113話 情けないな
植物園の東の窓から伸びる影。
噴水の底。
合わせ鏡の回廊。
──車輪が外れた馬車の下。
一日かけて、ナディアキスタと魔女の魔法道具を探したが、一向に見つかる気配がない。
最終的には、魔女の隠し場所なんて関係なく、ツボの中やゴミ箱を開けて探した。
噴水前で、私とナディアキスタはしゃがむ。二人揃って、ため息をついた。
「「全然見つからねぇ〜〜〜」」
暮れゆく国で、私は彼に文句を言う。ナディアキスタは不満そうに応戦した。
「魔女の隠し場所と言われる所、本当に全部見たのか?」
「この俺様が残すなんてことはしない。お前こそ、隠せそうな場所はくまなく探したんだろうな」
「探索も仕事のうちだ。当たり前だろうが」
「なら何故見つからない!」
「こっちのセリフだ! ナディアキスタ、もっと思いつかないのか? 隠し場所になりそうな所、呪いでも何でも!」
「朝からずっと探索の魔法を使っている! けれど見つからないんだ! そろそろ俺様の魔力も尽きる!」
そう怒るナディアキスタは、確かに疲弊していた。彼が呪いを使うのも、魔法を使うのも、いつも短時間しか見ていないから、どれほど長く使えるかなんて知らなかった。
長い時間生きているだけあるが、魔力量は時間と共に増えるのだろうか。それとも、元から魔力が多かったのだろうか。
「魔力は修行とかで鍛えて増やせるのか?」
「阿呆な事を聞くな。強靭な肉体だろうと貧弱だろうと、魔力そのものの量は変わらん。だが、使い方を学べば、少ない魔力を長く使うことも、魔力を蓄えて強大な力に変えることも可能だ。大事なのは自分に合った使い方を知ること。魔力量にこだわっている間は、どんなに足掻いても力は身につかん」
「最初の部分だけで話が終わるかと思った。丁寧な解説ありがとう、おじいちゃん」
「殺すぞクソガキ」
短い休憩を挟み、私は立ち上がる。
国で探せないのなら、近辺を探しに行ってみよう。昨日の森や、獣人陣営の山。どうせなら、魔女信仰者の獣人たちに、話を聞いてみようか。本を読むより多い話を聞けるかもしれない。
ナディアキスタも立ち上がり、魔法道具探しを再開する。
今までが簡単に見つかり過ぎただけなのだ。本来ならきっと、これくらい苦戦するものなのだ。
明日までまだ時間はある。邪魔さえ入らなければ、存分に動けるだろう。
「いた! ケイティ、ナディアキスタ殿!」
遠くからエリオットが慌てた様子で駆けてくる。
汗を流す姿もイケメンだな、なんて思っている場合ではない。エリオットは「早く来てくれ」と私を急かす。
「どうした。急げと言われても、私は鎧を着てない。団の仕事か?」
「そうだけど、ちょっとマズい。早く来てくれ」
「何があった。まず説明を──」
私が事情を聞こうとすると、ナディアキスタの体が淡く光り出す。ナディアキスタは途端に切羽詰まった表情になり、私を見る。
「魔女召喚だ。俺様は務めを果たしに行くぞ」
そう言って、ナディアキスタはくるんと回る。カランコエの白い花弁に包まれて、ナディアキスタは消えた。
私はエリオットの方を向く。
エリオットが焦る。ナディアキスタが弟に召喚される。今のこの国の状況。何となく予想は出来ていた。それでも私は、「違う」と信じたかった。
「何があった?」
早まる鼓動がうるさい。左手が自然と剣に伸びる。
──頼む、違ってくれ! 私の予想なんて外れてくれ!
