115話 逃げろ!
「持っていくものは食糧と水! それだけにしろ!」
「女と子供は先に逃がせ! メイヴィス! 俺は後から行くから、ルートと拠点の確保を!」
「あいよ!」
ナディアキスタとモーリスは、慌てふためく獣人達に指示を出していく。
オルカはウルルを抱きしめると、「行くゾ」とメイヴィスにウルルを預け、避難ルートの警備に向かう。
「ナディアキスタ、カロルはどこだ」
「この森にいるだろう。獣人側に置いてやりたかったが、彼らは今、種族外に対する敵意と攻撃性は強い。置いてやれなかった」
「そうか。それだけ分かればいい。モーリス!」
私は焦るモーリスを呼び止め、両頬を包んで顔を固定する。
「お前は私の目だな。敵勢状況報告」
彼の目をじっと見て、落ち着かせる。モーリスは息をつくと、「報告します」と、襲撃の状況を話す。
「敵勢、騎士団の先陣部隊。三方向に展開し、この森の北、東、西の三ヶ所より侵入する恐れがあります。さらに軍の後方、まだ獣の国にいますが、本軍が銃を所持し、待機しているようでございます」
私は相手の情報を手に入れると、自分の頬を叩いて早急に策を練る。
どうしよう。どうするべきだ。被害を最小に抑え、攻撃を阻止する手立てを──
(あっ、そうだった)
「獣人をこの森から出すな。森の中心に逃がせ。南から迂回する形で、東へ進むんだ」
私の指示に、モーリスは驚く。ナディアキスタも一瞬目を見開くが、「ああ」と何かに気づく。
「ケイト様! ここに留まれば、被害は大きくなってしまいます!」
「モーリス、ちゃんとこの森を見たか? “森だが森に在らず”」
「? “それは隠れ蓑。それは狩りをする獣。その森に足を踏み入れる者よ、見えぬ影に気をつけよ”──いきなりなんですか。この詩は義賊の森の······あっ」
モーリスはここでようやく合点がいく。
私が獣人たちを逃がした森は、『生ける黄泉路』とも名高い義賊の森だ。その広さはどこの国よりも大きく、複雑で険しい道は、年間三百人が死体で見つかるほど。
「右に行ったかと思えば左に進む。木に登れば穴に落ちる。複雑怪奇なこの森は、ここに住む者しか把握出来ない、難攻不落の要塞となる。騎士団に義賊の森の出身者はいない。いっそ中に招いた方が、危険は及ばない」
モーリスはテントの外に出ると、「森の中心に向かえ!」と指示を出す。
ナディアキスタは「愚か者」と私の案を嘲笑する。
「この森に住まう者にしか道が分からんのなら、俺様たちまで出られなくなる。どうやって森の外に出る気だ」
「モーリスとメイヴィスだ。モーリスはまだ屋敷に来てからの頃、ヒイラギが休暇の時に森に遊びに呼んだり、この森でしか採れない毒草を持ってきてくれたからな。メイヴィスも時々一緒に行くらしい。あの二人は賢いから、覚えているはずだ」
「ほぉ。あの医者のおかげか」
とは言ったものの、やはり進軍してくる兵士を何とかしなくてはいけない。
私は腕を固定していた棒を外し、テントを出る。
「おい、どうする気だ!」
「ナディアキスタは避難に徹してくれ。団のことは私が片をつける」
「馬鹿言え、一人でやる気か!」
「任せろ。何とかなるから」
ナディアキスタは何かに言いたげにするが、「しくじったら殺す」と言って、避難のサポートに回る。
私は彼の背中を見送って、テントの影にいる奴に声をかけた。
「まぁ、三方向に別れた兵士を一人で片付けるのは物理的に不可能だ」
影にいる奴は何も話さない。
「だが、一人が無理なら二人でやればいい。そう思うだろう?」
影にいる奴は何も話さない。
「せっかくの機会だ。薄汚れた騎士の志を、叩き直してやろうじゃないか」
影にいる奴は何も話さない。
「命令も聞けない部下のケツを拭いに行きますわよ。カーネリアム団長?」
テント影で、吹き笑いする声が聞こえた。
エリオットは口元を覆い、笑いを堪えながら「はいはい」と私の隣を歩く。
「お嬢様言葉で『ケツ』は卑怯でしょ。はーぁ、笑った」
「いいだろ? 左翼部隊を任せる。私は右翼から攻めよう」
「あーちょっと! ずるいよ、何で強い方譲ってくれないの!」
エリオットと茶化しあって、私は左に走る。
エリオットは一度だけ振り返った。私は、前だけを向いていた。
***
「総員、退避! 退避ぃぃぃ!」
兵士の声は情けなく、腰が引いている。
「何があった!? 前方! 報告しろ!」
「獣人陣営より影あり! 敵の応戦があった模様ですが······」
「ですが何だ! はっきり言え!」
