116話 汚れた思惑
真剣な眼差しで兵士の太刀筋を読み、怪我をさせないように胴を叩く。
鎧越しとはいえ、団長であるエリオットの斬撃はとても重く、鈍い痛みが全身を走る。
エリオットは汗一つかかずに、涼しい顔で兵士の群れを捌いていく。
情けない顔を晒して倒れていく兵士を、エリオットは冷たく見下ろした。
「──次から命令に背くことがあったり、従う相手を間違えたら、容赦なく退団処分にするよ。今回は例外だから、これで我慢してあげる」
エリオットは兵士たちに言い聞かせ、剣を地面に立てる。本当に、次はないことを示し、「行け」と兵士たちを逃がした。蜘蛛の子を散らすように逃げる兵士を見送り、エリオットは私の方を見た。
「──ケイティは、『次はない』というか、『今から覚えろ』って感じだねぇ」
そう言って、笑った。
──男にも劣らず、獣人にも負けぬ、私の咆哮。
剣の振り方が決まっている騎士とはかけ離れた戦術で、私は獣人を退ける。
顎を蹴り、足に鞘を突き刺し、使える全てをもって、彼らを威嚇する。
後ろから掴まれても、足を振り上げ、宙返りで逃れる。そのまま別の獣人の肩に乗り、仰け反って地面に手をつくと、足の甲で顔を掴んで投げ飛ばす。
服の袖が破れようと、太ももに大きな傷がつこうと、私には関係ない。
「おぉおおぉおぉおおおぉぉお!」
剣の柄で、最後の獣人の胸を殴る。
痛みに後退する彼らを、私は「去れ!」と怒鳴りつけた。
獣人が退いていくと、私はようやく、落ち着いて呼吸が出来るようになった。
エリオットは「お疲れ様」と言って、私の肩を叩く。まだ警戒心が解けていなかった私は、思いっきりエリオットを背負い投げした。
「あっ、ごめん」
「······結構痛い」
エリオットは首を押さえながら立ち上がる。
カロルを見ると、エリオットは彼女の前にしゃがんだ。
「······怪我はないかい?」
「ないわ。ありがとう」
「怖い思いをさせてすまなかった」
エリオットは彼女の手の甲に額を寄せる。カロルは顔を赤くして「そんな」と首を振る。
「早いところ、ナディアキスタの所に連れていこう。月が明るいから、目立ってしまう」
「そうだね。立てそうかい?」
「──それは困る」
森の方から声がした。
私が声の方を向いた瞬間、目の前には虎の自然型獣人の牙が迫っていた。
私は咄嗟に腕でガードするが、牙が腕に突き刺さり、骨を噛み砕いた。
「ぐぅっ!!」
「ケイティ!」
エリオットが助けに入ろうとしたが、空から降り注ぐ銃弾に、身動きが取れなくなる。
「エル!」
無事の確認をしたくても、虎の獣人を引き離せない。腕からボタボタと血が垂れる。相手のみぞおちを蹴り、鼻を叩き、何とか口が開いたところで無理やり腕を引き離す。
私も直ぐに腕に力を込めてみるが、肘から下が動かなくなっていた。
「くっそ、左腕がやられた」
「ケイトさん、エリオットさんが!」
カロルの声に私はエリオットの方を見る。
エリオットの太ももから血が流れていた。銃弾が貫通したらしい。地面には潰れた弾丸が落ちている。
私は破けたシャツを引き裂いて、その場に倒れるエリオットの足を手当てする。
「脇や首にはかすってないだろうな」
「さすがに守るよ。いっ······!」
「どこから銃を撃ってんだ? ライフル······にしては、射撃距離が遠すぎる」
私は空を見上げる。
月明かりに照らされた黒い物体。ハッとした瞬間に、銃声が響く。
──パァンッ!!
