ささやかな日常?
アイオーンと名乗った謎の少女、天音の襲来からしばらく経って、なんとか落ち着きを取り戻してきた日常だった。
それはあの戦いも、少し時間が経てば、まるで夢か何かであったように思えてくる——と言う、時間が解決と言うか、日常の力強さと言うか……
なんだかいつのまにか普通の学校生活が始まれば、そんな風に思えるようになっていた、と言うのもあるけれど……
DFCのリッチーや、ウェブレイドの二人、リップちゃんやマットくん、それに食堂のおばさんになって学校に紛れ込んでいた(と言うには目立ちすぎていたけれど)ランさん。
そんな騒がしい連中が、あの戦いの後に、一斉にいなくなったからとも言えなくもなかった。
リッチーは大怪我でニューヨークのDFCの病院に運ばれていたし、ならば、リッチーの勧誘を阻止するために日本に来ていたランさんをはじめとしたウェブレイドの連中は特にもう葉羽市にいる必要もない。
なので今は、対業羅組織の人たちは誰もいない。
すると何とも普通の高校生活であった。
僕も、普通に登校して、普通に勉強して、普通に居眠りをして、普通に怒られて、普通に校庭の掃除させられて、普通に校舎裏で賀場たちに挨拶されて(怖いよ)……
いやいや、——なんとも模範的ではないが、今までずっと繰り返して来た普通の日常がそこにあった。
でも、
「なんだか、いると鬱陶しいけど、いないと、いないでなんか寂しい感じもするね」
最後の授業が終わって、ホームルームを待つ間の、騒然とした教室の中、僕の机にやってきて、そんなことを言うのはコン子。本当は今子なのだが、もう誰にもコン子としか呼ばれない、僕の家の斜向かいに住む、おせっかいな幼馴染だった。
コン子は、なんだか退屈そうな雰囲気でそんなことを言うのだった。
こいつは、このごろの騒がしさに慣れてしまって、なんだか、こうやって落ち着くとはたと寂しく、手持ち無沙汰にでもなっているのだろうか。
「まあ、確かにそうだけど、なんだか、あの人たちとはまたすぐに会えるような気がするよ」
僕は、コン子に、そう答える。
確かに、あの騒がしさがなくなると、なんとなく寂しいような気が無くもないと言うのが、僕も、偽らざる心境といったところだった。
なので、僕は少し期待も込めて言ったのだが……
実は、特に理由も無いのだが——確信があった。
すぐに、また別の騒ぎが始まるだろう。
なんだか、そんな予感がしてならないのだった。
コン子も同じ気持ちなのか、
「まあ、ああいう騒ぎもたまにならいいのかもね」
と言うが、
「でも……」
「でも?」
「あのリッチー、あいつだけはもうノーサンキューよ。ああいうのはしつこくカケルをつけねらうような気がするわカケルの貞操の危機よ。あいつは戻って来て欲しくないわね」
なんだか相性の悪かったリッチーをディスりだすコン子であった。
まあ、でも、
「彼は大怪我をして今はニューヨークのDFCの病院にいるから。少なくともしばらくはやってこれないだろ」
「そうね。でも、もう変なSNS送ってこれるくらいには回復してるでしょ」
「変なSNS?」
あれ? と思いながら僕は言う。
「昨日の夜、スマホに届いてたでしょ。何、あれ? ガウンの胸はだけて、ドヤ顔で目線くれてる、ナルシスト入った自撮り送ってきて。『親愛なる強敵へ。僕は大丈夫だ。心配しないでくれ。また会える日も近いと思うよ』って、誰が心配するか! だわ。そんだけ元気あればもう十分よ。むしろ、そのまま回復し無いで、もう二度とカケルには近づかないでほしいくらいなのに、ああ言うタイプははしぶといので……」
「んっ? ちょっと、待ってコン子……」
「ーーまったく、私はカケルのお母さんから『カケルを頼む』って言われたんだからね。カケルに、最高のお嫁さん見つけてやらないといけないんだからね。BLの道なんか進ませないんだからね」
「だから、ちょっと待ってコン子」
僕はコン子の言った『スマホ』『SNS』と言う不穏な単語にピクッとしてそれを問い詰めたかったのだが、
「何よ、ちょっと待ってって? 何? もしかして、カケルはBL興味あるの? そういう系なの? 待って。またあれやらなくちゃいけないの? もしかしてまたミクスの料理食べて意識不明になりたいの?」
コン子は、この間DFCのリッチーが、僕を彼の組織に組み入れようと急接近してきた時に、過剰反応して、女の子の良さを分からせてやるとか言って、ランさんや、シズ子にも頼んで様々なちょっかいを出してきた時のことを言って僕に言いたいことを最後まで言わせてくれない。
いや、確かに、あの時のミクスさんの料理はすごかった。
あの時、——ランさんは、もう裸のほうが上品と言うようなブラジル水着で迫ってくるし、和服できりっとお茶をたて撫子アピールしてきたシズ子はコン子が思ったよりも破壊力がありすぎると言う意味不明の理由で途中で止められるし、ーーそして最後に手料理で女の子の良さをアピールするはずの最終兵器ミクスさんは、実は料理が最終兵器だったと言うオチ。
僕はミクスさんの料理を食べた瞬間、気が遠くなって、そのまま倒れてしまったのだが……
自分の親友の料理を脅迫に使うってひどくないか?
