河原で出会った作家【企画candy store】
真面目。
僕を表すとしたら、その言葉しかない。
この小学校に転校してから三年間、先生の言うことにも、親の言うことにもノーと答えた事があまりない。
特に先生は絶対だ。
成績を気にしているわけでもないが
どんなに優しい先生でも、僕は逆らわなかった。
これといった反抗期も今のところ顔を出さず、僕は大人にずっと従っている自分が嫌になった。
反抗をしたいわけではない。ずっと相手に敬語を使い「はい」と毎回返事をして答えている自分は、明らかに普段とは違う自分だ。
それが先生に嘘をついているように思えて、毎日どうしようかと考えていた。
先生から何度か頼まれるうちに、何か代表を選出するときは僕が必ず手を上げるようになった。
そうでなくてはいけない気がした。
そうでなくては、僕では無い。
親は、先生は僕の事をどう思っているのだろう。
何か失敗して失望させているのではないか。
そして、細かい失敗をしては、一人でうなされていた。
それでも、僕は大人の理想であるために仕事を引き受け続けた。
今日も卒業式前のイベントの打ち合わせをして遅くまで学校に残り、川沿いの帰り道を歩いている頃には、空はすでに夕焼けに染まっていた。
明日の事を考えていると、川の方から水の中から何かが跳ねたような音が聞こえた。
僕がそちらを見ると、ジャージ姿の男の人が川に向かって石をリズミカルに投げている。
そのたびに、さっき聞こえた音が僕の耳へ運ばれてきた。
男はお手玉のように石を投げ、そのたびに水面から小さな水しぶきが上がってすぐに消える。そんな事を繰り返していた。
その日から、その人を帰り道に見かけるようになった。
何をしているのかは分からない。
ある日、その人が居ない日があった。
僕は好奇心からなのか、その人が居たところへ足を運んだ。
昨日までの記憶を元に石を投げてみる。
リズミカルに、タイミング良く。
すると
「あれ、先客がいる」と後ろから声がした。
振り返ると、ジャージ姿で二十代位の男の人がこちらを見ていた。
「あ、すみません」
「うん? いいよ、君の場所だ」
男の人はそう言うと、僕から三メートル位距離を置いたところに座り
昨日と同じようにポンポン石を投げ始めた。
「……あのー、それは何をしているんですか?」
「え? これ?」
「僕が見てから今日まで、ずっと続けてますよね」
「あぁ、うん、アイデアが出なくなるとね、こうして無になるんだ」
「無ですか?」
「そうそう、無だよ」
「……アイデアって言うのは?」
「アイデアって言うのは、発想の事だよ」
「いやいや、何のアイデアですか?」
「え、それ聞くの?」
「あ、すみません」
「じゃあ、話そう。愚痴になるけど」
男の人は、そう言うと一段と声を張り上げて続けた。
「いやさぁ、月末までに小説の流れを書けって言われたんだけどさぁ、本一冊分になるネタでなお且つケーキ題材にしろとか言い始めてさ。ここまで来たけど今日帰らないといけないし……スイーツブームなのは分かるけど、それを一か月前に言うか普通」
思い切り愚痴り始めた。
しばらく愚痴が続くと「あーすっきりした」と自称作家の男はこちらを向いた。
「君は?」
「あ、僕は桐田悠平です」
「いや、そうじゃなくて、なんかもやもやしてる事無い?」
「もやもや……特には……」
また、嘘をついた。
「ふーん。あ、そうだそうだ。君、この辺に住んでるの?」
「え?」
「あのさ、この辺でケーキ屋さん無い?」
「……ケーキ屋さん……この近くでは、無いですね」
「そっかぁ……じゃあこの看板は見たこと無い?」
男は立ちあがってジャージのポケットを探り、一枚写真を取り出した。
そして、こちらへ近づき「ほら、これ」と言ってこちらへ見せてくれた。
赤い看板の洋風なお菓子屋さんだ。
「あ、これ……」
「知ってる?」
「はい」
学級新聞の美味しいお店に載っていた。
しかし、配られた少し後、先生に学区外なので中学になってから行くようにと釘を刺されていた。
そんな事を知らないジャージ男は。
「案内して!」
この男の人は何故こんなに目を輝かせているのだろう。
「あの、ここがどうかしたんですか?」
「俺、ケーキには目が無いんだって! プリンの次に!」
「……プリン屋さんに行けばいいじゃないですか」
「ここにあるんだって、おいしいケーキとプリン! 御礼するから! な? 頼むって!」
この熱意と視線、そして「ここに来た意味が無い!」とまで豪語するそのジャージ男を見て、僕にはこの人がケーキと聞いて一か月前の無理な状況にも関わらず、取材行きたさに仕事を引き受けた事がかんたんに想像できてしまった。
「……じゃあ、いきましょうか」
「よっしゃあああ! 流石……なんだっけ、君」
「悠平です」
「そう! 悠平君!」
調子いいなぁ……
だが、僕は学区外であることを未だに気にしていた。
誰かに見つからないだろうか?
