107話 本当に魔物か?
あらゆる方向を見渡す犬の首。
動かしにくそうだが、人間よりは遥かに速い足。
下半身の性能に劣らぬ人間の上体。
スキュラ自体は、何となく覚えていた。しかし、話に聞いていたよりも獰猛で、私でも手に余る。
犬に注意すれば女に肩を噛まれるし、女に注意すれば犬に太ももを噛まれる。
テンポの速い曲を踊るように避けても、反撃にまでは至らない。
「おい、魔女の祈り! 魔女の祈り! 魔女! 祈れぇ!」
「うるさい! やろうとしてるだろうが!」
私がスキュラを引きつけている間、ナディアキスタは手を合わせて魔女の祈りを捧げる。
「その目を閉じよ 夜の帳は──」
ナディアキスタが祈るが、スキュラの動きは鈍る様子がない。
私も不審に思い、騎士の国の祝詞を唱えてみる。
「高潔なる心に火を灯せ 全てのものに差し伸べる手を」
けれど、やはり効果はないようだ。
女の方の、噛み付く攻撃を避けた時、私は足がもつれて尻もちをついた。
屋台の上に背中を叩きつけ、骨が悲鳴を上げる。起き上がる前に、スキュラが私の腕を押さえつける。
(しまった!)
女はギリギリと歯ぎしりをする。
「············お前らなんか」
「あ?」
スキュラが何かを言いかけた途端、横から炎が飛んできて、スキュラの顔を焼いた。
ぎゃあ! と悲鳴をあげたスキュラに、ナディアキスタはガラスの棒を振って、辺りを凍らせていく。
「魔女の祈りが効かないなら、凍らせて持って帰った方が早いだろう」
ナディアキスタはオーケストラを指揮するように棒を振る。
「冬の山に咲く花 青い花
氷河に泳ぐ月 蒼い月
命を閉じ込めて 優しく照らしておくれ
氷の花よ 美しく咲け」
辺り一帯が急激に冷えていく。
私はあまりの寒さに腕をさすり、体を曲げる。
スキュラは足元から凍っていき、悔しそうに叫びながら、氷の中に閉じ込められた。ナディアキスタは満足そうに腕を組む。
「ふん、この俺様にかかれば、この程度の魔族なんてお茶の子さいさい! 朝飯前だな!」
「はいはい。ふんぞり返りすぎて背骨折れろ」
「ホント、息するように罵倒するなぁ。お前は」
私は氷に閉じ込められたスキュラを観察する。
女の上半身、犬の下半身。
資料で見た通りの姿をしている。けれど、違和感を覚えた。私が考え事に耽っているのが不思議だったのか、ナディアキスタもスキュラを観察し始める。
「ナディアキスタ、どう思う?」
「······なるほど。ケイトの違和感はこれか」
「分かったか」
「分かるとも」
二人で違和感に気がついたまではいいが、その後すぐに喧嘩になる。
「ちょっと話聞くだけだから!」
「ばっか! そんなことしてまた襲われたらどうする気だ!」
「でもこのまま氷漬けにしてても死ぬだろ!」
「お前、さっき噛まれてただろうが!」
「怪我は手当てすれば治るんだよ!」
ナディアキスタと言い争って、何とかナディアキスタを説得した。
ナディアキスタは心底不服そうにガラスの棒で氷を叩く。
「そら、春が来たぞ」
氷は春の陽に照らされたようにサラサラと流れていく。
スキュラは氷から放たれると、また私に襲いかかってきた。
私は彼女の手首を押さえ、会話を試みる。
「私はケイト・オルスロット! 騎士の国より来た騎士団副団長だ! 貴女の先の言葉の意味を聞きたく、呪いを解いてもらった!」
私はとにかく絶え間なく、彼女に言葉をかけ続ける。
ナディアキスタは杖を構えたまま、スキュラと私の攻防を見守る。
「貴女は『お前らなんか』とこぼした。人間に何らかの恨みがあって、このような事をしているのだろう!」
「······うるさい」
スキュラが口を開いた。
彼女の赤い目は、私をまっすぐ捉える。怒りに震えるその瞳には、私の哀れんだ顔が映る。
「お前らが私に何をしたか分かっているのか! 私が受けた痛みを! 私が受けた傷を! お前らなんかに分かるものか!」
「スキュラは本来、海を縄張りとする魔族だ! 船を襲うはずの魔物が陸に上がれるはずがない! 私には貴女の痛みも傷も分からない!」
「ならどうして、私を氷から解いたのよ!」
「貴女が『人間』だからだ!」
海域の悪魔族が、陸で活動する例はほとんどない。魔女に召喚されたり、特異的な進化をしない限りは。
スキュラは犬の足ではなく、魚だったり蛇だったりと、変化に富んだ魔物だが、海から離れることが出来ない。
私は彼女を観察した時に、それを思い出したから、『人間だ』と判断出来た。
スキュラは私の言葉に目を見開く。
化け物の扱いを受けてきて、誰からも『人間だ』なんて言われなかっただろう。けれどすぐに、怒りに溺れてしまう。
「お前らがこうしたのに! 私を化け物にしたのに!」
「落ち着け! 私はこの国の人間じゃない。話を聞こう!」
「人間なんか、同じだ!」
「魔女の魔法──『星を数えよう』」
ナディアキスタが魔法を使った。
スキュラの周りを踊るように星が流れる。スキュラは星を見ると、ストンと眠りに落ちた。私は彼女の体を支え、ナディアキスタを見る。
ナディアキスタはふん、と鼻を鳴らした。
「喚いてばかりで話にならん。うるさいから黙らせただけだ」
「氷漬けにしないだけマシだな。さて、面倒なことになる前に引き上げよう」
「ケイティ!」
──愛称で呼ばれた。
私とナディアキスタは顔を見合わせ、さぁと青くなる。
振り返ると、真っ白い鎧を身につけたエリオットが、こちらに向かって走ってきていた。
「ナディアキスタ殿もいたか! ──これは、一体どういう事だ?」
エリオットは眠っているスキュラと、私、ナディアキスタを交互に見てそう口にする。面倒事の方から来るなんて、誰が予想しただろうか。
私は彼にどう説明すべきか、まだ考えていなかった。




