114話 無事か?
兵士たちを追い払った後で、私とエリオットは獣人たちが逃げた場所に向かう。
私がナディアキスタに指示した場所は、山から南東にある森だ。彼がその指示を間違わずに受け取れていたら、そこにいるはず。
私は休むこともせず、とにかく彼らの元へ走った。耳元で唸る風がうるさくても、地面を蹴る足に力が入らなくなっていても。肺が熱くて、喉の奥から血のような味がしても。
私は何よりも先に、彼らの無事を確認したかった。
後ろでエリオットが、息を切らしながら私の背中を見つめる。
何を思っていようが興味もないし、関係ない。けれど、エリオットは何か言いたげな雰囲気で、後ろをついてきていた。
森に差し掛かり、私は飛び込むように森の中を突っ走る。
岩を飛び越え、木にぶら下がり、激しい川に流されるように、私は森の中を駆ける。
獣人特有の獣の臭さが鼻先をかする。
(近い! 良かった、ちゃんとここに来れた!)
私は安心して、つい油断してしまった。
「うわっ!!?」
左の死角から、オルカが飛び出した。怒りで周りが見えなくなっているのだろうか。私だと気づいていない。
私は咄嗟に防御の体勢を取るが、オルカの牙が腕にくい込み、骨を折る。その勢いに押され、木の幹に背中を打ちつけ、枝が脇腹を貫く。
「ケイティ!」
「来るな! 今オルカは興奮状態だ!」
助けようとしたエリオットに待ったをかけ、私はオルカを落ち着かせようと声をかけてみる。だが、オルカは唸り声を上げて、私を威嚇する。
腕からも脇腹からも、だらだらと血が流れる。走り続けた足は力が抜けて踏ん張りが効かず、抵抗しようにも出来なかった。
エリオットはやはり助けるべきか、どうするべきかで迷っている。
私はオルカをどうやって落ち着かせようか、必死で考えた。けれど、どの策も体が自由に動く前提で、今の自分ではどうしようもない。
「······オルカ、私だ。ケイトだ」
声をかけても、やはり落ち着く素振りはない。そもそも、聞こえてすらいないようだ。
(そうだよなぁ。ウルルを傷つけた人間なんて、嫌いだよなぁ)
私はオルカがいつもやったように、彼の鼻をつまんだ。
「······ご息女を傷つけさせたのは、指揮を怠った、私の責任だ。申し訳ない」
目が霞む。思っていたよりも血が流れているらしい。
上げた腕を保つことも出来なくて、私はぼた、と腕を下ろす。
ようやくオルカは私から口を離すと、エリオットの方を見て、申し訳なさそうに耳を垂れた。
「······来てくレ。兄さん」
オルカは鎖骨にあるカランコエの紋章を握る。
その直後、ナディアキスタが花びらに包まれてこの場に現れる。そして、彼は私の姿を見て、心底驚いていた。
「ケイトが襲われたのか!?」
「いヤ、オレがやっタ。······人間なんて同じダロ」
「馬鹿め。このお人好し好戦狂が意味もなく、お前たちを襲うことも、自分の仲間を脅すこともせん。ここで治療は出来ない。運ぶぞ」
ナディアキスタは、私の体の隙間に手を滑り込ませ、肩を担ぐ。
「ケイト、無事か。返事はできるか? ああクソ。筋肉ダルマめ」
「全部聞こえてる。このまま絞め落としてやろうか」
「噛みつく元気はあるな。今の体調は?」
「目が霞む。足にも手にも、力が入らない。腕折れた。痛いし、腫れてる気がするし······何か、熱ある?」
「まさか炎症起こしてるんじゃないだろうな。早くしないと化膿する! オルカ! ケイトを支えろ!」
オルカは私を優しく抱えた。
「ごメン」と謝る彼を、私は笑って許す。
「兄さんが薬ヲ作ってくれル」
「······大人しく待っていよう」
私とオルカが先に陣営に向かった後、ナディアキスタはエリオットに声をかけた。
「おい、エリオット」
「何だい?」
「来い。きちんと、最後まで見ろ」
***
折れた腕は固定して、まず止血をする。腕の止血は出来たものの、ナディアキスタは脇腹の止血に手こずっていた。