そう願ったところで、エリオットの口から出てくることは、私の胸の奥深くで『あぁ、やっぱりな』とため息をつかせる。
「騎士団が、奇襲を仕掛けた!」
***
──『団長権限の剥奪』
『主導権の譲渡』『新指揮官による命令』『違反者の厳格な処分』『副団長権限の無視』『団長・副団長の任務離脱命令』
この全ての指示が下されたのは、ついさっきの事だという。
エリオットの腹心の部下が、退団・刑罰覚悟で教えてくれた。
「どういうことだ! エルから権限の剥奪は出来ないはず!」
「それが分からないんだ! まさか、この短時間で国に書簡を送ったのか!? 皇帝陛下から直々に許可を取るなんて不可能だ!」
「いや、騎士の国に電子機器なんてほとんどない! 重要書類のやり取りなんか出来るか!」
「やってたらそれはそれで問題だと思うけどね! ケイティもっとスピード上げて。追いつけないよ」
「なんだ。ペース合わせてやった方が良いかと思っていたが、必要ないなら先に行く!」
私とエリオットは山に向かって駆けていた。
エリオットから「スピード上げろ」と命令を受けたなら、それに従わない理由もない。
私はエリオットよりも身軽なのをいいことに、走る速度を更に上げて、山に突っ込んで行った。
山に入って早々聞こえてくる兵士たちの雄叫びと、獣人たちの唸り声。
武器と武器がぶつかり合い、一歩歩く事に血の匂いは濃くなっていく。
獣人達の陣営の前に、黄色い膜のようなものが見えた。
兵士たちが剣を高く構え、その膜を叩く。
ガキンッ! と硬い音がする。けれど膜は破れない。切れど突けど、破けぬ膜に兵士たちが苛立ってくる。
「くそっ! 化け物どもめ!」
膜の向こう側にいるのはナディアキスタだ。
負傷した獣人たちを気にしながら、この膜のような結界を貼っているのだ。
負傷した獣人の中には、ウルルやメイヴィスもいる。モーリスが「大丈夫だ」と何度も言いながら、泣きそうになって手当てをしていた。
痛がるウルルを抱きしめて、オルカは兵士たちを睨んでいる。今にも飛びかかりそうなオルカを、メイヴィスがたしなめていた。
「誰か! 爆弾を持ってこい!」
「やめろ! この愚か者共!」
私は一番前に立つ兵士たちを蹴り飛ばし、殴り、遠くへと放り投げた。
私の登場に驚く兵士たちは、警戒しすぎて剣を抜く。私は彼らに更に怒鳴りつけた。
「今すぐ剣を鞘に納めろ! そして山を下れ! お前たちは騎士にあるまじき行為をし、皇帝陛下の御心と、己の魂を汚した反逆者だ!」
「副団長! 命令は拒否します! これは、貴方よりも高い身分の方からの命令であり──」
「貴様! この私に意見するとはいい度胸だ! 教えてやろう! 私より高い身分で命令を下せるのはエリオット団長と、皇帝陛下のみだ!」
「いいえ! 皇帝陛下からのこの書簡をご覧下さい! これは、れっきとした! 命令状なのです!」
兵士が私の前にその書類を見せた。
蛇腹折りにされた書類には、騎士の国で使われる書体で、エリオットの部下から聞いた内容と同じ事が書かれている。その下には、皇帝陛下の判印が押され、確かに公的な書類と同じ形をしていた。
遅れてきたエリオットが私とこの書類を見る。
「──確かに、これは皇帝陛下の書類と同じだね」
「ならどいてください! 我々は、陛下の指示に従って······」
「え? 何言ってるの?」
エリオットはそう言うと、兵士たちに見えるように書類を掲げた。
私はその隙に、ナディアキスタに目配せをする。
(──ここから南東の)
後ろに組んだ手で、ナディアキスタに指示を出す。
ナディアキスタは指示を受けとると、エリオットの影に隠れて行動を開始した。
「これ、分かりやすい偽物だよ」
エリオットはキッパリと言った。
