コン子の決心
母さんの墓参り?
突然のコン子の申し出であった。
別に今日はお盆でも彼岸でもないし、何か法事のある日でもないと思う。
なんで?
それが彼女に墓参りに行こうと言われて、僕が思った最初の言葉だった。
僕には、コン子の唐突な申し出の理由が僕には良くわからなかったのだった。
でも、
「金曜の夜から、シズ子のお母さんと色々話したじゃない——あの人、美希さん、カケルのお母さんの親友だったのよね」
なんとなく、彼女の思ってることがわかって来て、首肯する僕。
多分、美希さんとの話で、
「一緒のヴォーカルグループで、対業羅の最前線に出てなんども死線を越えた……そんな人と一晩話して、いろいろと教えてもらったわ。カケルの生まれる前のことから、生まれたばかりの頃のこと……で、私が知ってるカケルのお母さんの記憶にそのあとにつながるはずだけど——わからなくなったのよね」
色々と思うところがあったようなのだった。
だから、
「私は、あの人のことを——ちゃんと理解していただろうかって」
コン子は確かめなければならないと思ったようなのだった。
小さい頃は(と言うか今もだけど)毎日のように僕の家に遊びに来て、家族以上に母さんと親しくなったコン子だった。だから、僕の母さんのことは良くわかっていると思っていたコン子だった。
でも、家族以上に親しいからって言っても、コン子は僕の家族そのものではない。そうであれば、知らない、僕の母さんの一面もあるはずなことに美希さんとの話で気づき、——また、そんな幼き日に思っていたことと、成長してから考える今の考えは、また変わって来る。
つまり、昨日から、コン子がわかっていたと思っていた母さんと、現実のの違いが気になってくれば、
「私、お願いされたこと、ちゃんと理解しているのかしら……」
病床の母さんから言われた、僕を頼むと言われた言葉、その意味をコン子なりにもう一度考えたくなってきたようだった。
コン子が思っていた、思い出の中の僕の母さんと、今改めて思う僕の母さんのイメージのズレ。それをスッキリさせたくなったようなのだった。
「だから、私はカケルのお母さんに会って見なくちゃいけないような気になったの」
だからいきなりの墓参りなのだった。
死んだ人にはもう直接会えないならば、せめて墓前で、コン子は何か考えたいようなのだった。
ならば、僕らはすぐに出発をした。僕らは、今日は梅雨の晴れ間でとてもとても良い天気の葉羽市内を、自転車にのって駆け抜けたのだった。僕らは、市内を流れる川沿いの堤防の上の自転車道を、二人並んで、何も喋らずに自転車を漕いだのだった。
太陽が照らし、波打ちながら流れる川はキラキラと光った。それを眺めながら、時々横を向けば、なんだかいろいろ物思い、キリッとした表情になっているコン子。
その様子が新鮮で、——その真面目でまっすぐな表情に、なんだか彼女の新たな魅力を見つけたようで、ドキッとして顔を少し赤らめてしまう僕。
すると、視線に気づき、自分がどうかしたのかと、きょとんとしたような表情で僕の方に振り向くコン子。
僕があわてて目をそらすと、それを不思議そうに首を傾けながら見るコン子。
——そして、なんとも甘くも苦い、心地よい一瞬の沈黙のあとに、ふたりとも前を向いて自転車を漕ぐ。
僕らはそのまま十数分、川を遡って、右手少し先に見える市街地も通り過ぎ、昔はお城があったと言う山の麓、夏に向けて鬱蒼と茂る林を背にした、お寺に到着するのだった。
*
古色蒼然、味わい深い雰囲気を醸し出す本堂の横、ゆるい傾斜地に墓地があった。
僕らは本堂脇の水場でバケツとブラシを借りて、霊園の案内表示にしたがって目的の区画まで歩いて行った。
「まずは、お墓綺麗にしなくちゃね」
「うん」
僕らは母さんの家の代々の墓に水をかけて丹念に洗い、そのあとコン子が持って来ていた花を墓前に捧げた。
水に濡れた墓石は、初夏の強い太陽の光を浴びてキラキラと光り、それを見た僕らの笑顔もキラキラと光った。
そして、
「……教えてください」
墓に手を合わせ祈る、母さんに問いかけるコン子だった。
「私は……」
そのままじっと目を瞑り、僕には聞こえない小さな声で、何事かずっとつぶやき続けるコン子。
そして、そうやって、何分も、もしかしたら十分以上も、ずっと目を瞑りその場に建ち続けていたコン子は、突然目を開けると、何だか迷いが晴れたかのような晴れ晴れとした表情になると、
「うん。わかったわ」
とはつらつな口調で言うのだった。
——僕はその言葉がちょっと気になった。
わかった? 何がだろう?
コン子は何を、心に決めたのだろう。
僕は、その内容が気になって、彼女のことをジロジロと眺めてしまうが、
「んっ? わかったって言ったって大した話じゃないわよ」
コン子は僕の期待を裏切ると申し訳ないと思ったのか、困ったような顔をしながら言うのだった。
「私は、私なんだから……私がやることしかできないんだわ。難しいこと、考えてもしょうがないわ。カケルのお母さんのことは、私は、私が知ってることしか知らないんだし……私はそこからしか進めない。私ができるのは結局、——私ができることだけなんだわ」
なるほど……
まあ、コン子らしい、なんとも、芸もないが、嘘のない決心であった。
僕は、そのコン子の言葉を聞いて、にっこりと微笑む。
彼女が、彼女らしいことが、何とも言いようがなく、嬉しい感じがしたのだった。
すると、そんあ僕の嬉しそうな顔に向かって、彼女もにっこりと微笑みを返す。
それは、随分と晴れ晴れとした顔であった。
コン子が母さんに問いかけて、どんな答えを返してもらったのか分からないが、それはちょっともやもやとした彼女をすっきりとさせてくれたようだった。
でも、
「うん。だから私はもう自分に嘘をつかないで、カケルのため、カケルに一番良いことを……するとやっぱりミクスとか……」
なんだか結局いつも通りのことを言い出しそうなコン子であった。
まあ、でも、こいつは——こいつ自身が今言ったように——こいつでしかないのだし、そうやってなんども自分に問いかけながら思いをまとめてもらっていけば、いつか僕の方が……
「んっ、どうかした? カケル?」
なんだか、今度は僕の方が余計なことを考えてしまい、緊張してしまって、唾をごくりと飲み込んで、手にうっすらと汗をかいてしまっていた。
「いや、なんでも……」
僕はそれをごまかそうと、
「ともかく……じゃあもう帰ろうか」
とか言ってこのままここで余計な話にならないうちに帰ってしまおうと思うのだった。
すると、
「……まあ、いいけど」
それにコン子も同意して、軽く首肯してくれるのだった。
「それじゃあ……」
なので、僕は、自分が拙速な行動をしないようにこの場から去ってしまおうと思い、軽いアイコンタクトをしてそのまま振り返って歩き出そうとするのだった。
しかし、その瞬間、
「ふん、小娘よ。それでお前はスッキリしてるつもりかもしれないが、それはお主らの世界の言葉で言うところの偽涅槃と言うものだな」
「はい?」
振り返った僕は、そこに立っている女性を見て愕然とした。
「こんな女性に思うがままにさせておくとは、婿殿もずいぶんと下々のものに甘いのではないのかえ」
そこにいたのは、この間、僕らを散々苦しめたこの世にあらざる至高の存在——天音なのであった。