118話 魔女と弟たち
銃弾の嵐が、真っ赤な椿に変わる。私の上にハラハラと散る椿の花弁は、優しい香りを放っていた。
緊迫した空気を裂くように、優雅に響き渡るバイオリンの音色。それは誰もを魅了し、動きを止める。······敵も、味方も。
泣きじゃくる幼子を寝かしつけるような曲は、段々と速さを増し、激しくなっていく。私はその音に耳を傾けていた。
「? ······!! カロル、耳を塞げ! エルッ! 耳を塞げ!」
毛が逆立つ感覚と、胸をまさぐられる気持ちの悪さ。私は咄嗟に耳を塞ぎ、彼らにも注意を促す。エリオットとカロルは不思議そうに耳を塞いだ。
「あいっ変わらず、獣のような勘だな。正しい判断だ!」
偉そうな声が聞こえたかと思えば、バイオリンの音は突然不協和音に変わる。
ウィリアムやササラトたちはその音に耳を塞ぐが、少し遅かったらしい。激しい頭痛に苛まれ、彼らはしゃがみこむ。
脂汗を浮かべ、ウィリアムはうずくまった。地面に落としたドローンの操作スイッチを、ぐしゃ、とモーリスが踏み潰した。
「モーリス、ケイトの傍を離れるな」
「はい魔女様、そのように。──私の主人がお世話になりました。ウィリアム様」
モーリスのオッドアイの瞳が怪しげに光る。ウィリアムの見下ろし、モーリスは紳士的な態度を保ちながらも、怒りを醸し出していた。
「メイヴィス、エリオットのサポートに回れ。オルカもだ」
不協和音は私の傍にまでやってくる。私の頭に冷たい液体がかけられた。
「ったく、この俺様に貴重な薬材を使わせるとは。お前も偉くなったものだな」
上から目線な言葉と、傲慢な態度。
私は痛みに呻いたが、体の傷はみるみるうちに治る。折れた骨も、空いた穴も、すっかり治った私はフラフラしながら立ち上がる。
「うるさいな。お前がケチ臭いだけなんじゃないのか? ナディアキスタ」
ナディアキスタはふん、と鼻を鳴らすと、バイオリンをギリギリ言わせて弓を引く。
すると、ドローンがひとりでに壊れ、粉々になって地面に落ちた。
「不死鳥の涙はとても貴重なんだ。コルムの店でも年に数回しか仕入れられない。それを一瓶全部使わせたんだぞ。十金貨もするのに」
「そいつはご愁傷さま」
「誰のせいだと!」
「ウィリアムが来るのは想定外だったんだよ!」
「顔合わせたら喧嘩しないといけない呪いにでもかかってらっしゃるんですか? 今はそれどころじゃないでしょう?」
モーリスに止められて、私とナディアキスタは同時にそっぽを向く。
「助けに来てくれてありがとう!」
「俺様を呼んだことは褒めてやってもいい!」
モーリスに素直じゃない、と呆れられながら、ナディアキスタはササラトとウィリアムを交互に見る。
「はぁ、まぁ。そうだよな。関係者だもんな。どっちも、うん······うん」
「気持ちはわかるぞ。味方が敵だった時、苦しませるか苦しませないかで悩むよな」
「違う! 俺様はそんなことで悩んでるんじゃない! ウルルたちに説明するのに悩んでるんだ」
「そのまま伝えてやれ。この場合の嘘は毒になる」
だが、ややこしい。
両陣営のリーダー格が、カロルの人体実験に関わっていて、どちらもカロルの怒りを利用して相手を潰そうと考えていた。
どちらが先かはどうだっていい。けれど、命が軽視されていたのは事実だ。
私たち騎士団や、ナディアキスタたちが振り回された。
その落とし前は、つけてもらう必要がある。
「カロルの治療に回ってくれ。ウィリアム一人なら、私だけで十分だ」
「ドローンはどうする気だ? まだ残ってるかもしれん」
「また壊せばいい。別の兵器が出てきても、壊せばいい」
「ケイトらしい。が、お前の治療にまでは手が回らん。覚えておけ」
私はにぃ、と悪役らしい笑顔を浮かべた。
***
「さぁさ、エリオット様。助けに来たよォ」
