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ある日、地獄に招かれた  作者: 梶 央実
4/20

秘密ー嵐の前ー

 目が覚めた。

 なんだかまだ薄暗いようだ。あれ?そういえば私入院していなかったかしら?それも夢かしら?夢を見ていたのね。まあ、いいわ。もうちょっと寝る時間ないかしら?なんかスリリングな面白い夢を久しぶりに見ていた気がするけど、ハッピーエンドにならなかったから続きを見たいわ・・・などと思いながら枕元にあるはずの時計代わりの携帯を探す。

 あれ?ない。

 どころか、慣れ親しんだ自分の布団でもない。がばっと起きようとして体中が痛い事に気付いた。手を見ると指やら何やら包帯を巻いてある。ゆっくり目を凝らすと天井も壁も見たことがない、岩のようだ。

 どうしようーこういう時、考える間もなく悲鳴が上がる人が羨ましい。ここが病院のような見知った場所ならまだしも安心したはずだが、怪我をして寝ている場所が全く初めての時の対処法なんて知らない。

 泣きべそをかき始めた時に、ハスキーな声がした。

「目が覚めたな。お前バカだなー。怖いのかよ。べそなんかかいて」

とズケズケ―と言ってくれる。

「あんまりズケズケ言わないの」

「そういう白だって、俺に賛成って顔に書いてあるぜ」

口喧嘩をはじめる白と黒の代わりにショウが口を開く。

「よく頑張ったよ」男性なのに、ラード―ンと戦えるほど勇敢な男性なのに、ほんわりと笑って労ってくれる。

「…ありがとう、でも失敗しちゃったわ、木の実投げられなかった」手元ばかりを見つめてしまう。

「失敗なんてしていないさ、ラードーンに釣り上げられて、血の海の上に行った時、実を海に投げていたよ、その様子だと落としちゃったのかな」

いたずらっぽく笑われてしまった。顔が赤くなる。

「意地悪ね」

「そう意地悪なんだ」と言って声を上げて笑う。こいつ結構、女たらしかもしれないと

考えると

「女たらしか、初めていわれたよ。」と笑われた。

変な気がする。ショウの性格がおかしいとか、そういうことではなく、私、今喋っていたかしら?

すぐにショウは、正に「しまった」という失敗を恥じて戸惑い反省する行動をとった。おどおどして、ごめん、と頭を下げながら言う。では、やはり、そうなの?心臓がどきんと鳴った。かーっと体温が上がる、恥ずかしさと怒りで体が震える

「―いや、違うな、申し訳ない。悪気があるわけではないんだ。その、久しぶりに白と黒以外の人間を見たから、ああ、そうじゃないな。」しどろもどろである。汗をかきかき、必死に弁明する。

「慣れていないんだ、ここではこれが普通で、ああ、納得できないよな。」ラード―ンと戦っていた時よりも、眉間のしわが深くなっていく。こんな風にされると、私は怒りが続かない。怒りの気持ちがすべて晴れたわけではないが、笑いそうになった。

しかし黒は「どうかしたか?」と本当に不思議そうに、ポカンとした顔で私たちの顔を見比べる。子供らしい顔で私が何を気にして、ショウが何を謝ったのかわからないという顔だ。唖然としていると、白が

「もしかしたら」と話し始める。知識としては知っているという感じだ。やはり理解できないという風情である。小首を少し傾げ、

「心の声を聴いたのがいけなかったの?現世(うつしよ)の人は心の声を聴かれるのを嫌がると聞いたことがあったわ。でも大概の人は、口で発する声と心の声は一緒でしょ。違うとしたって両方聞いた方が誤解しなくて済むし、うまくいくわ。みぃとは久しぶりだったから、心の声を聴かないと心配だったのよ。」

