129話 譲れない
宿のベッドに放り投げ、私は花屋で買ったドラセナの木を枕元に置く。
青い布でナディアキスタの額を拭き、その布でドラセナの葉を一枚一枚、丁寧に拭いた。
「おい、大丈夫か?」
「お前に言われたくないわ」
せっかく心配しているのに、ナディアキスタはズバッと言った。
「ただ魔力の溢れただけだ。お前はこの俺様を抱えて、ついでに花屋に寄って、こうやって俺様を案じているがな。俺様を揺すらないように気をつけながら木なんか買えるか。置いてから買いに行け」
「二度手間だろうが」
「合理主義者め」
ナディアキスタは怒りながら寝返りを打つ。私はどうしてナディアキスタが怒っているのか分からなかった。
「何が不満なんだ」
「別に」
「一人で宿に、置き去りにしなかったことか?」
「言い方が酷すぎるな」
「お姫様抱っこしたことか?」
「······違う」
「それか」
ナディアキスタは起き上がると同時に、私に枕を投げつけた。私が無言で受け止めると、ナディアキスタは真っ赤な顔で「うるさい!」と怒鳴る。
「別にっ、恥ずかしいとかそんなんじゃないがな!」
「恥ずかしかったんだな」
「男が女に抱えられるのが、ちょっと悔しかったわけではないし!」
「悔しかったんだな」
「軽々と抱えられた挙句、ついでの用まで済まされたのが、辛かったわけでもない!」
「辛かったんだな」
「最後まで人の話を聞け! この、バカッ! バァァァカ!」
「具合悪いから悪口の質がガタ落ちだな。寝てろ、病弱魔女」
ナディアキスタを布団に戻し、私はうんと背伸びをする。
ナディアキスタが倒れたのなら、私はそれ以上に気をつけた方が良さそうだ。魔女の器で溢れてしまうのなら、相手は相当手強いのかもしれない。どうやって、見つけ出してやろう。
「っと、その前にだ。ナディアキスタ、何か食べたいものはあるか?」
「無い」
「そうか。じゃあ適当に買ってくる。宿の主人から、氷枕も貰ってこよう。すぐ戻るから、大人しく寝ていろよ」
「お前に言われなくとも」
ナディアキスタは素っ気ない態度で私を追い払う。
部屋を出てから、私はため息をついた。
「──あんなに、拒まなくてもなぁ」
ナディアキスタは『兄』だ。何人もの弟を育てた『兄』だ。
だからこそ、甘えるのは苦手なのだろう。私も同じで、人に頼る方法がよく分かっていない。けれど、ナディアキスタは頼ることを、他人が驚くほど頑なに拒む。
分かっている。そういう状況が無かったからだと。ナディアキスタの歩いた茨の道が、私の想像が及ばないほど過酷だったからこそ、他人を頼ることなく、自分一人で立ち続けてきたのだと。
(きっと、手の取り方を忘れたんだろうな)
差し伸べることが出来るのに、誰かの手を取る事が出来ない。
誰かを引っ張って行くことが出来るのに、自分を導く誰かはいない。
哀れな魔女は、孤独の王者となって屍の椅子に君臨し続ける。
それが彼の運命星なのだ。それは涙が枯れ果てるほど悲しい。
「つーか、ナディアキスタが倒れたら、どうやって魔力の根源を見つけるんだ?」
はたと我に返ると、突然どうしようもない事態に陥っている事に気がついた。魔力を辿れるのはナディアキスタだ。私ではない。
実は今、割とピンチなのでは?
