小人の靴屋
昔々ある所に仲の良い夫婦が住んでいました。靴屋さんは腕のいい靴職人で、どんなお客さんの要望にも応え、誰も作れない様な、それはそれは素敵な靴を作っていたものです。おかみさんは人懐っこい笑顔で店を切り盛りしていました。二人の店は周りの人々から愛され、金持ちでは無かったけれども、慎ましくささやかに幸せな生活を送っていました。
長い間を過ごすうちに二人ともすっかり年を取りました。それでも、それまでと同じ様に靴を作っては売ると言う、穏やかな暮らしを続けていました。けれどもその内、おじいさんがぼけ始め、思うように靴が作れない様になりました。注文を受けても革を台無しにしてしまうこともあり、客足も遠ざかっていきました。おじいさん自身、そんな自分に腹を立てているようであり、おばあさんは、それをただ見守っている事しか出来ませんでした。
二人はひどく貧乏になってしまいました。そしてとうとう、靴一足分の革だけが残りました。いくらぼけていても、おじいさんはもう靴屋を畳まなければならない事が判りました。
「最後の靴は、明日作ろう」
そう言っておじいさんはベッドに入りました。おばあさんも、未練を残しつつ、寝る事にしました。
けれど、長年営んできた靴屋をやめる事を考えると、おばあさんはなかなか眠りにつく事は出来ませんでした。しかし、日頃の心労もあったのでしょう、うとうとしているとおばあさんもじきに寝入ってしまいました。
コツコツ、という音でおばあさんは目を覚ましました。辺りはまだ真っ暗です。こんな真夜中に、何の音だろうと思っておばあさんは起き上がりました。音の方へ歩いて行くと、作業場に灯りが点いています。おばあさんが、そっと中を覗くと――
――おじいさんが靴を作っていたのでした。目は半開きで、おそらく寝ぼけながら作っているのでしょう。しかしおじいさんの手つきは若い頃さながらで、みるみる内に立派な靴が出来上がっていくのでした。
おばあさんは思いました。
(おじいさんたら、私を驚かそうと夜中眠いのに頑張って作っているんだわ)
そしておばあさんは、おじいさんに気付かれないようにそっと自分の寝室へ戻っていきました。
次の朝、おばあさんは靴の事でびっくりしてやらなきゃな、と思いながら作業場へ向かいました。作業場の掃除を朝一番にやるのが、おばあさんの日課でした。着いて見るとおじいさんが居て、心底驚いた様子でおばあさんに言いました。
「もう靴が出来てるぞ。しかし見事な腕前だ」
「ほんと、素敵な靴だわ」
言いながら、おばあさんは最初、おじいさんが演技をしているのだと思いました。しかし、おじいさんは昨晩の事は全く覚えていない様なのです。不思議に思いつつもその靴を売りに出せば、たちまち高い値段で売れました。
「これで、また靴が作れる」
おじいさんは意気揚々と、今度は靴二足分の革を買って来ました。そして早々にベッドへ潜り込んだのでした。おばあさんも釈然としないながらも床につきました。
その晩、またコツコツという音が聞こえ、おばあさんが作業場を覗くとおじいさんの姿がありました。それも昨日よりもさらに腕を上げています。そして朝になってみると、おじいさんはやはりびっくりしているのです。
そんな生活がさらに続いていきました。おばあさんはおじいさんに夜作っているのを覚えていないのか、それとなく尋ねてみましたが痴呆の進むおじいさんは、自分が疑われていると判ると癇癪を起こし、結局聞けず仕舞いでした。
靴が売れて儲かるにつれて、おじいさんは昼間も、前の通り仕事をするようになりました。けれどそれは失敗ばかり、おじいさんは腹を立て、寝る事を繰り返します。けれども夜中には素晴らしい靴を作り上げるのです。
毎晩、その様子を見ていたおばあさんは、気がつきました。
(おじいさんは靴を作りたかったんだ。自分の思い描く、素晴らしい靴を。きっと骨の髄まで染み込んでいる職人魂がそうさせているんだ。でなきゃ夢遊病みたいになりながら、あんな靴を作るなんて、出来っこないもの)
ある日、おじいさんは言いました。
「あの靴は、小人か何かが作っているんだろう。どう作っているか見てやらないか」
