あなたを怖いとは思わない
うすぼんやりと明るい。
ここどこだろう。
ああ、でも何かいい気持。
とても怖かったけど、今はいい気持ち。
人の声がする。
私を呼んでいるの?
ゆっくり目を開けると
幼い男の子と目があった。
「わあ、起きた―起きた―」
と、歓声を上げて黒が私にかじりついてきた。その声に応えて少し離れた所から、パタパタと誰かが近づいてくる音がする。
「みぃ、良かった…分かる?ここ、岩屋よ。」
白が目に涙をいっぱいに溜めて、嬉しそうに微笑んだ。
「お水、飲みたいわ。」
というと、少し離れたところに人の気配が生まれた。コップに水を注ぐ音がする。静かに近づいてきた。
白の手を借り、上体を起こした私の数歩手前の暗がりまで来たが、それ以上近寄ってこない。黒に
「飲ませてやってくれ。」
とコップを差し出している。顔も俯き加減のようだ。
「ねえ、ショウ。」
ビクリと震える。
「私、大丈夫よ。」
俯いたまま唇をグッと引き結ぶ気配がする。
「そんなはずない。」
「どうして?」
「君の、君の首は避けたが、だが…」
「でも私平気よ。だんだん痛くなくなってきたし。」
「そんなはずない。嘘は言わないでくれ!僕は我を失って、君の首を刎ね飛ばすところだったんだ!」
「でも、飛んでいないわ。」
「き、君は分かっているのか!この世界でも致命傷になるような大きな傷を負うと・・・」
私は唇の前に人差し指を立てた。そして、会社の研修で教わった、最も好印象な笑顔になるよう、両方の口角が同じように上がるように笑った。
「安心して、大丈夫だということが分かっていたのよ。声だけだったけど、信頼できると思ったの。」
皆が目を見開き、言葉を止めた。そして目を見交した。
「来ていたのか…」
「見守っていてくださったのだわ。」
「もうちょっと早く助けてほしいよな。」
「黒ったら、お地蔵さまにはお地蔵様の、」
「わかっているよ、お考えがあるっていうんだろう?」
私だけ今一つ状況を理解できない。気付いたらしい白が
「みぃは知らない?お地蔵さまよ。お地蔵さまだけが地獄まで下りてきて、助けてくださるの。今回みぃに声をかけて助けてくださったのも、きっとお地蔵さまよ。」
「他の神仏は、木を貸してくれたり、枯れないよう力を注いでくれたり、名代として蜘蛛やラード―ンを使わしてくれたりするけど、直接傍までは来てくれないと言われていて。俺もお地蔵さま以外あったことない。」
「黒はあったことあるのね、いいわね。」
「・・・会うだけなら、僕もあったことある。一回きり。」
「そうなの?」
ショウは何か言いあぐねている。思い切って話し出そうとし、言葉を探す。ひどく苦しそうだ、唇が惑っている。
言いたくないことは言わなくていいと思う。だがショウは首を振った。
「僕のせいでこんな目にあわせて、だが、だが・・・」
「ショウのせいばかりじゃあ、ないと思うけど。私だって亡者をやっつけたいと思っているわ。ただ出来なかっただけよ。」
私の言葉にちょっと自嘲気味に笑う。
「君の悪意と僕の悪意じゃあ、レベルが違うよ。君は獄卒の姿を見て、真っ赤になって怒っても、池に石一つ投げ込めなかった。あれを見た時、大事に育てられたお嬢様が来たんだな、と思ったよ。」ちょっと憮然とすると、ごめん、と言って
「誰でも何か事情を抱えている。僕こそ旧家の生まれで、金があって、将来をも約束された、おぼっちゃんだった。あいつ(・・・)は忙しくて家にはあまりいなかったし、僕はスポーツをしていたから手足の骨折くらいは当たり前だった。だから、ちょっとくらい殴られたってよかったんだ。」寂しそうに笑う。「頭だの、腹だの、あいつは意識して避けて殴っていたし、弟や妹が殴られるのを見るよりはよかった。それで済んでいたら良かった。」
ここでいい淀む、ひどく辛そうだ、言葉をつなごうとして唇が動くが、言葉は出ない。息があがり体もブルブル震えている。怒り、恐怖?それとも・・・
「ごめん、ごめん、僕は、ひどい目に合わせた君に、事情の一つも、い、いや言い訳なのか・・・」
「ショウ、あのね、」
「僕は、情けない、こんな、」
「ショウ、ショウ。ね、聞いて。上手く言えないけど、今日でなくていいと思うの。聞くのは別の日が、たぶん相応しいのよ。」
身体が、びくっと震え硬直した。暗闇から見つめてくる目が痛い。
「憐れんでいるんだな、そうだ、僕は罪人、断罪されるか憐れまれるか、そんな存在でしかない。」
ショウの言葉にしない問いが聞こえる。答えるのは簡単だ。ここでは、心を隠しようがないのだから。でも、それで十分なのだろうか?
どういう風に伝えたら、彼の心に届くのだろう。私の答えが、映画や小説の登場人物に向ける、お座成りの言葉ではなく、生きて罪を犯してしまった人へ伝えたい、心からの言葉だと分るのか?
「私、ここに来てから時々、現世で自分がどうなっているか、見ていたみたいなのだけど、あちらで話もしていたと思うわ。」
三人とも、一瞬ぽかんとしたことが分かった。白が慌てて答える。
「そういうことは、あるそうよ。ええと、現世で生きている人は、こちらに来てても、こちらとあちらと両方に存在しているそうよ。」
「これは勘なのだけれど、ショウは現世で生きている人よね。」
これにも白が答える。
「そうよ、ずっと病院で寝ているけれど。」
「ショウは、弟さんとか、妹さんを見ることないの?」やはりそうなのか。
「…あるよ。二人とも暇さえあれば、僕のところに来てくれる。今日あった良いこと、悪いこといろいろ話していくよ。そして、早く目を覚まして欲しいとつぶやいて帰っていく。」こう答えるショウの声には、悲しさの中に優しさが溢れている。家族への愛がそうさせるのだろう。
「疎んだり、恐れたりしていないのね。」
「…そうだね。」
「私も同じ、あなたを怖いとは思わない。