あまり価値観の違いに茫然とする。段々に顔が強張るのが分かった。うまく利用されていたのだ。尊重され大切にされていたわけじゃあない…そう思ったら涙がこぼれた。

「みぃ、あのね、」戸惑いがちに白が呼びかけてくる。

「やめてよ、私には秘密ばっかりのくせに、わ、私ばかり…だ、大体、私は白と黒なんて知らないわ!」

白と黒がショックを受けたのがわかった。でもこの程度だ、具体的に何にショックを受けているのかは私にはわからない。私を傷つけたことなのか、私が知らないといったことなのか。

「あっちに行ってよ、傍にいないで!」

ショウに促され、白と黒がおろおろしながら部屋を出ていくのが分かった。ショウが出ていく間際に振り向いて、

「白と黒が、こんなお人形のような姿なのは、中身もお人形のような愛らしい純粋さで出来ているからだよ。それだけは知っていてほしい。」そんなことを言った。


皆が出て行って一人になると、孤独がすべてを支配した。

涙で滲んだ眼で手の包帯をぼんやり見る。みじめさが心の中に深く沈んでいく。

私はいったい何をしているのだろう。

手を持ち上げて目の前に広げてみる。指の間に何か見える気がした。ぼんやり見ていると母の姿が揺らいだ。驚いて手を下げると、がらんとした岩壁の部屋が見える。

震える手を持ち上げた。また指の間に映像が見える。

入院しているはずの病院のようだ。母の姿が見えた、小さく弱弱しく老人用補助カートにすがって立っている。その姿がペコペコと頭を下げている。相手はぼんやりとしか見えないが背格好から、所長とマネージャーの様だ。二人が出ていくと母が近寄ってきた。そして枕元の椅子に座ると、顔を覗きこみ

「全くお前って子は、心配をかけて」部屋中に声が響いた。手を下げても声は続く。

「どうしてこう粗忽ものなんだか。自転車にぶつかるなんて。また、ぼんやりと歩いていたんだね。困った子だ、人様に迷惑かけて…」

「・・・迷惑・・・」

ゆっくり手を上にあげた。映像は見えてこないが声は続く、手を握りこんで目に当てて蹲る。声は続く。

「困ったね、どうしたらいいんだろう。全くお前は困った子だよ。」

母なりに愛してくれてはいるのだろう、いつも心配してくれて何くれと無く世話を焼いてくれる。でも何か起こると悪いのは必ず私だ。相手が悪くともきっかけを作ったのは私だと思うのだ。

私の帰るところは、どこなのだろう。あそこには、現世には、帰りたくない。義務と評価と信頼のない愛情のある所には。それともこれは、やはり私が悪いのか、人生の越えなければならないハードルを(具体的にはわからないが)幾つか、乗り越えられないで来た未熟な私が悪いのか。

どのくらい、そうしていたのだろうか、考えるのにも疲れて、じっとして膝を抱え、ぼんやり部屋の中を見ていた。

すると、そっと扉が細く開いて、白がスルリと忍び入ってきた。8畳くらいの広さの部屋の中央にある私の寝ているベッドに、そろりそろりと向かって来る。手に何か抱えて下を向いたまま、音をたてないように歩いてくる。恐らくベッドの脇の小さな木のテーブルに、手に持っているものを置いて戻るつもりなのだろう。

一瞬たりとも目を上げない、ひたひたとした動きから、非常に緊張しているのが見て取れた。いつもより小さく見える体が悲しい。

ふと、白が見上げた時に目があった。文字通りぴょんと飛び上がる。

唇が震え、2~3回、開いたり閉じたりした。そしてきゅっと唇を閉ざすと、視線をそらし荷物を置く。

「これ着替えよ。みぃが着ている服は破れちゃったし、お風呂に入って着替えたら気持ちいいだろうと思って」体ごと私に向き直ると、眉間にしわを寄せ、下向き加減で視線を揺らした。大人の表情だ。

「わ、私、みぃがこんなに嫌がるとは思っていなかったの。隠れ鬼のときに数かぞえるのを誤魔化したり、おやつの大きいのを食べてしまったりした時みたいに、怒るけどすぐに許してくれると思っていたの。た、大したことじゃあ、ないと思ってたの」段々と早口になる「だ、だって、ここでは姿も心によって変わるし、う、現世は違うと聞いていてもよくわからなくて、それで…」袖口と袂を一緒に握った手が震える。この子は泣かないのだなと思う。先ほども大泣きしたのは、黒だった。白は涙を一つだけこぼしたのだっけ。