とか思いつつ、
「だからカケルは……」
「いや、ちょっと待って! 僕が言いたいのはそう言うことではなくて……」
僕は、このままうやむやにされないように、意を決して少し強引にコン子の言葉に割り込む。
「そうではない? じゃあ、何よ?」
僕は、そうやって、やっと本題を切り出すことができたのだった。
「なんで、お前は僕のスマホの中身知っているんだ?」
「…………………………」
僕の言葉に黙るコン子だった。
「そういや昨夜、コン子、僕の家に来たよね」
「……何を言ってるのかしら、カケル。何のことだかさっぱり分からないわ」
「舞と一緒に行ってた夕食の買い物から帰ってきたら、もう家の中にいて……」
「カケルのお父さんが入れてくれたのよ。『俺は飲みに行くけどまあ入って待ってたら』って入れてくれたわ」
「なんだか、風呂も沸かしてくれていて、『おかえりなさい。外はジメジメしていて汗かいたでしょ。お風呂でも入ったら』って、言ってくれて、それは確かにって、ありがたく思ったけど……」
「そうよ。気が利くでしょ。カケルこの間の業羅騒ぎでまた意識不明になったじゃない。今回は一晩で目が覚めたみたいだけど、まだまだ疲労が溜まっているでしょ。だからストレスなく日常過ごして貰いたいと思って」
「その気持ちはありがたいし、嘘じゃないと思うけど」
「そうでしょ! そうなのよ! 内助の功……じゃ妻になっちゃうからーーきゃ! 何言わせるのよ! 違うわよ! 外助の功よ!」
自分で言って真っ赤になりながら、照れ隠しなのか理不尽に僕の背中をどんと叩くコン子だった。
「いや、でもそれは感謝するとしても……僕が風呂に入っている間、そういえばなんだか怪しい影が脱衣所にいたような気がするんだけど」
「…………………………」
図星なのか、横を向いて、何も聞いてないふりをするコン子だった。
「そういや、風呂上がりにキッチンにいったら舞が一人で料理していて、『コン子は』って聞いたら『トイレに行ったみたい』って」
「そうよ! トイレに行ってたのよ! お腹壊してたのよ! 長かったのよ! 下痢ピーで、ごろごろ、ぶりぶりだったのよ!」
なんだ? こいつ、なんとか勢いでごまかそうと、女の子の恥じらいを忘れかけているようだが、……このまま暴走させるのも不憫なので、さっさとトドメを刺してあげようと僕は言う。
「で? どうやってパスワード破った」
「それは、カケルが机の一番上の引き出しに入れてる、パスワードのメモ帳をこっそり見ておいて……じゃない! やってないわ! 私は無実よ! ジャージのポケットに入れてあったスマホを取る時、うっかり脱ぎすてたカケルのパンツになんか触ってないわ。誤解よ。試しに匂い嗅いでみたのは汗を書いたTシャツの方よ」
「おまえ! そんなことまで! 返せ! 僕の純血を返せ!」
「誤解よ! 何よいいがかりよ! ジャージをほっぺにスリスリしたのだって、素材の感触確かめるためよ。私も同じ素材の買ってみようかしらって思ってたのよ! だからよ無罪よ!」
「なんだと! お前本当にパンツには何もしてないんだろうな!」
「…………………………」
「なんだ! 何で黙る!」
「…………………………」
「おい、何か言ってくれ! してないって言ってくれ!」
「…………………………」
僕は、コン子の両肩を掴み、懇願するように彼女に向かって訴えかけるが、
「…………………………しっ」
口を尻みたいな形にしながら、斜めを見て僕に目を合わさない幼馴染はなんだか不穏な単語を口走りそうになっている。
「『しっ』?」
「…………………………しちゃっ……」
「『しちゃっ』?」
僕らは沈黙して見つめ合う。
何だがこれ以上聞いてはいけない。そんなギリギリの崖っぷちにいるような気がした。
でも、目の前の深淵に見入られたコン子は、思わずそこに落ちて行きそうになってしまっているようだった。
まずい。
まずいよ。
僕はそれを止めるため、
「パ……しちゃ……」
「うわー!」
コン子の口を塞ごうと手を伸ばしかけるが……
「はい! そこまで! そこまで!」
気づけば、大騒ぎをしていて、クラス中の注目を集めていた、僕らを、
「夫婦漫才はそのくらいにしといてね! ホームルーム始めますからね!」
止めてくれたのは担任の御曽路美子先生なのであった。
——クラス全員から生暖かい目でじっと見られている僕とコン子。
我に返った僕らは、顔を真っ赤にしながら下を向き黙る。
なぜか理不尽に僕の頭をコン子に小突かれる。
ああ、その時、スマホは指紋認証に替えようと、僕は固く思うのだった。
*
で、そんな大騒ぎの後、ホームルームを終え、帰宅部である僕はそのまま、学校から退去するのだが、僕は雨降りの中、傘をさして校庭を横切って、校門まできたら深い嘆息をする。
ああ、多分この後のことはコン子にバレているのだろう。
コン子にスマホを見られていたのだとすると、今日のこの後の予定、
「あっ、カケル。待ってた。車を待たせてあるのですぐに行こう」
待ち合わせていたシズ子と彼女の家に行く。
わけあって、秘密で調整していたそんな約束もきっとバレバレになっているのだろう。
うん。
「ちょっと待ったこの泥棒猫! いったいカケルをどうするつもり?」
やっぱり。
振り返れば、鼻息も荒く腕を組んでシズ子を威嚇するコン子の姿と、その横でおもしっろそうに、少し黒そうに見えなくもない笑みを顔に浮かべるミクスさんの姿があったのだった。
なんだが、ウェブレイドの人たちがやってこなくても——騒がしくなりそうな僕の日常なのであった。
僕はまた、深い嘆息をしながら、
「実は……」
今日のシズ子の家へ行く目的をコン子とミクスさんに向かって語り始めるのだった。