小癪なり 宗茂~嗚呼、壮烈高鳥居城 落城秘話~
この当時、立花宗茂は「統虎」と名乗っていましたが、わかりやすいよう「宗茂」にて統一しております。
高鳥居城の本陣に主だった部将を召集したのは、立花宗茂の反攻が星野党に知らされた、翌日の事だった。
本陣は、高鳥居城の本丸に幕舎を張っただけの簡単なものだ。この城は天正年間に秋月党が落城させて以降は廃城寸前のあばら家であり、島津の命を受けて入城した星野党が修復する途中の、風雨を凌げるだけましだというほどの造りでしかなった。
兄の星野吉実が上座に座り、星野吉兼はその横に座った。
まず本陣に現れたのは、家老である大穂掃部介。顔は酒気に満ち、手には徳利をぶら下げている。その後ろに、物頭の神子谷主税が続いた。この鼻梁涼し気な青年は、掃部介とは違い真剣な面持ちだった。
約束の刻限になった。
「これだけか」
吉実が呟いた。
十名いた星野党の部将が、掃部介と主税の二名になっていた。掃部介は父の代から仕えている老将で、主税は吉兼と同じ二十二歳の兵法家である。
「血も涙もないのう」
掃部介が、呑気に言った。
逃げた八名は、召し抱えたばかりの新参の家臣と一門衆である。あの立花宗茂の反攻を耳にして、逃げたしたのだろう。思えば、高鳥居城の兵も随分と減っていた。
「まぁ、飲もうじゃありませんか?」
手にした徳利を卓に置いた掃部介へ、主税が侮蔑を込めた冷ややかな視線を送った。
「主税よ、そう生真面目にいたすな。飲もうが飲むまいが、結果は変わらんのじゃからな」
「何を弱気な。しかも、軍議の場ですぞ」
「ふふ。軍議のう……。四方八方敵だらけの状況で、何を語る事があろう。島津は我らを見捨てて逃げ、手勢の士気は劣悪。一方の立花党は親父を殺された恨みからか、まるで火の玉だ。それに加えて、中国の毛利まで壇ノ浦を越えて来ておるのじゃ。どうしようもないわい」
「ならば大穂様も、他の者同様に夜陰に紛れて逃げればよかったのではございませんか」
「つくづく後悔しておるよ。ちと飲み過ぎて寝過ごしてしまったのが残念じゃ」
「いくらご家老とて、言って良い事と悪い事がございましょう」
「やかましいわ。そもそも、この四人で何が出来よう?」
「掃部介、それは違うぞ」
吉実が苦笑して間に入った。
「四人ではない」
そして、顎で幕舎の外をしゃくった。
「五人だ」
立っていたのは、真っ黒に日焼けした裸体に具足を纏い、鉄鍬を手にした堀田右京佐衛門である。
「堀田か。これはいい」
掃部介は、一笑した。
「お前は残っていたのだな」
吉実の言葉に、堀田は頷いて応えた。
堀田は、高鳥居城の修復の為に召し抱えた浪人で、以前は秋月党に仕えていた。
築城や普請に対して、類いまれな見識と、力量を有している。ただ銭に卑しく、損得を重視する所があった。つまり、いざとなった時に信じられない類の男であると、吉兼は見ていた。それだけに、堀田が残っていた事は正直驚きだった。
「勝ち目の無い戦ぞ?」
吉兼は、堀田を見つめた。
「まだ、頂戴した給金に見合うほど働いておりませんのでね。城も四割ぐらいしか出来ておりませんし」
微笑を浮かべ、堀田は席に着いた。
「しかし立花党が攻め寄せれば、城は壊される」
「また、作り直せばいいのですよ、吉兼殿。城なんざ、壊れる為にあるようなもんです」
そう言うと、場が笑いに包まれた。
戦には、負ける。だが不思議な事に、この場にいる誰もが、死ぬ事を考えていないように思えた。
