第2話
空間の裂け目から、ゼリー状のモンスター──スライムが這い出てくる。
だが、そこから出てきたのは、先の遭遇と異なり、スライム1体だけだった。
裂け目が閉じ、俺とスライムとが、1対1で対峙する形になる。
荘厳な戦闘用のBGMが、どこからか流れてくる。
『ユウトはどうする? ▼戦う 防御 魔法 道具 逃げる』
1体なら……やれるんじゃないか?
俺はそう考え、頭の中で様々な可能性を検討してみる。
さっきの戦闘を見る限り、スライム1体ならおそらく2~3回の攻撃で倒せるはず。
対して、こっちの残りHPは“7”なので、デッドラインはおそらく3回の被弾。
運悪く2回の攻撃で倒せずに、かつ3回目に運悪く敵に先制を取られると危ない、というところだろう。
つまりは、相当の不運が重ならなければ大丈夫のはず。
一方、逆に逃げた場合。
こっちはやってみていないので、まったくの未知数だ。
きっと3回『逃げる』が失敗すればアウトで、そうなる可能性がどのぐらいであるのか、まったく読めない。
考えた結果、どっちもリスクがある、という結論に行き着いた。
俺は視界の左上にある、自分の状態を表したウィンドウを見る。
現在HPは“7”で、HPバーの3分の2ほどがすでに赤く削られている。
これがもし、0になったら……。
俺は、目の前のゼリー状のモンスターが、突然奇妙に変形して、鋭い牙の並んだ大口を開き、俺の体をむしゃむしゃと食べるところを想像してしまう。
でも、こうしてコマンド入力状態でまごまごしていても、埒があかないのも事実だ。
このままでいれば、死にはしないのかも知れないが、こんな指一本動かせない状態で生きていたって、そんなのは何の意味もない。
選択肢は、『戦う』か『逃げる』かの二つ。
どちらを選んだって、死ぬ可能性はある。
そしてその可能性は、どっちが高いのか分からない。
……ああもう、思考が堂々巡りだ。
正しい選択肢がどっちかなんて、分かりゃしない。
もうどっちかに、選ぶしかない。
だったら──
だったら、逃げて死ぬよりは、戦って死ぬ方を選びたいと思った。
どっちにしたってリスクがあるなら、前のめりに行ってやる。
──俺は『戦う』を選択し、スライムに殴りかかって行った。
俺がスライムに駆け寄り、ひのきの棒でぶん殴る。
バンッ!
『ユウトの攻撃! スライムに4のダメージ!』
俺が定位置に戻ると、今度はスライムが跳ね寄って来て、体当たりしてくる。
ドガッ!
『スライムの攻撃! ユウトは3のダメージを受けた!』
殴られた衝撃とともに、視界が揺らされる。
一瞬の後、視界全体が、おぞましい赤のサングラスをかけたかのように、おどろおどろしい赤色に染まる。
別に死んだわけじゃない。
HPはまだ“4”残っている。
視界が赤くなったのは、HPが瀕死状態になったときの演出かもしれない。
対するスライムは、今の俺の攻撃で、HPバーの過半を失った。
最大HPは“7”のはずで、HPバーの減り方もそれを肯定している。
まず間違いなく、あと“3”のダメージを与えれば、倒せるはずだ。
そして、再び視界の彩度が下がり、灰色の世界の中で、メッセージが表示される。
『ユウトはどうする? ▼戦う 防御 魔法 道具 逃げる』
その選択肢を見て、いや、今更逃げるはないだろと思う。
それをやるなら、遭遇した最初の段階で、そうしているべきだった。
そうは思うのだが、こうして選択肢を前にすると、それでも再び考えてしまう。
ここで攻撃を選択しても、スライムに先攻を取られる可能性はある。
それで、“4”のダメージを受ければ、俺のHPは0になってしまう。
でも、スライムの攻撃で“4”のダメージを受けたことは、これまでになかったはずだ。
俺の記憶が正しければ、“2”か“3”のダメージしか受けていない。
対して、俺の攻撃は、これまでスライムに対して“3”か“4”のダメージしか与えていない。
“2”以下は、なかったはずだ。
であるなら、最大HPの“7”から、すでに“4”のダメージを受けているスライムは、俺の次の攻撃で、確実に落とせる……と思う。
考えた末に、俺は『戦う』→『スライム』を選択した。
やっぱりこれが、最善のはず──
──そして、結果。
先に動いたのは、俺だった。
俺のひのきの棒が、スライムのゼラチン質のボディをぶん殴る。
そのスライムの頭上に、“3”という数字が浮かび──
スライムは光の粒となって砕け散った。
『スライムを倒した! 2ポイントの経験値を獲得! 2ゴールドを手に入れた!』
そのウィンドウメッセージを見ながら、体の自由を得た俺は、大きく息を吐いた。
「勝った……」
俺は感慨深く、そう呟いていた。
ゲーム的に言って、たった2ターンの戦闘。
それも、別に大した戦闘でもない。
ただお互い攻撃を繰り返しているだけの、今考えれば、まったく単純なやり取りだ。
でも、えらい精神的に疲れた気がした。
集中力を根こそぎ持って行かれた気がした。
「早く、街に帰らないと……」
遠くの方、数百メートル先に、石垣に囲まれた城下町の入り口が見える。
あそこまで辿り着けば、いいんだ。
頼むからもう、敵出て来るなよ──
俺は祈るように、街への道を歩み始めた。
「着いたぁ……」
そうして街に辿り着いたとき、俺はぐったりとへたりこんでしまった。
生きて街まで辿り着いた。
そのことが、とんでもなく大仰な出来事のように思えた。
「HP……どうやって回復するんだ……?」
俺は半ば真っ白になった頭で、何とか思考する。
RPGでHPを回復する手段と言えば、回復魔法、回復アイテム、あとは──宿屋。
そう思った俺は、街中をふらふらと宿屋を探しながら放浪する。
果たして、街の入り口からすぐ近くに、宿屋はあった。
俺は宿屋の扉に、吸い込まれるようにふらふらと向かい、その扉の隣に書かれている料金、『おひとり様、1泊2ゴールド』を見て、はたと気付く。
寝るんなら、自宅があるじゃないか。
ああもうダメだ、頭が働かん。
俺はふらふらと自宅へ戻る。
そして、家の中に入るとまっしぐらに自分のベッドへと向かい、そこに突っ伏した。




