第一話 出会い
木漏れ日に照らされた道を、両親に手を引かれた少年が歩く。
両親の見た目は若く、二十代前半くらいか。少年の方は五歳くらいで、両親と同じ黒目黒髪をしており、時折道端の草むらから一瞬だけ顔を出しては引っ込んでしまう見慣れぬ小動物に関心を惹かれては、その度に母親に注意されていた。
「レパール、お願いだからちゃんと歩いてちょうだい。今日はとても大事な日で、約束の時間までもうあまりないの」
「……うん、わかっ……た」
そうは言いつつも完全に上の空で、視線を新たな小動物が出てきそうな箇所を探して世話しなくさせる少年――レパール。その様子からは歩くことに集中しようという気配は感じられない。
「全く、これは全然分かってない、と言うより聞いてないな。我が子ながら、一体誰に似てここまで自分の興味一直線の子どもに育ったんだか」
「本当に、誰に似たんでしょうね……」
自身の子の様子を見て嘆くレパールの両親。もっとも、母親に関しては別の理由もありそうだが。
「しょうがない。このままでは間に合わないのは確実だし、何よりも今日は私達以上にこの子にとって大事な日だ。遅れない為にも……」
レパールの父と母が仕方がないと頷きあい、妻の同意を得た夫が我が子を荷物のように担ぎあげた。
「うえっ」
両親のやり取りに気づいていなかったレパールは、おかしな声をもらして驚く。だが、刻限が迫っている為にレパールの両親はそんな我が子の様子を無視した。
「じゃあ、一足先にいっているよ」
「ええ、教会の前で合流しましょう」
そう言って頷きあった後、レパールの父親の足に力が籠り、力強く未舗装の大地を蹴る。
父親の姿は、レパールの驚き声の残響を響かせて、ものの数秒で消えていった。
一方でレパールの母親は、夫を追いかけるでもなく、まるで約束の時間など初めから無かったかのように、のんびりと周囲を散策し始めた。
「あっ、これ今晩のおかずにちょうどいいわ」
急ぐどころか、ついには見つけた程よい大きさの茸たちに顔を綻ばせるレパールの母親。今の姿を見て、ほんの少し前まで時間を気にしていた人物とは誰も思わないだろう。
それからも、僅かな時間で山菜や木の実などを探し出しては流れるような手つきで収穫していき、いよいよもって山の幸を取りに来た主婦にしか見えなくなった頃、レパールの母親がおもむろに手を止める。
「そろそろかしら?」
夫と子がいるであろう方角に意識を向け、その直後、レパールの母親の姿が風に飛ばされる砂粒のように崩れ出す。
そして数瞬後には、それまでそこに居た痕跡など一切感じさせさずに姿を消した。
◆
レパールは、「幸せか?」と聞かれたら「幸せだ」と迷いなく答えることができる。なぜなら、両親は勿論、近所どころか、それすらも越えた村一丸となって育てられてきたからだ。
時に厳しく。
時に甘く。
愛情と優しさをこれでもかと、それこそ溺れるくらいに注がれて。
だから、レパールは自分が幸せであることを疑わない。子どもながらに――否、大人の感情に敏感な子どもだからこそ、向けられてきた愛情に偽りや私心などないと感じ、それに疑いを持つことは重大な裏切りだと考えているからだ。
ゆえに、今こうして父親に荷物のように担がれて、速さ最優先で容赦なく揺さぶられている自身の現状にも、きっと深い愛があるのだろうと思っていた。
頭を揺さぶられ過ぎて、今にも今朝の朝食を戻しそうにしながらも。
「いや、やっぱ無理――、父さん止まって!」
が、自身の体調悪化を前にしては等身大の――五歳児相応の忍耐力しかなく、吐きそうなのを堪えながら悲鳴で訴えると言う器用なSOSを出す。
しかし、
「無理だ」
息子から父への悲痛の訴えはすげなく振り払われた。
「そん、な……」
ここは甘くするところじゃないのか。大袈裟な迄に気遣って、近くの木の根もとで休ませてくれるところではないかと内心で絶望しながらも、黙って揺れに耐える覚悟を決める。
