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ある日、地獄に招かれた  作者: 梶 央実
9/20

悪夢の始まり

山本の話は、今度はご主人の話になった。前々から仕事に反対されていたのだが、昨日帰宅が遅くなって、子供の迎えが出来なかったことでもめたとのこと。

「確かに、子供のことはきちんとやるといったわ。でも主人だって親じゃない。少しは協力したっていいじゃあない」

「そうね」と言って、うんうんとうなずく。 

そこへ、またあの音が聞こえる。

あの、《ザシュッ》という音が

だんだん頻繁に

だんだん大きくなってきた。

気持ち悪い。口を押さえた私に、山本が何事か言う。心に反して大丈夫よ、げっぷが出そうになったのと答える私がいる。

これは何だろう。実際の私は怯えている。

冷や汗がつたい

鳥肌が立ち

山本の話は耳に入っていない。

―逃げたい。ここにいたくない、怖い!―

それなのに、笑っている私がいる。

本当の私は頬が強張り、顔色も変わっているはずだ。

それなのに、笑っている。

山本の話は終わらない。

人型のラジオのように、俯き加減になり、口以外はピクリとも動かない。

怖い

こわい

居ても立っても居られない焦燥感にかられる。席を蹴って立とうと思うが、動けない。思わず見回した体には、びっしりと塵のようなものがついていた。

この塵には、見覚えがある。

何か悪い、怖いものだ。今度こそ、悲鳴をあげそうになった時、

何か大きなうねりの様な感覚が伝わってきた。

次にはっきりとした悲鳴。

山本も人間に戻り、腰を浮かす。

「なんでしょう?」と山本が不安を口にした瞬間、

人が来た。

髪を振り乱し、蒼白になった人が。

私たちがいる喫茶店の前を必死になって駆け抜けていく。

車道にはみ出た人を轢くまいと、車の急ブレーキの音が響く。衝突する音が響き、響き渡った。

そして、

悲鳴。

悲鳴。

「逃げよう」

山本の手を取り裏口に向かおうとした時、それは来た。

ふらりと現れたその若い男は、特に目立つ人物ではなかった。

鼻筋が通った切れ長の目の持ち主。がそれだけだ。ほかに特に特徴はない。

中肉中背のいや、少しやせ気味の男だ。ジーパンにタンクトップを着ている。髪はザンバラであり前髪のみが長い。無論、パーマなどかかっていない。

眼鏡をかけているが、ごく当たり前のメタルフレームのもの。流行からは外れているがごく普通に見られるもの。

ごくごく普通の目立たない男。

それが

両手に光るものを下げて、その光るものに血と思しき赤黒いものをつけて現れた。

日本刀に、ゲームに出てくるような剣。

瞬きをしない目が、彼の異常さを物語っている。

山本の身体が強張るのが手から伝わってきた。それをきっかけに無理やり引っ張るようにして走り出す。

私は営業用のパンプスを履き、山本はピンではないがヒールの靴を履いている。高い音がコツコツ響き渡る。

嫌に耳につくその音を聞きながら、大丈夫大丈夫とぶつぶつ呟きながら走った。

彼は視線を真っすぐ前に据えていた。私たちは店舗の中にいた。彼の横顔を見た私たちの方に来るはずがない。

なのに何だろう。この異様な焦燥感は。

副都心といわれる繁華街はきらびやかだ。あちこちにショーウィンドが展開され、音楽や車両の音が絶えず響く場所。ここにはいつも大勢の人が行きかう。

しかし、いま周りに人はいない。手を握ってなければ、山本さへ存在していないかのようだ。

あい変わらず良い天気で、明るい日射しが降り注いでいる。しかしこの状況はまるで、暗闇の中を逃げ回る悪夢そのものだ。

悪夢?  

 悪夢なの?

 なんだ、じゃあ大丈夫だわ。夢と自覚すれば、コントロール出来るようになるし。

 その時、夢の中の登場人物にすぎないはずの山本が

 「香菜子さん、私、もう、走れない」

と、切羽詰まった声を出した。振り返ると

 あの男が

 あの横顔の男が

 走ってきていた。

 その姿を目にした途端、山本は声にならない叫び声を上げ、へなへなと崩れるようにその場で丸まってしまおうとする。

 そうしている間に、男は得物を両手に下げたまま、あっという間に接近しつつあった。

 「駄目よ、立って!」

 「もう、もう駄目、私、もう、もう死ぬのだわ。」

 「貴女母親でしょう。しっかりしなさい!」

思わず普段使わないような命令口調の言葉を叫ぶ。

 でも効果はあったようだ。フラフラと立ち上がると、ヒールを脱ぎ捨て私に縋りつくようにしながら走り出した。

 山本の震えが私にも伝わってくる。鼓動が速くなり、冷静さが失われていく。

 何が何だか分からなくなり必死に走る。

 奇妙にさわやかな紺碧の空。

 人っ子ひとりいない都会の道。

 追い立てられ、足をもつれさせ

 背後から迫る足音を聞く。


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