Amen
ドラムンベースの曲でよく聞くというか一見そればかりに感じる(実はそうでもないけど)激しく早いドラムのビート。それは一般に、Amen breakと呼ばれるドラムソロサンプルが元になっている。
Gregory Sylvester "G. C." Colemanと言うドラマーにより叩かれたそのビートはAmen, Brotherと言うThe Winstonsの曲の中の一部なのだが、 1986年、Ultimate Breaks and Beatsと言う当時のヒップホップDJ向けの サンプルレコードに収録されたことをきっかけにその後のクラブミュージックで広く使われ始め、レイヴ時代のハードコアサウンドでの多用。そしてそこからサンプラーの進歩と相まってジャングル/ドラムンベースそのものを作り上げたとさえ言える、そんな重要なブレイクなのだ。
このAmen は世界で一番有名なブレイクとも、世界で最も使われているブレイクとも言われる。
疾走感がありながら、ただ勢いだけでなく、うねるようなグルーヴに心が弾む。
思わず踊り出してしまいそうな、絶妙なシンコペーション。半分のスピードで意識聞いてみればなんとなく今度はゆったりとした、チルアウト的な心情も感じられ……
ともかく一言ではいいあらわせられないような豊穣なビートそれが、Amen なのだった。
そんなAmenが使われた曲を、次から次へと僕は聞き続ける。
高校の校舎の屋上。休みの開けた月曜の昼休みに、一人でこっそりと忍び込んだそこで、さっさと弁当を食べてしまってから、手すりに寄りかかって、景色を眺めながら、持って来たプレーヤーにはいった曲を僕はずっと聴き続けているのだった。
葉羽市の自然がずっと見渡せるこの屋上。ここでこうやっているのが僕は好きだった。
この街が好きだから。好きなこの街がずっと見渡せるから。
高台にある学校の、さらに屋上。ここから自分が育ったこの街が一望できるのだった。
ずっと遠くまで見渡すことができたのだった。梅雨の晴れ間とは行かずに、曇天の暗い空だったけど。
でも、自分の育ったこの街での生活を思い出しながら、Amenブレイクの豊穣なリズムの中にその経験を織り込んでいくのだった。
——つまりリズムに自分を織り込むのだった。
リズムを自分の経験そのものにする。
経験がリズムになるのだった。
僕がリズムになるのだった。
——そう思うのだった。
そう思えば、——そうなのだった。
リズムとなった僕は、この曲たちをつかったミックスの構想を頭の中で練る。
僕はビートになって、リズムを作る。
僕がバスドラムで、ハイハットで……
うん。自分がなんだか意味のわからないことを思っていると言う自覚はある。
でも僕は、今、自分が心の中で音の粒子になって、Amenのグルーブを作り上げる、——僕の生がグルーヴそのものとなって再構築されるのを感じるのだった。
僕は思う。
この感覚、僕は音になり、世界に溶け込んで、ならば僕の生が世界を揺らし、揺れた生はまた新しいグルーヴを作る。
僕は、その感覚に、その自分が生まれ変わるような体験に夢中になっていたのだったが、
「カケル……夢中すぎ……」
「えっ?」
景色を眺めながら音に没頭していたところを、肩を叩かれてハッとして振り返れば、
「シズ子」
そこにいたのはクールモードのシズ子であった。彼女の本当の姿をもう知った僕にとっては、なんだかちょっとよそよそしく感じないでもない顔つきで、
「これ……」
シズ子は僕に何かクッションの入った袋に入った硬いものを渡してくる。
中身をちょっと取り出して見ると外付けのハードディスクだった。
「お父さんから」
それは金曜の夜からのドラムンベースミックスの特訓の音響解析の結果データのようだった。
それは、十時間にも渡った僕のミックスの全録音データの他に、音圧、音律、音色様々な観点から分析した解析データおよびそのAI分析による問題点や改善点の指摘などが入っているはずで合った。
このハードディスクを僕は家にあるDJコントローラにつなぐことで、前の特訓のデータを照合して、家で適切なAI指示を受けながらさらなる練習ができるはずであったが……
「カケル、大丈夫?」
心配そうなシズ子の目であった。
「…………う……うん」
シズ子の質問に生返事を返す僕。
いや、彼女が心配する通りだ。僕はかなりの機械音痴なのだ。たぶん言われた通りにコントローラーにハードディスクをさすぐらいはできるだろう。でもそのあとに、適切に設定して、そのAI指示を受けた内容を理解できるだろうか?
正直不安、と言うか、多分何か失敗してしまうような気がする。
ならば、一番良いのはまたシズ子の家に行って、求道さんの指導を受けながらもう一度特訓をすることであった。
でも……
だめだな。
と僕は思った。
なんだかシズ子の家というかフールズゴールド社は、ウェブレイドから何か重要で急ぎの依頼を受けたようなのだ。そしてそれはきっと、あの天音に見せられた別の世界の未来と、この世界が同じようにならないために必要なことであり、邪魔するわけ家にはいかない。
だから僕は、自分の家で練習するしかないのだが——どうにも自分の腕でそれをうまくやる自信に今ひとつかけるのだった。
ならば、
「じゃあ、私、行く」
「行く?」
「カケルの家に、私行って手伝う。練習」
シズ子のその申し出を断る理由などはないのだった。
僕は、シズ子を呼んだなら当然想定すべきだったひと騒動が起きることを深く考えもせずに、
「是非! なんだったら……」
「なら行く。今日」
と言うシズ子の言葉に、大きく頷いてしまうのだった。