レパールは知っているのだ。父親が一度今は甘やかさない、優しくしないと決めたら、その厳しさが緩まないことを。
ただ、その厳しさで、甘やかしすぎて問題に繋がらないように、帳尻を合わせてくれていることはまだ知らない。
もし、気づいていれば、この後に待ち構える用事が、ここで気分の悪い息子を休ませて遅れることが出来ないほど重要度の高いものなのだと言うことに、今の段階で気づいていたかもしれない。
レパールが、これから済ませることになる用事の重要性に――レパールの身になって考えれば重大性に思い至らないまま数分。五歳児の我慢の限界が訪れようとしていた頃、石造りの建物が見えてきた。
森のなかに一軒だけ建つそれは、木々の間に無理やり建てたように樹木と建物間に隙間がなく、とても窮屈そうに感じられた。
「到着っと……なんとか間に合ったか」
レパールを肩から降ろしながら、建物の入り口付近で誰も待っていないことをレパールの父親が確認する。降ろされた限界間近のレパールは顔面蒼白で、心なしか目が虚ろだ。
それでもレパールは、こんな思いをしてまで連れてこられた所をしっかりとこの目で見てやろうと、揺らぐ視界の焦点を気合いで合わせる。
そして、これまでの道中とはそこだけ明らかに違う木々の密集具合に微かな疑問を感じかけた時――、
「ヨウコソ、イラッシャイ、マシタ」
目前の建物の扉から現れた人――のようなものに出迎えられ、興味が一気にそちらに傾いた。
「何だこれ!」
寸刻前までの気分の悪さなど忘れ、レパールは飛び付かんばかりの勢いで、初めて目にした人形を模した何かに駆け寄ろうとし、
「ぐえっ」
突如空中に現れた腕に首根っこを捕まれて息を詰まらせる。
「こらこら、待ちなさい。いきなり粗相をするんじゃないの」
その腕から徐々に実体化したのはレパールの母親。しかし、その光景に驚く者はいない。
「ドウヤラ、オソロイノ、ヨウデ」
ぎこちない発音とは裏腹に、どことなく微笑ましいものを見たような雰囲気を言葉に滲ませた人形の何かが手で建物の中を示し、三人の家族を招き入れる。
このままでは興味の赴くままに暴走しかねないと判断したのか、レパールの手を両親がそれぞれ両側から繋ぎ屋内へと進む。自由をあからさまに制限されたせいか、レパールは不満顔だ。
中へと入った三人がまず目にしたのは、大人と同程度の大きさをした女神像。石から掘り出して作られたとおぼしきそれを見て、そう言えば母さん達が教会がどうのって言ってたなとレパールは頭の片隅で思う。
一見してこの建物の最重要箇所と思われる像の脇を素通りして、像で隠れて見えていなかった扉を潜る。
そのまま廊下を歩き更に奥へ。その間もレパールは、道案内をする人形の観察だけでもしようと首を頻りに動かしていた。
そうして案内された先にあったのは応接用とおぼしき広間。
ただ、精巧な調度品があるわけでもなく、机をはじめとした備品があるわけでもないその部屋は、一見しただけではそこが来客をもてなす場であるとは思えないだろう。
それでもそこが応接間であると思ったのは、何もないこの部屋にいっそ不自然な迄に――まるで今日の為だけに用意されたような、二脚と三脚で向かい合う計五脚の椅子と、そこに座る二人の人物の影響だった。
一人はレパールの両親と変わらぬ年齢の外見をした女で、もう一人はレパールと同年代と思われる少女。
おそらくは親子であろう。黒髪に赤い目をした面差しがとてもよく似ていた。
レパールはその特徴的な赤い瞳を見て息を飲む。
自分とは異なる瞳の色。
それ以外は性別を除けば、自分と大きく異なる違いはない。
それなのに――、
その赤い瞳が、レパールにはやけに気になった。
それも少女の瞳だけが。
色彩と言う意味では、少女の母親らしき人物も同じ程度に心を惹かれてもいいはずなのに、目はおろか意識までも奪われそうになるのは少女だけ。
その瞳が、
少女の目が、
彼女のもつ赤い色彩だけが気になってしょうがない――。
