイト・オルスロット。ムールアルマ屈指の騎士にして、オルスロット侯爵家当主。二十歳十ヶ月。身長171cm、体重──』
「だぁぁぁストップ! あっ、いや······ゴホン、あなたは、この国がどういう所か知ってらっしゃるの? 魔法を使うと知られたら、あなたはきっと、無事では済まないでしょう」
「知っていますよ。だから、街外れの小屋で暮らしているの。私はこの国で唯一、呪いを使える者だから」
ステリアは突然キョロキョロし出すと、「お医者様は?」と私に尋ねた。医者? 連れてきただろうか。そういえば、ナディアキスタに医者を名乗らせていたな。
彼のことを言っているのだろうか。だが、今ナディアキスタは動ける状態ではない。
「すみません。うちの国から連れてきた医者は、体調が──」
「あら、こんなところに」
「えっ」
ステリアはクスクスと笑いながら、鏡の中からナディアキスタを引きずり出した。私は思わず吹き出してまうが、熱にうなされる彼の顔に、すぐに血の気が引いた。
「なんで、だって今朝は」
「魔力の器が大きいのに、溜め込む速さが遅いのね。でもどうしてなの? 魔力の溢れを制御出来ない······」
観葉植物では足りなかったのか?
ナディアキスタは苦しそうにうずくまっている。私は彼の背中をさするが、それ以上のことは何も出来なかった。······何一つ。
ステリアは「水の器」と零した。
「流れる川の雄大さと、降り注ぐ雨の慈しみ
命育むウンディーネ 渇きを癒す水を恵んで」
彼女の手の中に水が溢れる。それは銀のカップに変わると、カップの中を溢れんばかりの水で満たす。
私はナディアキスタの体を起こし、ステリアが水を飲ませやすいように固定する。
「ナディアキスタ、口を開けられるか? ほら、水を──」
「そぉい!」
「ガボボボッ!?」
「ステリア、それはダメだと思いますよ!?」
ナディアキスタがほんの少し口を開けた瞬間、ステリアはナディアキスタの口に指を突っ込み、無理やり開けると水を流し込む。ナディアキスタが驚いて暴れると、私が反射で押さえ込む。
二人がかりで無理やり水を飲ませる構図が出来上がり、何となく悪事に加担した気分になる。
ナディアキスタは私の腕から逃れると、咳き込みながら私の頭を拳で殴った。
「ゲホッ、馬鹿者! ゴッホゴホゲホ······溺れさせる気か! くそっ、服はびちゃびちゃだし、ゲホッ、気管に入るし! エッホゲホオエ······あ〜! おまけに拳も痛い!」
「それはお前が私を殴ったからだろ」
「もう一発殴ってやろうか!」
「理不尽······」
だがナディアキスタはすっかり元気になったようだ。
今は怒っているから顔が赤いが、さっきまでの苦しそうな様子はない。勝手に小屋の中をくるくると歩き回り、テーブルに置かれた金のゴブレットやその他食器類に目を落とし、指で触れてみる。
「おいケイト、ここは魔女の家か?」
「よく分かったな」
「当たり前だ。ほとんどが雑な扱いをされてくすんでいく金食器が、ピカピカに磨かれている。純度が高いのに曲がったり溶けたりした形跡もない。食器に細かく術式が書かれている。こんな手の込んだことを好むのは魔女くらいなものだ」
「まぁ素敵! 本当にいたのね! あたし以外の魔女が外の国にも!」
ステリアは表情を明るくしてナディアキスタと握手を交わす。ナディアキスタは不思議そうな顔をしたが、魔女同士通じるものがあるのか、何も言わずに握り返す。
ステリアは手を離すと、火竜の国の礼儀通り、深くお辞儀をした。
「『星巡り』の魔女、ナディアキスタさん。あたしはステリアといいます。『廻り』の魔女にして、“名無し”の使徒なのよ」