「それが、うわぁぁあぁぁあぁああ!!」
剣が鞘から抜けないように、がっちりと結ぶ。
兵士が私を見た瞬間、恐怖に顔を歪ませて、哀れな声を上げて倒れゆく。
私が一歩踏み出せば、涙目の兵士が五人吹き飛ぶ。
私が狙いを定めると、男のはずの兵士が女より高い悲鳴をあげる。
「副団長が、ケイト副団長が応戦してます!」
「総員退避ぃいぃいいぃぃぃいぃ!!」
「戦うな! 逃げろ! あれは厄災だ!」
人を厄災扱いとは笑わせる。
「お前らが宣戦布告をちゃあんと守ってたら、こうなってねぇんだよぉ!」
だがさっき皇帝の偽造書の件があったというのに、指揮権がエリオットに戻っていない。
それに、先陣が少なすぎる。三方向に別れているからだろうか。だとしてもおかしい。私は散々兵士を峰打ちにした後で、言うことを聞きそうな兵士を一人捕まえる。
「進軍指示を出したのは誰だ」
「ひ、ひぃっ!!」
「おい、進軍指示を出したのは?」
「た、たす、助けっ······!!」
兵士が気絶してしまった。これでは話を聞き出せない。
他の兵士も、彼が捕まっている間に逃げてしまった。
私は気絶した兵士から手を離し、魔物が嫌いな花の傍に放り投げる。
「兵士の進軍指示は、エリオットじゃない。偽造書といい、少数先陣といい、指揮があまりにお粗末だ。指揮系統が混乱している? 一体誰が騎士団の指揮権を握ってるんだ?」
──どちらにせよ、騎士団にエリオットを戻せばいい。
だが、エリオットが戦っている間は国に戻ることは出来ない。かと言って、副団長の私では少し立場が弱い。
悩むのは後だ。まずはエリオットの援護と、カロルの保護。その後に──
(血の匂い──?)
エリオットが真剣で相手にするはずがない。騎士団の奴らに、エリオットを怪我させられるはずもない。
だが血の匂いがする。これは、誰の血だ?
「············しまった!」
私は急いで真ん中の先陣部隊を探す。
そう遠くないところで、兵士と応戦する、血だらけのカロルの姿を見た。カロルの後ろには獣人達の姿もある。
「やめろ、やめろ!」
剣を振り上げる兵士の隙間に入り、鞘で剣を受け流す。
クロヒョウの獣人に回し蹴り入れて、カロルを庇う。
「カロル、すまない!」
「ごめんなさい。獣人に見つかったの」
「謝るな。警護を怠った私の責任だ」
だが深手を負ったカロルと、彼女を囲む兵士と獣人。
一人で相手しきれるか? いや、兵士だけならなんとでもなる。たが、獣人も一緒には無理だ。
「攻撃しないでくれ! 彼女は人間だ!」
「人間ジャナイ! 魔物ダ!」
「違う、違法な人体実験で」
「聡明な獣の国が、そんなことするはずがありません! そうでしょう副団長!」
「人間なんだ!」
どうにか説得できないだろうか、二つの種族に説明出来ないだろうか。
「どうか、武器を下ろしてくれ。彼女は、元の姿に戻りたいだけ、頼む」
「人間ノ言ウコトガ信ジラレルカ!」
「そう言って、人間側を襲う武器を、失いたくないんじゃないですか!?」
自分の評価の悪さが裏目に出た。
誰にも信じて貰えない。それでも、カロルを引き渡す理由にはしない。
「彼女が人間に戻れば、戦争なんかしなくていい! 彼女がこの争いの鍵なんだ! お前らが彼女を殺すと言うのなら、魔物だと嘲るのなら、私が相手になろう! どうせ『裏切りの椿』だ! 今更なんと言われようと······」
──傷つく意味もない。
「やめてくれないかな」
冷静で、柔らかい。けれど、這い寄るような重たい感情が首元を撫でる。
エリオットはため息をついた。
「今日初めて、自分の仲間を切ったんだけど。峰打ちだけどね? けどさぁ、あんまりにも弱いし、上司が誰か、全然分かってない」
エリオットは兵士を睨んだ。滅多に見ることの無いエリオットの冷たい目に、兵士は表情が強ばる。
「ケイティの言う通り、騎士の心が薄汚い。叩き直すの、いいかもなぁ。それが団長の務めだもんね」
エリオットは肩をぐりぐりと回すと、カロルを守るように兵士たちの方を向いた。私は、獣人側を向く。
「後ろはよろしくね。ムールアルマの守護女神」
「口より手を動かせ。ムールアルマの聖剣」
お互い、戦う相手に向けて鞘を固定した剣を向ける。
エリオットは腰の位置で低く構え、私は肩の高さで突きの構えをとる。
私は優しく微笑んだ。エリオットもきっと爽やかに笑っているだろう。
「──私と踊りましょう?」
「──手合わせしようか」
緊張感とは、似合わない言葉を残して私たちは一歩、強く踏み込んだ。