ふと、先ほどのショウの言葉が耳に響いた。中身もお人形さんのように愛らしく純粋だから、外もお人形のようだと。

私が黙っているからだろう、おずおずと見上げた表情は子供らしさに溢れていた。

気が付くと、自然に手が動いて頭を撫でていた。

ちょっとビックリしたらしく、目を見開き私を見つめる白に、これは私からいいたかったので言った。

「仲直りしてくれる?」

「うん!」子供らしい応えが帰ってきた。

 

扉の隙間から様子を見ていたらしい、黒とショウも集まってきて作戦会議になった。

作戦といっても何か具体的なことがあるわけではない。ラードーンの目を盗んでりんごのような実をあと9個取るだけだ。

「やはり僕がラードーンの気をそらしている間に、採る以外ないと思うけど。」

「俺もショウを手伝うよ。」

「有り難い申し出だけど遠慮するよ。」

「えー、どうしてだよー」

「忘れたの?この前は手伝うどころか、ラードーンに銜えられ飛び回られて、大泣きしたのは誰だったかしら?」

「で、でもあの時、実はいっぱい採れたぞ。」

「自らを犠牲にして、貢献してくれるというのね。」

とまた喧嘩を始める。ショウはやれやれと見やると、

「ほかに方法はないと思うから、今度ははさみを上手く使ってくれよ。」

「い、意地悪ね」というとまた笑った。

「そ、それから」と思い切って手を上げた。三人が一斉に注目する。

「私の心はなるべく読まないようにお願いするわ。」

緊張し、手に汗かきながら抗議すると、

「わかった」と三人三様の声でハモリながら答える。

「そうやって、ちゃんといってくれてうれしいわ。」

「そんなことが気になるなんて、変だと思うんだけど…あ、ちゃんと気を付けるよ。」

ショウは無言で微笑んでいる。

「きちんと自己紹介しておくよ、五香翔一と言うんだよろしく。」

「門岩香菜子よ、よろしくお願いします。あの五香ってもしかして、」

「関係ないよ。」と侮蔑の色もあらわに言い置くと、すっと席を立って出て行ってしまう。お天気の話をする感覚で聞いたのだったが、思いがけない反応である。何か胸騒ぎのようなものを感じずにはいられなかった。それとも立ち入りすぎたのかしら?

とにかくと、白が気分を変えるように話す。

「奥の部屋はお風呂があるから、ゆっくりお湯を使って落ち着いてきて。」

「溺れるなよ~」

いつも人をからかう黒には枕を投げてやった。


 風呂場と言われたところに入ると、呆気にとらわれた。作りは粗雑だが、ここは所謂、源泉かけ流しの温泉だと思う。赤黒い血の池の傍にあると思われるのに、透明で豊かなお湯が岩をくり抜いただけの湯船に満たされている。よく見ると底の方からお湯がコポコポ湧き出していて、見ていて気持ちいい理想的な温泉だ。

 そのお湯で髪を洗い、身体を洗って湯船の中で身体を伸ばすと、緊張がほぐれ改めて今日の事を整理して考える余裕が出来た。

 まず、仕事の後自宅近くを歩いていたのは確かだ。その後、いつも立ち寄るコンビニも無視して通り過ぎた。ここまでは確実に覚えている。

 そのコンビニのあるビルの角を曲がると、私のマンションに至る細道だが曲がった後の記憶がない。どうしても思い出せない。

 さっき見た夢?では自転車にぶつかり脳震盪を起こし、裂傷に骨折、少しは入院しなければならない。筋が通っていて、現実と思われるが、何かにぶつかった衝撃の感覚も忘れてしまうものなのか。