それを聞いておばあさんは、実はおじいさんが靴を作っている事に気付かれてはならない、と直感的に思いました。そして小さな指人形をいくらかこさえて、作業場の周りに置いておきました。
その晩、人形を気にも留めず、おじいさんはいつものように靴を作りました。それを見届けたおばあさんがベッドに入ると、おじいさんが起こしに来ました。
「誰が靴を作っているか見に行くぞ」
作業場を見ると、おじいさんが去ったままになっていました。一つだけ作業台の上に乗っていて、あとは綺麗に並べられています。その周りにおばあさんが置いたままの指人形があります。
「おい、見ろ。やっぱり小人が作っているぞ。裸の小人だ」
けれどおじいさんには、そうは見えない様でした。嬉々として小人の様子を口にしてはおばあさんに同意を求めます。おじいさんの頭の中では小人が靴を作っている様子がありありと見えるのでしょう。おじいさんの頭の中では、それが現実なのでした。
なので、おばあさんもそれに合わせる事にしました。こんな事でおじいさんの世界を壊す事は無粋に思われたのです。
「まあ本当に。可愛らしい小人さんだこと」
「あっ、隠れた」
そう唐突におじいさんは言っておばあさんに、にっこりと笑いかけました。そして自分の寝室へ戻っていきました。
それからというもの、店は更に繁盛しました。小人が作っていると判って気分がすっきりしたからでしょうか、おじいさんの夜中の靴作りはさらに磨きがかかりました。そしてそれが終わるとおばあさんを起こしに来て作業場を一緒に眺めながら想像の中の小人たちの働き振りを心の目で眺め、思いを馳せるのです。おじいさんはお客が来るごとに、人に会う度に小人の事を、自分の事の様に得意げに話しました。町の人々は靴屋さんを愛していましたから、おばあさんと同じく話を合わせ、おじいさんの中の小人を大切にしてやりました。
おじいさんにとって小人は、とても大事な存在のようでした。靴を作ってくれる、といった次元を大きく超えた所でおじいさんは小人を愛しんでいました。おじいさんにとっては確かに居る(・・)もので、誰にも否定できない不可侵のものでした。おじいさんのぼけは更に進み、色々なものを忘れ、色々なものを失くしていきました。大切なものを忘れ、大切なものを失くしていきました。大切な人も分からなくなりました。けれどおじいさんは、おばあさんと小人の事だけは忘れもせず、失くしもしなかったのです。それほど大切な小人を誰が否定したでしょう。だからおばあさんも町の人も小人の存在を居る(・・)ものとして認め、おじいさんの大切にする小人を、同じように大切にしたのでした。
ある日、親子連れが靴を買いに来ました。お母さんが息子に合う靴を探しに来たのでした。客の接待は長らく、おばあさんがやっていたのですが、小人を見てからというものおじいさんはその事をお客さんに話したくて接客をするようになっていました。
「坊や、この靴は小人さんが作ってくれたんだ。だから大切にするんだぞ」
「うん、大切にする。でも、
小人なんて、居る訳ないんだよ」
それを聞いたお母さんはすぐに息子を叱りつけ、男の子もすぐに謝りました。おじいさんも笑顔で許していましたが、それでも悲しみの伝わる笑顔でした。おばあさんは、おじいさんがいつもの様な癇癪を起さなくてよかったと安心しつつも、何となくおじいさんの事が心配でした。
仕事が終わると、おじいさんは、ふと思い出したように言いました。
「小人たちも、ずっと裸じゃ寒いだろう。日頃のお礼として服を作ってあげてくれないか」
季節は夏でした。夜も寝苦しい位でしたが、おじいさんなりの小人への気遣いといったところだろう、とおばあさんは思いました。昼の事を引きずっていない様でよかったと思いながら、おばあさんは二つ返事で了解しました。それからあの指人形の大きさに合う様に服を作りました。シャツ、チョッキ、上着、ズボン、靴下、おばあさんがそれを作っている横で、おじいさんは、とても幸せそうな顔で、それをじっと眺めていました。
作り終わった服を作業台の脇に置くと、おじいさんは満足そうに、眠りに行きました。おじいさんが部屋に入ったのを確認して、おばあさんは、指人形に服を着せました。そして、おじいさんが喜んでくれることを期待しながら、おばあさんも寝ました。
