109話 助けさせて
夜の森で、野営の準備をする。木の枝を立てて、草を敷きつめて簡素な寝床を作る。枝と石を集めて竈を作り、モーリスとオルカが夜食を作る。
ナディアキスタが、綿棒でスキュラの女の口内を擦り、細胞の採取をし、犬の方からも唾液を採取する。
食べられる木の実と、少量の米をぶち込んだ粥を啜り、体を温める。
「モーリス、先に寝てくれ。念の為、見張り交代は欲しい」
「オルカも寝ろ。俺様が寝る時に、強力な見張りがいないと困るからな」
見張りを、とは言いつつも、目がしょぼしょぼしている二人を先に寝かせる。エリオットは鎧についたマントを取ると、そっと二人にかけてやる。
メイヴィスは辺りを確認すると、魔女のお守りを発動する。
ピタと止まった時間の中は、やはり神秘的だ。
自然の摂理から外れた世界は、永遠に続くとさえ思えてくる。
「今から二時間は、この引き伸ばされた五分間の中だ。話し合うにも十分だろぉ?」
メイヴィスは、モーリスとオルカに背中を向け、守るように私たちに向かい合う。エリオットはまだ、悩ましげだ。
「エリオットには一応忠告しておこう。特別頭が悪いわけではないだろうが、古臭い脳みそをしているからな」
見下すような物言いだが、ナディアキスタはエリオットに状況を説明するように釘を刺す。
「ここにいるのは、ケイトとモーリス、メイヴィスとオルカ。そしてお前と、この俺様だ。そのうちメイヴィスとオルカは俺様の弟。モーリスはメイヴィスの弟だが、俺様とは無関係。ケイトは俺様と関係があるが、弟では無いし、俺様のあやつり人形でもない」
「うん。そうだね」
「だが今、この場でお前の味方は一人もいない。ケイトは別として」
「ケイティは、君の味方だよ」
「いいや、ケイトは中立だ」
ナディアキスタはそう言うと、私をちらと見る。そして、鼻で笑った。
意味が分からなくて腹が立ち、舌打ちで返す。すると、「ほらな」とまた意味のわからない事を言う。
「お前から見るケイトは、俺様の味方をしているだろう。けれど、実際は違う。ケイトは『高潔さ』の味方だ。弱者を守り、信念を守り、命を重んじ、森羅万象を敬う。もし俺様が無闇に命を奪い、人を虐げるような真似をすれば、ケイトは瞬く間に剣を抜き、この首を切り落とすだろう」
「ケイトは“自分が”正しいと思った方に傾く。“誰かが言った”正しさではない。重んじるものは古臭いが、その心は騎士の国だけではなく、世界的にも珍しい」
ナディアキスタの言葉に、メイヴィスはうんうんと頷いた。
私は、「そうだったのか」なんて、自分のことなのに感心していた。エリオットも納得する。
「いいか。ちゃんと見ろ。その目で見て、その耳で聞き、その鼻で嗅ぎ、その手で触れろ。そして、己の心で考えろ。忙しい俺様がここまでしてやったんだ。無下にしたら、お前の親父に殺された弟と、同じ目に遭わせて殺す」
根に持った言い方でエリオットを脅し、ナディアキスタは竈に小鍋をかける。
ローブのポケットから、あれやこれやと材料を出すと、鍋に入れてクルクルと回す。
「······料理みたい」
「分かる。カレー作ってんのかって、たまに思うんだよ」
「ね。アクアパッツァとか、ビーフシチューとかさ」
「いや〜、ヤモリとか普通に入れるし、そんなオシャレじゃない。なんというか、あれだ。ほら、商人の国行く時の限界料理」
「あ〜、その辺にいた蛇の首切ってね。ブツ切りにして入れて、煮込む精進料理。初めての子達には、一種の我慢大会だよなぁ」
「でも、動物に出くわした時の兵士たち、やる気すごいよな。猪に突っ込んでくだろ。あれフォロー大変で」
