105話 何のための脳筋だ
目を覚ますと、とっくに日は落ちていて、月が地平線から顔を覗かせていた。私が飛び起ようとすると、オルカが私をきつく押さえつける。
「オルカ、離せ」
「兄さんが『起きても離すナ』と言っタ」
「ナディアキスタ、何のつもりだ」
もしや私を捕えるつもりだった? ナディアキスタに限ってそんなことはしないだろう。けれど、ナディアキスタもモーリスやメイヴィスも、何故か身支度を整えている。
「おい、ナディアキスタ!」
「鎧は置いていけ。邪魔だし目立つ。後々困るのはお前だろうからな。メイヴィスが着替えを持ってるから借りろ」
「ちゃんと聞け!」
オルカの腕をすり抜け、私はナディアキスタに「どこに行く気だ」と詰め寄った。
「決まってるだろうが。獣の国だ」
ナディアキスタは「当たり前だろ」と、私を小馬鹿にする。だが、ここでナディアキスタがいなくなったら、獣人達が危ない。
私は「やめておけ」と忠告した。
「獣の国のカメラに、お前たちが映っていたら、侵入したと見なされる」
「構わん。どうせ勝手に侵入したことにも出来るだろう。国内に管理出来る場所があれば、好きにいじれるからな」
「何でそれを······」
私はふと思い出して、ポケットを漁る。数日前に入れてそのまま忘れた、合成写真が無かった。ナディアキスタは獣人が犬に襲われる写真を、私の前に突き出した。
「返せ、ナディアキスタ」
「これをポケットに忍ばせていた理由は二通り考えられる。一つはこの写真を持って、獣人に人間へのヘイトを募るため。『人間はこんなにも浅はかで、獣人を貶める卑しい種族だ』とでも言えば、簡単に釣れるだろう。だが、これは今の今までポケットの中で眠っていた。ならもう一つの理由の方だ」
「もう一つの理由?」
「忠告と助力を求めて、だ。人間の卑劣な手を知ったお前なら、こっちしか有り得んだろうがな。この写真を俺様たちに見せて、『気をつけろ。下手に動けば隙を見せることになる』と、これを証拠に注意喚起するつもりだった。だが、獣人陣営でこれを見せると、さっき言ったようにヘイトを煽りかねない。それは避けたかったはずだ。それにこの写真があるということは、人間がそのようにする心づもりだということを示唆している」
「『人間は危険だ。信用出来ないから、手を貸してくれ』と、言いたかったが出来なかった。そう考えるのが妥当だろう」
ナディアキスタは雄弁に語ると、ようやく写真を私に返す。
モーリスは呑気に「お見事です」とナディアキスタを褒めた。ナディアキスタは得意げな顔で腕を組んだ。
「出来なかった理由は、お前が優しいからだろうな。余計な勘ぐりをされたくもないし、お前はずっと和解の道を探っていた。こんなもの一つで無駄になるのは腹立たしかろう」
ナディアキスタはそこまで言うと、オルカにも身支度させる。
「この俺様を最終手段に残しておくのは、いい判断だ。メインディッシュは取っておきたいもんな。今、ちょうどいいタイミングでケイトは来た。後は仕上げといこう」
「え、お前を食っていいのか? カニバリズムは遠慮するぞ」
「そういう話じゃない! 分かっててやってるだろう! っかぁー! この女ほんっと嫌いだ!」
ナディアキスタに脇腹を殴られ、私はテントの外に追い出される。
ナディアキスタ達がテントから出ると、さっさと山を降りていく。本当にどうする気なのだろう。
悩む私をナディアキスタは鼻で笑った。
「ケイト、お前は何のための脳筋だ?」
私は思いっきり、ナディアキスタの脳天を殴りつけてやった。
痛がるナディアキスタを、オルカは何も無かったかのように抱えて、さくさくと山を降りる。ナディアキスタは涙目で私を睨んだ。
「お前は魔物だと予想したんだろう! なら、魔物退治に行った方が早いだろうが!」
「あ、そっか」
私はナディアキスタの文句を聞き流しつつ、彼らの後ろをついて行った。
***
獣の国──塀の前
裏門近くの塀で、ナディアキスタ達は止まった。