その夜、靴を作り終わったおじいさんがおばあさんを起こしに来ました。この時ばかりはおばあさんもわくわくしていました。おじいさんが喜んでくれるといい、と思いながら作業場へ行きました。
中を見るなりおじいさんは言いました。
「見ろ。小人たちが着てくれてるぞ。喜んでるよ。嗚呼作ってあげて良かった」
「跳び上がってる跳び上がってる。あ、とんぼ返りしたぞ」
「いつも以上に靴を作っているぞ。ほんとに、よかった」
いつも以上に楽しそうにしているおじいさんは、おばあさんへ言いました。
「小人たちもあんなに嬉しそうだ。服を作ってくれてありがとう」
そう言われておばあさんも嬉しくなりました。もう滅多に笑わないおじいさんが笑いかけてくれたのを見て、おばあさんも、作って良かった、という気持ちになりました。
「あ、こっちに来た」
おじいさんが何を見ているか、おばあさんには判りません。けれど、同じものを感じたいと思って、おじいさんと同じ方向へ目を凝らしました。お礼を言われているように見えているのかと思って見ていると、
「行ってしまった」
おじいさんは唐突に振り向いて言いました。
「家から、出て行ってしまったよ。もう戻ってはこない」
そして、おばあさんへ笑いかけました。そして自分の寝室に戻っていきました。
その笑みは、昼間男の子を許していた、あの笑顔に似ていました。
* * *
町に一つしかない靴屋で、葬式が行われていた。長い間町の人の靴を作っていた靴屋の主人が亡くなったのだ。主人は腕のいい靴職人で、奥さんはそれを支えるいい妻だった。近年は主人の痴呆が進んで一時期は大変だったようだが、また素晴らしい靴を作る様になっていた。町の人々は皆、この靴屋を愛していた。だから主人の突然の死に誰もが悲しんだ。沢山の人が葬式に参列した。またそうでない人は矍鑠としていた主人の様子を思い出し、その死を悼んだ。
葬式が終わった後、人々はそれぞれの思いを胸に三々五々散っていく。そんな中、未亡人となったおかみさんに一人の母親が駆け寄った。
「ごめんなさい……。うちの子があんな事を言わなければ」
「いいんですよ。ぼけが始まっていた時点で、あの人のお迎えは近かったんです。それが昨日だったというだけのこと。あなたの所為では、何も無いのですよ」
一番深い悲しみにある筈のおばあさんは、にっこりと微笑む。母親はそれを見て涙が引いて行くのを感じた。
「あなたの様な人が靴屋さんの奥さんで、本当に良かったと思います。包容力があって、何だって動じなくて、頼れて。だから靴屋さんの事を一番わかってあげられたんだと思います」
「そう言ってもらえると、嬉しいですね。何だか今までの苦労がみんな報われる様な気がしますよ。それにまあ、動じないと言ったってあの人が最初に『小人が居る』なんて言った時は、流石にびっくり仰天したんだけど」
それに私もいっぱしの靴屋さんですよ、とおばあさんが茶化して笑い、笑い声が青空に広がる。
「でも、どうして小人さんだなんて……。それにあんなに大事だったんでしょう」
「自分は靴を作りたい。でも作れない。それを解決する存在だったんでしょうね。小人があの人の中に来てからは、あの人への負担は増えたと思いますよ。夜、自覚しないままに靴を作って、そして小人を気が済むまで眺めて。誰かが否定して現実を見せてあげれば、こうはならなかったって思う事もありましたがね。でも余生を、ぼけによる苦しみだけじゃなく、小人という存在を交えて楽しく過ごせた訳なので、感謝もしてますよ」
おばあさんは空を見上げて笑った。
「小人は、あの人の職人魂の顕現だった。そう思えてならないのです。自分が自覚しないながらにやり遂げた仕事を小人の所業とするんですよ。夜、あれだけ完璧な靴を作っておいて、それを覚えていないなんて、考えられません。だから、同じ靴職人として思う以上に、自分の一部でもあったんだと思います。
あの晩、あの人は『もう戻って来ない』と言っていました。自分の職人としての才を全て出し尽くした、という事だったんだと、今ならわかるんです。全力で仕事を遂げられて、あの人は幸せだと思いますよ」
初投稿となります。
部誌にも掲載したものですが、何分まだまだ未熟です。
感想・評価など頂ければ。
『柏葉二十四号』掲載作品