「え、どうしよう。しまった。考えてなかった」
ナディアキスタと一緒にいると、何あれば大体彼が何とかしていたから、こういう事態を予測していなかった。
私は廊下で一人うーん、と悩む。
***
氷枕をもらい、リンゴと桃を買って部屋に戻る。
ナディアキスタはむく、と起き上がり、一人でささっと枕を取り替え、リンゴを剥く。
それくらい、私がやるのに。そう言っても、きっと彼は首を縦に振るまい。
私は黙ってナディアキスタの向かい側に座った。
「ナディアキスタ、明日は寝ていろ」
「は? 何故だ。これごときでこの俺様がへこたれるとでも? そう思っているのならお前はとんだ大馬鹿者だ。魔力が溢れているということは、逆に言えば魔力を消費し続ければいい。一度魔力の器を空にすれば、後からいくら注がれたところで、しばらく動ける」
「流暢に話すな。そんなにも私は頼りないか」
「呪いの使えない人間に、魔力の筋を辿らせられるか」
「おう、気遣いならそう言え。お前のそれは自慢にしか聞こえない」
ナディアキスタは剥いたリンゴをもりもりと食べる。
私は呼吸を整えて、話を切り出す。
「ナディアキスタ。私一人で、魔力の元を塞ぎに行ったらダメか」
ナディアキスタはもりもりとリンゴを食べながら、「当たり前だろう。何言ってんだこいつは」と私をじとっと睨んでいる。私はその目線に屈さずに、話をした。
「私に魔力の筋を見えるようにしてくれたら、私が単騎で乗り込んでいく。そうすれば、ナディアキスタが無理することは無い。そうだろう?」
「······お前は本当に阿呆の塊だな。魔女であるこの俺様が倒れたんだぞ。魔女が倒れて平々凡々な人間が平気なんてことは無い」
「でも私なら、お前より足が速い。反射神経もある。視力も良い」
「体力自慢なら大昔から耳が腐るほど聞いてきた。そういう奴らの尽くが呪いの前にひれ伏し、魔女の手で死に絶えた。やめておけ」
「『はい、そうですか』なんて言って、私が引き下がると思うか? お前が無理する必要も無いだろう。私が見れば良いだけのこと」
「聞き分けろ、ケイト。お前じゃ無理だ」
「信じてくれ、ナディアキスタ。私だって、お前の力になりたいんだよ」
止めたいナディアキスタと、それでも立ち向かう私の意見は、並行したまま交わることは無い。
お互い粘り強いせいか、あらゆる手を使って相手の説得を続ける。
結局勝敗が決まることなく、説得は真夜中まで続く。
ナディアキスタが折れそうな雰囲気を見せると、私はそこを突いてみる。
「ナディアキスタ、頼む。私にやらせてくれ。私は、お前に無理させたくないだけだ。弟たちにどう説明する? お前が無理して、昏睡したなんてなったら」
「いいや、ダメだ。お前はすぐに無茶をする。どうせ熱が出ても止めないだろう。条件を出したところで、それすら守らず行動するのは目に見えている。いい加減にしろ。ガキじゃあるまいし」
ナディアキスタの防御は硬い。亀の甲羅のような硬さに、私の方がそろそろ力尽きそうだ。でも折れる訳にもいかない。
「······頼むよ。ナディアキスタばかり、頑張ることはないだろう」
何かある度矢面に立ち、両腕を広げ、仲間に被害が及ばないように。策を練り、隙を突き、敵を睨む。
ナディアキスタは私以上に、騎士らしい振る舞いをしてきた。彼は魔女であることに誇りを持っている。けれど、魔女であるから先頭を突き進まなくてはいけない、使命感にも駆られている。
「常に先頭、常に仲間思い。そんなんじゃなくていいだろ。ナディアキスタの言いたいことも、止める理由も、ちゃんと分かってる。間違ったことなんて言ってない。けど、それでお前が折れてしまったら意味が無いだろう」
人の事なんて、言えた義理じゃない。けれど、私は彼と出会ってから、仲間を頼る事を覚えた。協力することの意味を知った。
それを、ナディアキスタにも伝えるのが、似た者である私の務めなのだ。
ナディアキスタはしばらく考えると、ものすごく不満げに「仕方ないな」と折れた。
私は思ってもいなかった結果に「えっ」と、変な声を出す。
「お前の言う通りかもな。仕方がない。熱が出ているのに出歩いて、また担がれてはたまったもんじゃない」
「あれ、担ぐっていうよりはお姫様──」
「担がれて宿に戻ってを繰り返すのはっ! 俺様の自尊心的にアレだ! 仕方ないから許可してやるっ! その代わり、帰ってきたら、必ず俺様に報告しろ!」
ナディアキスタのシンプルな交換条件に、私は「分かった」と返事をする。ナディアキスタは鼻を鳴らすと、布団に入って「寝る!」と宣言した。
私はナディアキスタに「おやすみ」と声をかけて電気を消した。
返事は返ってこない。けれど、ナディアキスタの寝息が穏やかに聞こえた。
 