 本当のところ、私に何が起こっているのだろうか。

 ずるずると風呂の中に頭まですっぽり沈み、湧き出てくる水の流れを見るともなしに見ていたが、答えは出ないと確信だけが得られた。

 仕方ない、とにかく皆が待っている。それに何が何でもここでは、木の実を投げる課題をクリアしないと先には進めないらしい。いつまでもあまり美しいと言えない場所で、同じことをぐるぐる繰り返す事はごめんだ。やらねばならないことは早く終わらせてしまおう。重い体を湯船から引き上げ、岩肌にはめ込まれていた鏡を見た途端、パニックに襲われた。

「白、黒、ショウ!誰か、だれ、い、いや白来て~」

 絶叫した。

しかし来る方はのんびりしたものである。いや予想していたのか?風呂場には来なかった二人も風呂場のすぐ外まで来ているらしい。何か楽しそうな雰囲気が伝わってくる。

 白もまた笑いをどうにか堪えているのが、ありありとわかる様子で入ってきた。肩で切りそろえたおかっぱが揺れている。

「顔、顔が違うのよ。私の顔じゃあないの。何がおかしいのよ!」

「まあ、落ち着きなさいな。」

「他人事だと思って、うえ~ん」

 わんわんと泣いてしまう、涙がどんどん溢れてきて止められない。

 さすがにこれには白も面食らったとみえて慌てて笑いをひっこめた。

「ちょっと、ああもう、そんなに泣かなくて大丈夫よ。よく見てよ。ちゃんとみぃの顔だから。ほら。」

と言ってどこかから手鏡を出してきて渡してくれる。そのまま背を撫でてくれる手に励まされ、息を整えて手鏡を見た。

 じっと見ると確かに私の顔ではある。しかし近頃気になってきた白髪は全くない。あばたやらしわやら何もない。白、いわく、

「嬉しいでしょう。若返れて。」

「若返れて嬉しいって、え、それは、でもこれ、ちょっと、だってこれどう見ても高校生よ。」

「何か困る事ある?」

面食らった。でもそう言われると、特に困ることはなさそうである。夢の中だし。

「身体も軽くなっていいと思うわ。じゃあ、支度してきてね」

 市松人形のくせに、やれやれとばかりに肩をすくめるとさっさと出て行った。

 渡された服は、着物やもんぺだったりしたら、どうしようと思っていたが杞憂で済んだようだ。動きやすさを重視した洋服が用意されている。黒のレギンスに黒のTシャツにピンクのチェニックという出立ちである。

 着替えて改めて姿を見ると、嬉しさが込み上げてきた。

私だって、高校生の頃はなかなかイケてる。髪はツヤツヤで黒々しているし、肌もくすんでおらず白い。ずっと職場の若い子がうらやましかった。路上でアンケートを取っていて同じ断られるのでも、白髪がちらほらのおばさんと若い子では、断られ方が違った(と思う)。

でも、この世界は姿も心を映すという。ということは、これはどう解釈したらいいのだろう。心が若く柔軟性にあふれているということか、それとも成長していないということなのか…。

「みぃ、どうかした?」

「ぐずぐずしてんなよ、何してんだよ。」

「黒、口が悪いわ。」

ここは賑やかである。はっきりは聞こえないけど、少し低い声のショウの声もする。

「今行くわ。」

答えた声が、思ったよりも若くウキウキとしていることが分かった。そうだ今はこれでいい、後で考えよう。楽しいことに集中しよう、あとはどうでもいい。

急いで戻ると 靴には地下足袋の様なサンダルを用意されていた。

抗議すると「木に登るのよ」と一撃のもとあきらめさせられる。ショウが笑い含みで「似合うよ」といってから

「緊張しなくても、さっき採れたのだから今度も採れる。ラードーンは任せてくれ。」と笑う。その顔も手も傷だらけである。

「ありがとう、でもショウも気を付けて。」

「僕は大丈夫さ、傷も大したことはない。そんな顔しなくても大丈夫だよ。」

「でも、」

「白や黒が言うように、みぃは、本当にやさしいな。」突然何を言うのかと思うと

「さっき、みぃが石を投げた時、君は本当に怒っていたのに、石は届かなかった。君が人を傷付けることに抵抗のない人間だったら、石は必ず届いていたよ。この世界はそんな世界なのさ。だからこの傷も、半分は僕の意志さ。」