メイヴィスは笑顔でエリオットと虎の獣人の間に立つ。
エリオットの方を向いて、「あたしに任しとくれ」と親指を立てる。
「メイヴィス、君は女性だろう。相手は男で、しかも虎の獣人だ! 勝てるわけがない!」
「あら、心配してくれてんのかい? 大丈夫だよォ」
メイヴィスは「やだねェ」と言ってエリオットの肩をはたく。
ササラトは虎に、攻撃命令を出す。
虎の獣人が足音を消して、メイヴィスに飛びかかった。エリオットが庇おうと動く前に、メイヴィスは鋭い蹴りを虎の獣人に突き刺した。
「まだあたしが話してたろォが」
メイヴィスに蹴り飛ばされた虎が地面を転がると、ササラトは驚いた顔をする。
「お前は······」
「あたしはメイヴィス・ホークスキッド。ケイト様御用達の仕立て屋さ。死にたくなけりゃあしっぽ巻いて逃げるんだねェ。あたしの蹴りは、ケイト様より強いよ」
虎は負けじとメイヴィスに飛びかかる。低い姿勢で爪を向ける虎を、メイヴィスはひらりと宙を舞って避け、重力を利用して奴の頭蓋骨を砕こうとした。メイヴィスの足は虎が転がり避けたところの地面を穿つ。
「すばしっこい奴だねェ。デカブツごときがっ!!」
メイヴィスは舌打ちをし、獣人を追いかける。
ササラトはメイヴィスがエリオットから離れた隙を突いて、エリオットの喉に牙を立てる。
「やめロ!!」
オルカがササラトの首に噛みついた。
オルカは複雑そうな顔で、ササラトを地面に組み敷いた。
「······あんたのことハ、信頼していたのニ」
「裏切られた気分か? 一番信じていた奴が、こんな奴だと知って」
「いいヤ。一番は兄さんダ」
オルカはしれっとササラトの心を刺すと、思いっきり顔を殴って気絶させる。殴った手を振りながらエリオットの近くに戻ると、オルカはエリオットに鼻をつまんだ。
「うぐっ」
「手当てしてヤル。そこに座レ」
「え、いや、これくらいなんてこと」
「ダメダ。銃で撃たれた傷を放っておくト、枯れ枝のようにナル。季節の変わり目デ、ジクジク痛んでモいいナラ放っておくゾ」
「······よろしくお願いします」
オルカがエリオットの面倒を見ている間、メイヴィスは虎の獣人を追い詰めていく。
メイヴィスの鋭い蹴りは、木の幹を砕き、地面を穿ち、辺りを破壊していく。虎の獣人も、メイヴィスの攻撃を恐れ、防御出来ずにいた。だがついに、メイヴィスの蹴りが放たれ、足が地面に降りた瞬間を狙い、虎の爪がメイヴィスの心臓を突き刺そうとした。
メイヴィスは驚いて回避が遅れる。その間にも爪は、豊満な胸に伸びていく。
「あら、嫌だねェ」
メイヴィスは困ったように笑った。
「──過保護な弟が怒っちまうわァ」
メイヴィスは横に転がって避けた。その直後に虎の獣人の背中を、モーリスが飛び蹴りで折る。バキッ! と嫌な音がして、モーリスが怒りの形相で倒れてきた頭を、空中回し蹴りで薙ぎ払った。
「姉さんに指一本でも触れてみろ。てめぇをネズミの餌にしてやる」
気を失った虎の獣人の頭をゴスゴスと蹴り、モーリスは唾を吐き捨てる。先程までの紳士的な態度が嘘のようだ。
メイヴィスは「もうやめな」とモーリスを止めた。
「ていうか、モーリス。アンタさ、ケイト様のサポートじゃなかったのかい? あたしのとこに来てんじゃないよォ」
「魔女様がいて、侯爵様が完全回復して、俺が必要になるか? あれ見てから言ってくれよ」
モーリスが指を差す方を見ると、泡を吹いて倒れるウィリアムと、辺りにごちゃごちゃと落ちる、切り捨てられた最新武器があった。
彼の前に立つのは、月夜に浮かぶ、新緑の騎士と黒い魔女。
メイヴィスはウィリアムを憐れみつつも、プッと堪えきれずに笑ってしまう。
「──頼りになるねェ。うちの神さんたちってのは」
風が吹いた。私の髪と、ナディアキスタのローブがなびく。