そんなレパールの心うちの疑問に気がついているのか、レパール以外の人物はレパールの姿をじっと見つめる。
少女の母は探るように。
少年の両親は願うように。
そして少女は期待するように。
それぞれがそれぞれの思いからレパールを見つめる中で、一つの影が動く。
それはレパール達をここまで先導してきた人形らしきもの。一旦は客人の視界を妨げないために脇に退いていたが、状況が硬直し始めたことで仕える主達の側へと移動したのだ。
その動きにこれと言った特別な意味は無かっただろう。たが、その些細な動きが変化をもたらした。教会の住人の後ろへと移動したことで、レパールの視界に再び映ったのだ。
――初めて目にして飛び付かんばかりの興味を持った存在が。
「あ……」
そのレパールの口から漏れた呟きは、忘れていたことをふと思い出したようなそれで。
いつの間にか繋いでいた両親の手がほどけ、自分の行動を縛るものがなかったレパールは、今度こそと思いながら興味の赴くままに駆け出した。
突然自分の方へと駆け寄ってくるように見えた少女は驚き、思わず身をすくませる。
その僅かだが確かに目にした一連の光景を見て、少女の母は落胆の色を滲ませながら、娘をレパールから守るために我が子の前に音もなく立つ。
レパールの両親の認識が追い付いたのはこの時。遅れて状況を理解したレパールの両親の顔は悲しみに暮れていた。
しかし、少女と大人達の考えは全くの見当違い。
落胆も驚きも悲しみも全て置き去りにして、レパールは少女達の背後に控える人形の何かに飛び付いた。
「あははははっ! 何これ? 土? 石? 泥? なんかそれっぽっい物ってくらいにしか分かんないや。でもいくら触っても手は汚れないし……。それにどうして人への似せかたが適当なんだろう? ねえ、どうして? あと、これがどうやって動いてるのか教えて!」
人形らしき物にまとわりつくように、そして手当たり次第に触って疑問を口にするレパール。その思いがけない光景に周囲は言葉がでない。
「えっと……ごめんなさい……?」
まわりから回答どころか反応が一切返ってこないので、何かまずいことをしてしまったのではないかと焦りとりあえず謝るレパール。
周囲は別に怒っていた訳ではなかったのだが、大人達を再起動させると言う意味では正解だった。
「レパール。あなた、私の娘しか目に写っていなかったのではないの?」
半信半疑、探るようにレパールへと問う少女の母親。自分にかけられた第一声が、叱り声で無かったかとに安心したレパールは特に考えずに思うままに答えた。
「あの子のことは別に。あの子と言うよりもあの子の目の色がちょっと気になってただけ。それよりもこれが何か教えてくれますか……?」
言ってからしまった、と内心で後悔するレパール。再び疑問を口にするにしても早すぎた。
けれども、
「ねえ、レパール。もしかして、貴方にとって今は、家の娘よりその魔動人形への興味の方が大事?」
「うん!」
そう問われては、寸前までの後悔など彼方へとうっちゃり、レパールは本心で答える。今や、レパールの頭は、興味の対象が魔動人形と言う名前であると分かったことで一杯だ。
「そう。素晴らしいわ。文句なし、合格よ」
「え?」
何が? と言う問いかけはできなかった。意識が逸れていて反応が遅れたのもそうだが、レパールが聞き返すよりも先に、少女が母親に話しかけていたからだ。
「お母さん。えっと……、もう挨拶しても大丈夫?」
先ほどの驚きがまだ抜けきっていないのだろう。それでも戸惑いながら、事前に話していたらしき段取りに沿うために少女は確認した。
「ええ、いいわよ。さあ、大事な最初の挨拶。丁寧にね」
母親に応援するように背中を押されて、少女が少しおどおどしながらもレパールの前に立ち、少しずつ話し出す。
「あの……はじめして。私はルルリミーナ・ナータス・カバリル。あなたの、えーと、未来のお嫁さんになる者です」