「それはどういうことなの?」

「君は何も心配せずに、白や黒を喜ばせることだけ、考えていればいいということだよ。まあ、女性は木登りだけで大変だけど。さっきもパンツ丸見えだったし。」

「ばかぁ」

 ショウガしまった!と慌ててしゃがみ込むのが見えた。


怒りというのは時に役に立つ。不安な気持ちを遠ざけ、やる気にさせてくれる。

怒りのまま、ずんずん歩いて行くといつの間にか、不思議な温泉付きの岩屋からもとの《血の池地獄》に戻ってきた。

先程よりは異様な臭いや熱、風景を見ても動じないでいられる。これなら木の実がどんなに揺れても採れそうである。

三人はばたばたと追いつくと三人三様の言葉を一斉にしゃべった。

「お、やる気じゃん。」と、黒。

「一人で先に行かないの。」とは白。

「ラードーンに気付かれる。早く木の下へ。」

ショウは、言うが早いか強引に私の手をとって走った。目も丸くする間もなく木の下に着く。すると、ばつが悪そうにスッと手を引いて口を開いた。

「さっきも言ったようにラードーンは木の守り手だ。だから木を傷つけるようなことはしない、その上、地上を歩くようなこともしない。つまり木の下でじっとしていると安全なのさ。」

「へえ。」怒っていたのも忘れてつぶやく。木の下に近づくのは許すけど、実をとるのは許さない。変な条件、守ることはかなり大変そうだ。

 見上げるとラードーンは木のはるか上空、豆粒に見えるような大きさになってぐるぐる旋回している。雲間からの光を浴びて輝いている。美しいが恐ろしい姿だ。

また、これから先ほどのような騒動が始まる。そう思うと緊張して、どうでもいいことをしゃべりたくなった。

 「ギリシャ神話だったわよね、神の木を守る怪物が出てくるのは。」

 「そうだよ。よく知っているね。」

ショウが小学校の先生の様な顔をして微笑む。

 「当り前よ私たちのみぃよ、博学なのよ。」

と白黒二人揃って、自慢げに胸をそらす。何を自慢しているのと思いつつも、こそばゆい嬉しさが体を満たした。

 「あの木はその神話にある木と同じもので、お地蔵さまが一本この地に譲り受けたそうなの。」

 「へえー。そうなの、お地蔵さまが。」

なんだが間抜けだと思ったが、そんな言葉しか出なかった。

 「木の実は、神の永遠さを保つ食べ物だったと思うよ。」

 「それで怪我も一瞬で治るのね、それにしても木なんてどうやって運んだのかしら?」

と言った途端、黒の大爆笑が始まった。

 「なによー。私そんな変な事言った?」

 「や、いや。でもなんか、はは・・・」

 腹を抱えて、ヒ―ヒ―いいながら木の下の狭い範囲を器用に転げまわる。最初は呆れた気分で見ていたが、次第に少し腹が立ってきた。

 「いい加減にしてよ。白も何か言ってやって。」

と視線を向けると、こちらも笑いを堪えて震えている。

 「なによ。もう木の実を採るのやめるからね、黒のせいだからね」

 「ちょ、待った、待った。悪かった。俺が悪かったよ、ごめんなさい。」

言ったと同時に頭を勢いよく下げる。面喰うほどの勢いだ。ちょっとからかってみたかっただけなのに、それほどまでに木の実を採ることは重要なのか。 

黒は謝ってはみたものの次第に頬を膨らませ、

「みぃ、今、俺のことからかったな。小さかった頃のみぃは、そんなことしなかったのに。そりゃあ、今は小さくないけど。一人だけ大人になって、ずるいぞ。」

「?」

「黒、いい加減にしなさい。みぃも、もういいわね。」

「え、ええ」

何か気になる事を聞いた気がしたが、白に遮られてうやむやになった。

曖昧ながらも、もともと喧嘩する気など毛頭ないので、この言いあいはこれで終わりという意思を表すと、白は明らかにほっとし、ショウまで溜息をついた。

そして唐突に、

「そろそろ、ラードーンもフラストレーションが溜まってきたようだよ。」

見上げると、豆粒のようだったドラゴンが樹上数メートル程度にまで降りてきており、ホバリング状態でこちらを睨んでいる。