「戦いましょう、兄上」
吉兼が吉実を見据えて言った。それ以外の選択肢が無い事ぐらいわかっている。逃げるなら、昨日の内に城を出ていたはずだ。それでも吉兼が口にしたのは、自分を奮い立たせる為だった。本当は逃げたい。しかしそうしないのは、星野武士であるからだ。
「そうだな、吉兼。我々にそれ以外の道は無い。島津と共に撤退したとしとも、薩摩では犬猫の扱いを受けよう。星野荘に戻ったとしても、領民を巻き込み無駄な犠牲を出すだけだからな」
「そうしましょう、殿。そして、精々後世に語り継がれる死に様を見せましょうや」
掃部介が、そう言うと酒を口にした。この明るさが、星野武士であろう。死に対する恐怖は確かにある。しかし、それを抑える事が出来るのは、この明るさがあるからだった。
配置の話題になった。立花勢との先陣となる出丸には、五十名を率いて掃部介が入り、東門の守備には吉実。毛利勢の抑えは、二の丸に吉兼と堀田。そして、主税が遊撃の立場になった。
「皆々」
配置割りを終えると、吉実が立ち上がった。
「この度の戦、島津の為に非ず。太刀を抜き、刃を向けた者のけじめである。けじめを果たさず、逃げるは星野武士の名折れぞ」
突然、伝令が飛び込んだ。
「立花勢・毛利勢、山裾に到達。陣を組んでおります」
「宗茂は?」
「先陣におります」
吉実の顔が、ニヤリと笑んだ。
「あやつ、余程この首が欲しいと見ゆる。よし、逆撃を加え七光りの首を頂戴しようぞ」
咆哮が挙がる。
これが、最後の戦。華々しく散れるのであれば、哀しみなど無いと、吉兼は思った。
◆◇◆◇◆◇◆
出丸が、黒煙に包まれた。
「爺よ……」
東門の櫓にいた吉実は、その黒煙が掃部介の死を知らせる狼煙である事を、はっきりと感じた。
掃部介は、父が付けた傅役であり、吉実にとって初めての家臣だった。
若い頃は軍馬に跨り、大太刀を振り回しては各地を荒らした猪武者だったらしい。それが、父が死に吉実の代になると、すっかりと老け込み、若者に毒を吐く偏屈爺となった。しかし、掃部介を嫌う者は誰一人としていなかった。毒の内側にある、家への忠誠と家臣への愛情を皆がわかっていたのである。
湧き上がる感情に限りが見えそうにないが、感傷に浸る余裕は無い。出丸を落とした立花勢は、休む事なく矛先を東門へ向けて来たのだ。
「来るぞ。太鼓を鳴らせ」
櫓から降り、吉実は供廻りに命じた。
太鼓が鳴り、手勢が防戦の配置についた。矢弾の他、廃材、岩石、糞尿、油。投げ落とせる物は全て用意してある。
二の丸も、そろそろ毛利勢とぶつかる頃だろう。いよいよ、本城への総攻撃が始まる。
立花勢の攻めは、掃部介が言ったように火の玉だった。
狂気の色を帯びた眼で、突っ込んでくる。死への怯えは見えない。兵の一人一人の胸に、父親を殺された宗茂の無念や、他国者が筑前を蹂躙した恨みがあるのだろう。兎にも角にも、矢弾を気にせず突っ込んで来る。
「煮た油や糞尿を浴びせろ。何としても、ここを死守するのだ」
遊撃の主税が、いつの間に加勢に入っていた。
「おう、主税」
吉実が声を掛けた。指揮を部下に預け、主税が息を弾ませて駆け寄って来た。
「二の丸はどうだ?」
「度肝を抜かれました」
「ほう、何があったのだ」
「罠です。堀田殿が仕組んだ。敵が斜面を駆け上がっていると、地が揺れて山が崩れ、毛利勢の多くは生き埋めになっております」
「ほう、こいつは面白い」