「······当たらぬか」
真っ二つに割れた弾丸と、私の冷や汗。
震える右手に握った剣が、カチャカチャと音を立てる。
エリオットが後ろを向くと、そこに居たのは獣人族の長だった。
オルカと同じ、狼の自然型獣人。長い毛並みとローブが良く似合う、厳格そうな獣人は、私を襲った虎の獣人を従えて、私とエリオットを睨み下ろしていた。
「ほう、これはまた、見事な腕を持っているな。これほどの武人は中々いない」
「──獣人の、ササラト・アル・アーレス殿」
「惜しいな。殺してしまうのは。だが、殺さねば、我らの秘密が守れん」
私は空に浮かぶ物体をじっと睨んでいた。
銃火器を搭載した、空を飛ぶ何か。機械と言っていいものか悩ましい。
「ケイティ、多分あれはドローンだ。獣の国で開発してるって聞いたことがある」
「どうせ女だろ。でも、私も耳にはしたな。形状は違うが」
「え〜、写真付き? いいなぁ今度見せてよ」
「お主らの辞書に緊張感という言葉はあるのか?」
ササラトは、咳払いをすると、虎の獣人に手で合図を出す。
「殺せ。被検体零式諸共な」
「おい、今カロルを被検体と呼んだか?」
私は思わず反応した。
ササラトは「だからなんだ」と開き直る。私は腹が立った。
「彼女にはカロルという名前がある。名前で呼べ。失礼だろう」
「被検体は被検体だ。零式という名前があるなら、我々はそちらで呼ぶ。他国の輩に口出しされる覚えはない」
「ああ、なるほど。お前が『人工獣人族』の実験に関わってたんだな」
私がそう言うと、ササラトは「協力者だ」と笑った。
「だがまぁ、普通に失敗だったな。そもそも科学と異なる力で生まれたものが、本当に作れるとは思ってはおらなんだ。だがそこの女、その姿のまま研究所から逃げおった。失敗作の逃亡にはすこぶる腹が立ったが、お陰でいい状況が生まれた」
ササラトは笑う。クク、と外道の笑みを浮かべて、私に言った。
「獣人族は、国内の権力が弱い。どう足掻いても、人間共より上回れない。だから、戦争を起こし、我々が勝利を手にすれば無能な人間共を椅子に、政治を自由に行えるだろう?」
「権力が欲しいために、カロルが起こした事件を『人間がやった』と言い張ったのか? カロルを利用したのか?」
ササラトはゲラゲラ笑う。それが答えだと言わんばかりに。
エリオットは鎧の隙間から小刀を出すとドローンに向けて投げた。ドローンはサッとかわすと、銃を撃つ。エリオットはそれを狙って、自分の剣で弾を打ち返した。
見事ドローンに命中し、ドローンはその場に落ちる。エリオットは壊れたことを確認すると、剣を鞘に収めた。
「しれっと超人じみたことをするな」
「ケイティには言われたくないなぁ」
エリオットは「どうする?」とササラトに尋ねた。
「ケイティは片腕を負傷中。でも俺より早く動ける。俺は足を負傷中。でも、ケイティよりも打撃は強い。好きな方を選んでよ」
「ふん、どちらを選んだところで変わらん」
エリオットは「そうかい」と言うと、ゆっくり立ち上がる。包帯代わりに巻いたシャツに血が滲んだ。
「じゃ、俺が相手しようかな。ケイティ、彼女を連れて全力で逃げて。絶対、俺の方を振り向かないで」
エリオットの言葉に私は目を見開いた。
いくらエリオットでも、足を負傷した状態で獣人を相手になんて出来ない。騎士は足腰が資本だ。剣を振るうにも、足腰が強くなくては軸がぶれて太刀筋が悪くなる。
エリオットは私と比べると、騎士の剣術を重んじた戦術強い。だから、騎士としては優秀だ。けれど逆に言えば、それ以外の戦術は弱い。
「エル、私が戦う。腕一本程度、何のハンデにもならない。お前がカロルを連れて逃げろ。その方が、距離も時間も稼げて」
「あーもう、ケイティは本当に鈍いなぁ」
エリオットは困ったように笑う。
私の額にキスを落とし、耳に髪をかけた。
「······カッコつけさせてよ」
──ずっとからかっているのかと思っていた。
本当に、私に好意があると思っていなかった。きっと私はフィオナがいてもいなくても、彼の気持ちに気づけなかっただろう。今もそうだった。
(本当に、私のことが好きだったのか。今まで、ずっと)
「分かった」
私は大人しくエリオットに従う。
エリオットはササラトの方を向くと、剣に手をかけた。虎の獣人が前に出る。
どちらがいつ飛び出してもおかしくない。エリオットも虎も、相手の隙を窺っていた。
私はカロルの傍に控え、エリオットが作る隙を待つ。
······心臓の音が、これほどうるさくなったことはない。