「えっと、その頑張らないとね。」

両手を胸の前でグッと握ってみる。

「お願いします。」

と、珍しく黒がちゃちゃを入れずに言ってきた。思わずジッと見てしまう。

 「なんだよ。俺、今回は変な事何も言ってないぞ。」

 「ほらほら、もう話は終わりよ。みぃ、頼んだわよ。」

 しっかりうなずいて見せた。

 しかしホバリング状態で睨んでいるラードーンを前にするとやはり緊張する。

すると、優しく肩を叩かれた。

 「僕がまず木の下から出て、剣でドラゴンの気をひくよ。その間に頼むよ。」

 「じゃあ、一、二の三でやりましょうか。」

 「了解。」

 「一、二の三!」

 声と同時に木に登り始めた。震えていても今回は不思議と足が動いてくれる。思わず口元が綻ぶ。すると

 「余裕ぶっこいてんじゃねぇよ。」

黒からすかさず声が飛ぶ。口の悪さは天下一品である。しかし振り向くと瞳を揺らしながら一心にこちらを見つめる真摯な姿が目に入った。安全な場所にいる彼らの方が、体を固くし緊張している様子である。

目が合うと、落ちつけよというような温かみのある笑みを見せ、体からも力を抜いて見せる。

完全なる七五三スタイルの子どものくせに、白ともども良い意味で老成している。

 反面、いつも温かい笑みと優しい言葉をかけてくれるけど、不安定な雰囲気を纏っているのがショウである。初めて会った時は、ギラギラと怒っていた。

いま木に登りながら戦っている様を見て、一層その感じを強く受ける。

 彼の剣は素人目に見ても上手い。おそらく剣道だと思うが、指導を受けながら長年取り組んできただろうと容易に察せられる。

 かっこいい。決まっている。剣速も早い。身も軽い。ドラゴンの爪をがっちり受け止められる力もある。

 なのに引っ掻かれ、つつかれ血だらけになっている。

 そして、時々見せる横顔。

いや、ふと気づくと一歩離れ、表情を見せないようにしている。

「こらー。集中しろぉ。よそ見しているとショウみたいになるそー」

「まったくね。一度降りていらっしゃいな。そろそろ危ないわ。」

 白の声が終わるか終らないかのうちに、ラードーンの咆哮が、真っすぐ突き刺さってきた。緊張で汗をかいていた手が滑る。

「きゃー」

バサバサ―と木を揺らすとともに見事に尻から着地した。

「痛―い。助けてよ。」

「泣き言いうなよ。尻打っただけだろ。」

「そうよ。今忙しいんだから、ちょっと待ってなさいな。」

 どこから持ってきたのか包丁とまな板を使い、たすき掛けし、きらきら光る糸の手袋をして、私が採った5つの実をきっている。その見事な手際は、見ていて惚れ惚れするほどだ。実を半分に切り、更に切り、更に切りつまり八等分にしている。そうしながら、いつの間にか戻ってきているショウを見て

「もっとこっちに来て。黒、血をこの手拭いでぬぐってやって。」

と、また清潔な手ぬぐいを懐からだし、

「みぃ、傷見せて、ああ、大丈夫ね。浅い切り傷ばかりだわ。」

まさにテキパキという擬態語がぴったりである。

「いいお母さんになれるわ~白」 掛け値なしの讃辞である。嫌味など欠片も込めたつもりはないが、白からはじとーっとした目を向けられてしまった。

「え、あの、ほ、褒めたのよ。変な意味はないわよ。」 あたふたしていると、突然にやりとし、

「私はまだ小さいから、お姉さんでいいわ。なんて言っても家事力は私の方が上だと思うから、仕方ないから、お姉さんになってあげても良くってよ。」

後ろで男二人が「ぶふっ」と吹き出す声が聞こえた。目の前には澄まし顔の白。

 トントントンという包丁のリズミカルな音を聞きながら、自分の心臓がバクバクいうのを聞く。こういう事態に対処するのが一番苦手なのである。別にからかったわけではない。私が幼いころは、目玉焼きでも作ろうものなら「上手ね。いいお母さんになれるわね」というように褒められたのである。そういえば、