モーリスとメイヴィスが迎撃銃の向きを確認し、ナディアキスタは壁の高さを確認する。
「オルカは、俺様を背負え。モーリス、お前はケイトだ」
「かしこまりました。照準が国内側に向くまで三十秒ほどあります」
「いいかい? 2-r1 3-l2 1-r2 2-l1 4-aだからねぇ」
「兄さん、腕離すナヨ。助けられないからナ」
「俺様を誰だと心得る! この馬鹿者め!」
四人に分かってて、私だけ分からないのは、少し疎外感があって嫌だ。かといって、聞いてもはぐらかされるだろう。
モーリスは私をおんぶすると、「少し揺れますからね」と気遣いを見せる。
「手を離さないよう気をつけてください。落とすような真似はしませんが、バランスが崩れたら、二人揃って死にますよ」
「え、何が起きるんだ? ねぇ、死ぬって何」
「照準が国内側に向くよぉ! 準備はいいかい?」
「ねぇ何すんのって。死ぬって何? ねぇ!」
私がモーリスを揺さぶる間に、時間が来てしまったらしい。
迎撃銃の向きが全て国内側に向く。その瞬間、メイヴィスは魔女のお守りを発動する。
「魔女のお守り──『回る砂時計』」
メイヴィスの目の前に、黄金の砂時計が現れた。
彼女はその砂時計を左に二回ほど回し、「止まれ」と命じる。その瞬間、風が止み、葉の動きが止まり、まるで世界が凍ったかのような静寂に包まれる。
浮き上がった木の葉がその場にずっと留まる様子に、私は驚きが隠せなかった。
けれど、近くを流れている川は時が止まった様子はない。目を凝らせば少し離れた木の枝は、ゆらゆらと揺れている。
どうやら、呪いの範囲は、私が思っているより狭いようだ。
「順番に行け。オルカ」
「任せロ」
オルカは頭を振って、壁を駆け上がる。ブロックの二つ目に右足を掛け、次は今の高さから三つ目の位置に左足をかける。
さっきのメイヴィスの暗号は、足をかける位置だったのか。
納得なんてしている場合ではない。
ナディアキスタを背負ったオルカが、塀を乗り越えた。ということは、モーリスとメイヴィスも同じことをする。
──私も塀を飛び越える······?
「待て待て待て待て待て! 危険すぎる!」
「侯爵様が赴く戦場よりはマシでしょう!」
「戦場の方がよっぽど安全だ! 待て! 考え直そう!」
「舌噛まないよう、ご注意ください!」
「うぉああぁぁぁあ!」
モーリスはオルカと同じくらい早く塀を登っていく。
私は振り落とされないように、モーリスにしがみついた。
モーリスは塀のてっぺんに到達すると、慎重に降りるのかと思いきや、三メートルの高さを飛び降りた。
「ああぁあぁぁあああぁぁい!」
自由落下で体が浮く。内臓が持ち上げられる感覚が気持ち悪いが、モーリスがしっかりと足を掴んでいるから、離れてしまうことは無い。
ナディアキスタは玩具のトランポリンを置くと、それに魔法薬を掛ける。大きくなったそれに、モーリスが着地した。
「おわっ!?」
「っあ!」
モーリスが、うっかり私から手を離してしまった。空中に放り投げだされた私は弧を描いてレンガの道に落ちそうになる。
オルカが飛び出したが間に合わない。モーリスは青ざめて腕を伸ばした。
私は体が真っ直ぐ上を向いたところで、体勢を整える。回りそうになる体を足を蹴りあげて垂直に戻し、地面に着地すると同時に横に転がり、衝撃を逃がす。
私は立ち上がり、服にについた汚れを落として胸を押さえる。まだ心臓が飛び出しそうだ。
「あー、驚いた」
「本っ当にな。心臓が飛び出るかと思ったぞ」
「申し訳ありません、侯爵様! どう償えばいいのやら」
「生きてたからいい。あの、塀駆け上がるの危ないからやめよう?」
「肝の据わったやつだな。他に言うことがあるだろうが」
ちょうどメイヴィスが合流し、ナディアキスタは作戦の指示を出す。私はふと、思った。
「······私は騎士団のメンバーだから、IDとパスワードが支給されている。私は門から入って良かったんじゃないか?」
「「「「あ、そっか」」」」
揃いも揃ってポンコツである。