流石は、堀田右京佐衛門。ただ時間が無く、東門の罠まで手が回らなかったのが、悔やまれた。
立花勢の先手が下がり、次手の部隊と入れ代わった。どうやら、指揮官の小野和泉が負傷したらしいと、伝令の報告があった。
代わった次の手勢が、勢いよく斜面に取りついた。
「よく引き付けろ」
吉実は、采配を天に掲げた。立花勢。駆け上がって来る。
(まだだ。まだ)
木柵から並べられた銃口は、真直ぐに立花勢の命を狙っている。部隊全体の隙が、一瞬だけ見えた。
(今だ)
吉実は采配を、振り下ろした。
銃声の咆哮。訓練を重ねられた鉄砲隊の一斉射撃は、容赦無く立花勢を斃していく。
「よし、後は個々に撃ち返せ」
だが、それでも立花勢は怯まなかった。立花勢の侵攻は、鍛え上げられた星野鉄砲隊の弾込めの暇すら与えない。
(あれは)
敵軍の中に、光る男がいた。白馬に跨り、必死に指揮している。
鳳凰の雛。そうとしか表現しようが無い男の名を、吉実は確信を持って叫んでいた。
「宗茂」
吉実は足軽から銃を奪い取ると、鳳雛と例えた男に銃口を向けた。
宗茂と自分。他は、何も見えなかった。刃を交え、けじめの為に闘う。それが、お前との運命なのだ。
「南無三」
引き金を引いた。
銃声と共に、宗茂が馬上から消えた。戦場が静寂に包まれ、そして、味方から歓声が挙がる。
宗茂を殺ったのか。
確実に命中した。しかも頭部だ。肌が粟立った。だが、宗茂はむくっと立ち上がって馬上の人となると、自らの強運と屈強な肉体を誇るように、槍を頭上に翳した。
歓声。今度は、立花勢からだった。
何たる剛毅。そして、どこまでも癪に障る男。
落城ぎりぎりでの秀吉軍到来といい、今といい、宗茂は神仏に愛されているのだろうか。
「来ます」
足軽の一人が叫んだ。
立花勢が、柵に取り付いていた。鉤がかまされ、引き倒しに掛かっている。
足軽は火縄銃から槍に持ち替え、突き出す。
しかし間に合わない。火矢や炮烙玉が投げ込まれ、東門の櫓や曲輪が燃え始めていた。
「本丸へ撤退せよ」
退却の太鼓を打たせた。
顔を真っ赤に染めた主税が、駆けて来た。
「殿、御早く」
「いや、お前から行け」
「何を馬鹿な」
「俺は宗茂の野郎に、嫌味の一言ぐらい言わねば気が済まんのだ。『お前は親の七光り』だとな」
「冗談を言っている場合では」
「命令だ」
そう言うと、吉実は主税の胸板を小突いた。
武士ならば、死に場所ぐらい、自らで決めるものである。そして、それを察する男になるよう、主税を育ててきたつもりだった。
「……」
主税が何かを言いたいのか、拳を握り締めた。
「神子谷隊、本丸に引き揚げる」
「主税」
引き上げる主税を、吉実は呼び止めた。
「また会おう」
主税が、深々と頭を下げた。
◆◇◆◇◆◇◆
吉実は、太刀を抜いた。
柵が完全に引き倒され、立花勢が一斉に雪崩込んで来た。
擦れ違い様に、吉実は一人を斬った。二人。更にもう三人。まるで、激流に立ち向かう巌のようである。
横から槍。掴んで、柄を断った。供廻りが次々に討たれていく。気が付けば、曲輪は立花勢で溢れかえっている。
吉実は太刀を振り回し、宗茂を探して曲輪を駆け回った。地を転がりながら太刀を振り、立ち上がると組みつく。おおよそ、大将にあるまじき戦いぶりだろう。だが、それが妙に気持ちよかった。
二の丸に続く道が、立花勢に塞がれていた。完全に挟まれた。どうやら、ここが死に場所らしい。
雄叫びを挙げた。腹の底から。
「我こそは筑後の没遮欄・星野中務大輔吉実である。立花の七光りが何するものぞ」