「ちゃんと見たかい? 書体は同じだけど、インクの掠れがないだろう? これ、ペンで書いてないんだ。騎士の国には電子機器なんてないし、皇帝陛下は必ずペンで書類をお作りになる。それに、この判印。皇帝陛下の物とは違う。この花は椿じゃない。牡丹じゃないか。紙だって、薄くて風が吹けば飛んでしまいそうに軽い。陛下の命令状は、いつだって厚みのある紙で送られてくるよ」
皇帝の命令状を見たことの無い兵士はいない。入団した時、皇帝から直々に『入団証明書』が送られる。その他にも、緊急時や皇帝の護衛などの命令も、この公的書類で送られてくる。
······よっぽどの馬鹿でなければ、この程度の偽物に騙されるはずがないのだ。
「あと、団長の説明に付け足すと、これ蛇腹折りだろ。皇帝陛下の文書は、必ず三つ折りだ」
見た瞬間に見破れるはずのものを、なんで騎士団が分からないのだろう。
エリオットは「まぁ、無理もないよね」と命令状をまじまじと見る。
「文書の書き方がそっくりだし、言葉選びも似てる。あんまり細かく見ないと分からないよね。難しいから、間違えたんだね」
エリオットは爽やかな笑顔で兵士たちを励ます。
エリオットに偽物だと言われている間、顔色が悪かった兵士たちが安心したような顔で、「そうなんです!」と口々に言う。
──それを黙らせるのは、私は仕事だ。
「ほざけ! 襲う口実を手に入れ無防備な者を傷つけた輩に! 弁解の余地は無い! 何が『分かりませんでした』だ! 何が『間違っただけです』だ! 貴様らの愚行で、罪なき命が危ぶまれた事を忘れるな!」
久しぶりに本気で怒った。体が焦げてしまいそうな熱さが、溢れ出して止まらない。
「今『間違っただけだ』、『分からなかった』、『知らなかった』と口にした奴は覚えておけ。この私が、騎士の信念というものを、今一度叩き込んでやる。それとも、うっかり『間違えて』貴様らの家を焼いた方が覚えるか?」
足が震えて立てなくなった兵士たちに、私は言った。
「剣を納めろ。今すぐ山を下れ」
誰も、私に怯えて動けなかった。
今だに私に剣先を向ける兵士もいる。私は剣に手をかけて、「聞こえなかったのか」と、もう一度命令した。
「剣を納めろ! その子鹿のように震えた足で山を下れ! 出来ない奴は、今この場で! 退団処分にしてやる!」
目に見えない速さで、私は目の前の兵士の剣を折った。
剣を折られた兵士はボロボロと泣き出し、腰が抜けた。兵士たちは逃げるように山を駆け下りる。
肩で息をする私に、エリオットはふぅ、と息をついた。
エリオットは腰を抜かした兵士を立たせ、「早く行きなさい」と背中を押す。
「あれ、ナディアキスタ殿たちは?」
「逃がした。昨晩のメイヴィスのお守り。あれを使えば、エリオットが偽物の説明をしている間に、遠くへ逃げることが出来るからな」
「なるほど。さすがケイティ」
エリオットは辺りに誰もいなくなったのを確認すると、私を抱き寄せて「ごめんね」と謝った。
「ケイティに怒鳴らせるなんて、団長失格だ。君の評判を利用して、恐怖で支配するのは、あまりにも······正しいとは言い難い」
「いいや。私が選んだ道だ。けれど、あぁもう最悪だ」
傷ついたメイヴィスや、ウルルの姿が頭から離れない。
泣きそうなモーリスも、怒りで狂いそうなオルカも。
私はその場にしゃがんだ。顔を膝に埋めて、「悔しい」と呟く。
「──守れなかった」
もっと気づくのが早かったら。もっと早く兵士たちに追いつけていた。
悲劇なんて、起きなかったのでは?
「悔しいなぁ。約束、したのに。私じゃ守れないかもしれない」
自分の無力さを痛感する。
どんなに強くても、どんなに策を巡らせても、事に気づくのが遅くては意味が無い。
エリオットは私に、慰めの言葉をかけなかった。黙って背中をさすってくれる。今は、それだけが嬉しかった。