「あー、あるある。出発前に再三『猪見つけても飛びかかるな』って、言ってるのにねぇ」
「お前ら、国に帰ったら病院に行け。頭と腹を入念に診てもらえ」
「あたしも賛成。その辺の蛇って、毒とか怖いじゃないか」
ナディアキスタの呪いを見ながら、私たちがだべっていると、二人からツッコミが入る。
けれど、騎士の国では当たり前のことで、商人の国への一ヶ月の行程に持って行けるのは、砂漠を越える用の特殊食糧だけだ。砂漠に着く前は各自調達なのだから、みんな気合いが入る。お陰で怪我人が出たり、毒に当たったりと、てんやわんやだ。
「何のために『旅のしおり』を渡していると······クソッ」
「毎年作ってるんだけどなぁ。ケイティと二人で黙々と。注意事項足したり、食べられる野草一覧書いたりして」
「騎士団というのは、幼児の集まりか何かか? 欠食児童より酷い振る舞いだぞ」
ナディアキスタは鍋に綿棒を落とし、グツグツと煮立てる。『天秤の底の錆』を鍋に入れたところで、スキュラが目を覚ます。
ゆっくり辺りを見回し、状況を確認する。私を見ると、スキュラは唸り声を上げて私に襲いかかる。
「ケイティ!」
エリオットが私を庇う。私が立ち上がる前に、メイヴィスがスキュラの横腹を蹴り飛ばした。目にも止まらぬ速さに、私は彼女が本当に獣人族なのだと理解した。
メイヴィスは「触んじゃないよぉ」と、瞳孔を細くし、爪を鳴らして威嚇する。
「次、また同じことしてごらんよぉ。そんときゃ、あたしがあんたの内臓抉り出すからねぇ」
メイヴィスのそれは、魔物よりも怖い。
スキュラは、ギリギリと歯ぎしりをすると「人間のクセに」と悪態をつく。
「落ち着いてくれ。私たちは、貴女に酷いことはしない」
私はエリオットを押しのけ、スキュラに近づく。
犬の頭と一緒に威嚇する彼女に、私は膝をつき、手を伸ばす。
「──貴女を助けたい」
「信じない」
「それでもいい」
「人間なんて皆同じよ」
「ああ、そうさ。みんな汚い中身を、綺麗に見せかけているだけだ」
「あんたもそうでしょ」
「もちろん。私も汚い人間の一人だ」
彼女の言葉を否定せず、私は彼女の降ろされた手を握る。
「······私は、真実が知りたいだけ。だから貴女に手を伸ばす。どうか教えて欲しい。貴女が受けた仕打ちを、貴女が背負う痛みを。だがまずは、貴女の名前が知りたい」
私がスキュラを懐柔する後ろで、三人が話をする。
「ケイト様って、男だったらモテモテだったろうねぇ」
「いいや、ケイティは十分モテてるよ。彼女が入団した翌年の事務員募集、例年の二倍だったし、退職率も激減。どっちも九割が女性だったかな」
「天然タラシ共が率いる騎士団か。俺様なら絶対入らないな」
「ケイティが男に囲まれてるのは、ちょっと妬いちゃうけど。一発で黙れせるところ見ると、すごくスカッとする」
「あ〜〜〜、分かる。鶴の一声というか、ケイトの一喝」
「男より勇ましいんだよねぇ。あたしも惚れ惚れしちゃう」
「おうコラ聞こえてんだよ。もっと声落とせや」
思わず声を荒らげる。
三人揃って顔を背けるところを見ると、昔から仲間だったんじゃないかとすら思える。······こんな短期間で打ち解けられるのか。
「······カロル」
スキュラはそう名乗った。それはそれは小さい声で、けれど、確かに聞こえた彼女の名前。
私は俯くカロルに「いい名前だ」と、微笑んだ。
「······助けてくれる?」
「私の、騎士の心にかけて」
カロルはほろりと、涙をこぼす。私は彼女を必ず助けようと、決意した。