「わあ、すごい」とか「上手」とかいう感嘆の言葉が抜けていた。それがいけなかったのかしらーと一人でグルグルしていると

「はい。食べて。」

 ずいっと目の前に実の皮を山盛りにされた皿がつきだされた。おそらく一個分はあるだろう。

「皮だけ?」

思わずつぶやくと、今度こそ包丁がギラリとつきつけられる。

「神木の実の皮よ。皮だけとは何事よ。皮だけだって食べられる人間なんかそういないのよ。感謝して食べなさい!」

「はいっ」

皿を頭上に持ち上げ「いただきます」と言って頭を下げると、また何か笑われているような気がしたが、気にせず食べることにした。

緊張の中食べ始めたが、ひとくち食べたら止められなかった。次々口に入れ貪り食ってしまう。いままで食べたどんなものとも違う。皮らしいパリパリ感もある。

しかし、おそらく目を閉じていたら、果物の皮を食べているとは思わないだろう。風味の豊かさ豊潤さは《木の実》という単語では表現しきれない。この経験した事のない食べ物は、体中に沁みわたり私に涙を流させた。

「え、あれ?」

「神木の実はどう?素晴らしいでしょう?身体を見てごらんなさいな」

いまや小さな慈母と化した白の言葉に従って身体を見渡すと、先程負った傷だけでなく以前からの傷跡まできれいに消えていた。嬉しいような、怖いような出来事だ。のどに何か詰まったような声で

「・・・お尻も痛くないわ。」とやっとしゃべったが

「よかったわね、みぃ。」とニコニコとでも当たり前のような口調だ。

「あら、ショウも早く食べて。」はっとショウの方を見ると、さっと私から目を逸らしたところだった。そのまま静かに皮を食べる。

その様子に「あれ?」と思わないではなかったが、背筋の伸びた美しい正座姿に見惚れてしまった。

そのため、白と黒のショウを見る目に気がかりの色がはっきり映っている事に気づかなかった。

ショウの傷も癒えて、いよいよ木の実を血の海に向かって投げる時が来た。

今までのショウならば、「じゃあ、頑張ろうな」という声かけをしていてくれたのだが、

今は少し下を向き静かな横顔を向けている。そういえば、ショウは泣かなかったな、と思いながら

 「ショウ」

ためらいがちに声をかけた。彼は「ん?」という風に私に顔を向ける。

 「疲れたの?大丈夫?」

 「ああ、大丈夫だよ。そうだな、ちょっと疲れたかも。」

 「これ、投げるとどうなるの?」

 白から手渡された、一口大に切られた実を盛った皿を見つめながら問う。

 「終わったら、この夢から覚める事が出来るかしら?」

 「みぃは、帰りたいのかい?」

 「え?」

 「あ、いや白と黒とも馴染んでいるようだし、楽しんでいるようにも見えたから。」

 「それはそうね。楽しいわ。若くなれたし、本当言うと、帰りたいかどうかわからないの。でもここは怖い。」

 「怖い、か」

 「ショウは怖くないの?」

 「そうだな。怖いのとはやっぱり違う。なんていうか…」

 ショウはそのまま沈黙した。ピシっとした姿勢は少しも乱れないが、俯いた顔が少しずつ変化していく。

 「おいっ。何しているんだよ。早くしろよ。」

 ショウは黒の勢いのよい声にスッと立ち上がると、視線を逸らし背を向けた。

 「始めようか。初めての君には面白いと思うよ。」

 言葉に込められた響きが、言い知れぬ不安を掻き立てた。


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