敵の中に躍り込んだ。太刀を振り回す。噴き出した鮮血を浴びた。口の中に広がる、血の味。構わず、斬り斃していく。
「宗茂」
言葉にはならない、叫び。
探した。いない。やはり、あの男は癪に触る男だ。あいつが初陣を飾って以降、両筑での勇名は常に二番手だった。若造の癖に、俺の前にはいつも奴がいた。それが、許せない。
槍。腹に来た。これは躱せなかった。
「貴様」
「立花次郎兵衛統春でござる」
「ちっ、小物か」
槍の柄を断ち、統春を蹴り倒した。肩口に斬撃。別の方向からだった。
「十時……」
名を言う間も与えず、拳を顔面に叩き込んでいた。
「くそ」
息が苦しい。吐血が、呼吸の邪魔をするのだ。
岩が見えた。腰掛けるには最適な大きさだ。そう思うと、全身に疲労感を覚えた。そうだ、あの岩に座って休もう。
宗茂が来たら、立ち上がりまた闘えばいい。
俺は、筑後の没遮欄。星野の前を遮る者は全て、俺が打ち倒す。
あの小癪な宗茂が、俺を遮っているのだ。だから、打ち倒さなければならない。家の為にも、弟の為にも。
「早く来ないか、宗茂」
そう呟いたが、目の前には山深い星野の静謐が広がっていた。
〔了〕
この高鳥居城の戦いは、岩屋城の戦いの陰に隠れて語られる事はありません。
なので、後書きにて簡単な紹介を当方のブログより転載致します。
福岡県の須恵と篠栗との間に、高鳥居城という山城がある。
この城は秋月氏と杉氏との戦いで荒廃し、その修復の為に星野中務大輔吉実と星野民部少輔吉兼の兄弟に率いられた、筑後星野武士団三百余名が入っていた。
半壊した城を、筑前支配の橋頭堡にしようと島津に命じられて修復を急いでいた星野武士団に、ある凶報がもたされる。
それは、島津武士団の撤退。
岩屋城で名将による乾坤一擲の策略に引っかかった島津武士団は、無駄に時間を浪費してしまった為に、九州統一を前に太閤秀吉の大軍が到来してしまったのだ。
野望が潰え撤退を始めた島津武士団を眼下に望みながら、高鳥居城の本丸で星野兄弟とその郎党は覚悟を決めた。
玉砕である。
島津と共に撤退したとしとも、薩摩では生きられぬ。
星野荘に戻ったとしても、領民を巻き込み無駄に故郷を汗血に染めるだけだ。
星野武士団に残された道は、復讐に燃える軍勢を迎え撃ち、未完成の城を枕にして討ち死にしかなった。
程なく、立花統虎に率いられた、武士団が高鳥居城に現れ、戦国時代でも余り見られない総玉砕戦、立花にしてみれば仇敵殲滅戦の火蓋が切って下ろされた。
統虎以下、その将兵は「偉大なる父」の仇討ちと、領土蹂躙の報復の為に猛り狂っていた。その証拠に、立花武士団の指揮官は自ら前線に出張って血槍を振るい、その結果として星野鉄砲隊の正確な射撃で統虎や小野和泉が負傷したほどである。
さて、出丸・二の丸を落とされ、いよいよ本丸が猛攻に晒されると、星野武士団の総帥・中務大輔は「太閤怖しと薩摩に逃げ帰った島津と父を見捨てた不義の立花に、筑後武士の散り際を見せてやろうぞ」と兵を鼓舞。
星野武士団は息を吹き返したが、武運拙く、高鳥居城の戦いは星野武士団三百余名の玉砕をもって終了した。
その後日談としては、星野兄弟の見事な武者っぷりに感服した統虎は、兄弟の首を堅粕村に丁重に葬り、その場所は星野兄弟の名から「吉塚」とされた。
また、奮戦した星野鉄砲隊は江戸期を通じて久留米藩に保護され、幕末には「星野山筒隊」として戊申戦役で戦いました。