血だらけの手で袖を捲り、ため息をつく。
「動脈が切れてる。これは止血出来ない」
「じゃあ焼こう。誰か火を持ってきてくれ」
「魔女の魔法薬を使うんだ! この脳筋が!」
ナディアキスタは怒りながら、ローブのポケットから商人の国の帰りに作った魔法薬を出す。
薬にガーゼを浸し、脇腹の傷に貼る。
「冷た」
「我慢しろ。これ一枚で全部の傷が治るんだ。冷たいくらい、どうってことないだろう」
ナディアキスタは私の治療を済ませると、オルカの方を向く。
「ウルル。その辺にしておけ。オルカがしょぼくれて消えそうだ」
「だーめ! とーちゃ、ケートさんけがさせた!」
「わざとじゃないんだ。そろそろやめてやれ。見てるこっちが可哀想に思えてきた」
ウルルはまだ不満そうだった。頭に巻いた包帯が痛々しい。
ナディアキスタは「かすり傷だ」と、言った。
「ウルルはオルカのお陰で剣がかすった程度だ。獣人の回復力は人間と比べると早い方だ。まだ動くなよ。お前の方が重傷だからな」
「ウルル、おいで」
「聞けや病人」
ウルルは私の元に来ると、「だいじょーぶ?」と尋ねる。
私はウルルの手をとって、「何ともないぞ」と笑った。
「オルカのこと、あんまり怒らないでくれないか? ウルルを守ろうとしてな、間違えて私を噛んだだけなんだ」
「ウルルを?」
「そう。さっき怖い思いをしただろう? オルカはもうそんな思いをさせないために、人間を森に近づけないようにしていたんだ。そこに、私が黙って踏み込んだだけなんだよ」
「でも、ケートさんはにーちゃも、とーちゃも、怪我させないよ」
「そうだけどなぁ。オルカは守りたい想いが強くて、私も敵だと思っちゃったんだよ」
ウルルは「そっか」と納得すると、オルカの元に戻る。
すっかり元気を無くしたオルカの膝によじ登り、「ごめんね」と謝る。
「もう嫌いって言わないよ」
オルカが目に見えて元気になった。
子供のおそろしさを体感する。
「純粋な子供っていいな。ある意味恐れ知らずだ」
「お前にだけは言われたくないだろうがな」
ナディアキスタはふと、不思議そうな顔をして私の腕を掴む。私は痛みに顔を歪めた。
「いでで、何するんだ。ナディアキスタ」
「············傷が」
「はぁ?」
「傷の治りが早いな」
ナディアキスタはそう言って、私の傷をまじまじと見る。
傷の治りが早いなんて、当たり前だろう。魔女の魔法薬を使っているんだから。
けれど、ナディアキスタは真剣な顔をしている。
「この薬は、あらゆる傷を癒す万能薬だ。けれど、人間は一日かかる。中からゆっくり、傷を治すんだ。急速に傷を治すとなれば、体が耐えきれず、四肢をちぎられるような激痛に襲われるからな」
「そんな怖いもん作るなよ」
「本当に痛みは無いのか?」
「ない。あったら収まるまでお前に文句言ってる」
ナディアキスタはそれもそうかと、納得すると、止血に使ったガーゼを一枚手に取り、小鍋に放り込む。
ローブから薬材を出して、ぽいぽいと鍋に放り込んでいく。鍋をかき混ぜ、しばらくするとナディアキスタは怒った顔になった。
「ケイト! お前魔物を食べたのか!?」
「はぁっ!?」
「あれほど食べるなと言っただろう! なんのためにモーリスにも言ったと思ってる!」
「食ってないわ! つーか、食べる暇もなかった!」
「なら何故、魔物化が進んでる!」
ナディアキスタに怒られて、私はショックを受けた。
あの薬臭い野菜を食べて、魔物には一切手をつけなかったのに。何で魔物化が進んでいるのだろう?
「くそっ、とにかく今はゆっくり傷を治せ。この話は後でじっくりさせてもらう」
「全員、今すぐここを出るぞ!」
モーリスが血相を変えてテントに飛び込んできた。
ナディアキスタは「どうした」と尋ねるが、何となく予想はつく。モーリスは苛立ったように言った。
私は服を着て、剣を装備する。戦闘の勘ばかり、無駄に冴えても嬉しくない。
「敵襲です! 人間陣営が、襲ってきました!」