路地裏を曲がったり、歩道橋を歩いたりしながら、ジャージ男と話をした。
「あの……嘘をつくのはいけない事だと思いますか?」
「う~ん、俺は別にさじ加減だと思うよ」
「そうですか?」
「だって、ペンネームだって嘘みたいなもんじゃないか、図書館なんか大嘘屋敷だよ」
「まぁ……そうですけど」
「嘘ってのはばれなきゃ真実。でもばれた瞬間のリスクがある。博打だよ、一生を賭ける博打」
「へぇ」
「前に、詐欺で捕まった犯人に取材した事があってね。そう言ってた」
「そんな事があったんですか」
「さぁ、どうだろうね?」
何なんだこの人は。
「嘘をつかないといけない時ってのもあるし、やっぱさじ加減だよ」
僕らは大通りから裏道へ入った。
そして、もう一つ角を曲がると、写真と同じ赤い看板が姿を現した。
「ありました」
「おぉ! これが!」
お菓子が絡むと、この人のテンションが高くなるらしい。
僕より先に男は洋菓子店に入り、僕はそれを追いかけて店へと入った。
「ショートケーキとモンブランとミルクプリンと……このワッフルクッキーを全部二つずつ」
先に注文を済ませ、ジャージのポケットから五千円札を一枚取り出して支払った。
どうやら、店のカウンターの奥に席があり、そこでケーキを食べる事が出来るという仕組みらしい。
大学生か高校生くらいの女の人がいっぱいいる。
僕らは完全に浮いているな、などと考えていた。
「よし! 早く座ろう!」
注文を終えてはしゃぐジャージ男は、僕より子供に見えた。
テーブルに向かい合って座り、程なくして店員さんがケーキと紅茶を持ってきた。
そして、ケーキを食べ始める。
僕はそっと、ケーキを食べながら本当にここに居て良いのか戸惑っていた。
先生の言葉、門限、学区外にいるのを見つかったら。そんな事ばかり考えていた。
「ねぇ、本当に悩みごと無いの?」
「え?」
「いや、凄く寂しそう」
「あ、すみません」
「気にしなくていいよ。でも、俺で良いなら何か話してくれない?」
僕は、とても困った。この人に話していいのか。
男はじっと待つように僕を見ていたので、僕は思わず口を開き。
僕のついている嘘を、全て打ち明けた。
自分ではない自分が居る事。理想の僕が出来あがってしまっている事。
男は少しの間考えると紅茶を一口飲み、こう切り出した。
「……嘘か、悠平君は自分に嘘をついてない?」
「……自分に?」
「何か別の事がしたいのに、自分に嘘をついてそれに従ってると心が縛られて逃げ道が無くなるんだよ。俺もそんな事があった。それで記憶が飛んだこともあった」
「僕はどうすれば……」
「うーん……」
そう言いながらまだケーキを食べ終わっていないのにプリンを開けて食べ始めた。
「頼れる人に、思ってる事吐きだしてみるとか」
「……頼れる人、ですか」
「うん、先生……が無理ならお母さんお父さんでも良いし身近な大人かな」
「お母さんは……お父さんが居なくなってから大変なので心配はかけられません」
「そっか。でも、それじゃあ君、そのうち壊れちゃうよ。心の逃げ道を作っておかないと」
僕は、俯きながらケーキを口へ運んだ。
「あぁ、ごめん、話題が暗くなったね。ワッフルもおいしいよ」
僕らはしばらく、黙々とケーキにかじりついていた。
「夕日がきれいだ、明日は晴れるかな」
そう言われて外を見ると、隣の家がオレンジ色に輝いていた。
店の時計を見ると、もう四時半だ。
僕の家は五時半が門限、それまでに帰らなくてはいけない。
ここから家までどれくらいかかるだろう。
僕は慌ててケーキを口に押し込んだ。
「有難うございました! そろそろ時間なので帰ります」
「あ、うん、送ろうか? 歩きだけど」
「いえ、大丈夫です。なんとか帰れますから」
「そう、じゃあ、さよなら」
そうか、今日で帰るんだっけ。
僕は深く頭を下げた。
「さようなら」
早口でそう言うと、僕は店を飛び出し大急ぎで来た道を帰った。
バス停のある角を曲がり、歩道橋を駆け上がる。
何分たったのだろう、分からない。
でも、進むしかない。時間が無い。
門限を守らないと。
何度か辺りを見渡し、信号に苛立ちながら進むと
ようやく見覚えのある川へと出た。
気がつくと、空は紫色になっていた。
川を眺めると、洋菓子店での会話が何度も頭の中を回る。
走り出しても音楽のようにぐるぐると回った。
――無理してるんじゃない?
僕は何のために無理をしているのだろう。
僕は……
家に着いたころ空はすでに真っ暗で、時計を見なくても五時半を過ぎている事が分かった。
インターホンを恐る恐る押すと、お母さんが中から飛び出してきた。
そして、少し涙目になりながら僕を怒鳴りつけた。
「心配させて! 何してたの!」
僕は何かをこらえるようにじっと黙り、ごめんなさいと謝った。
その時、僕から何かが溶けるように消え始める。
気がつくと、僕は泣きながらお母さんに抱きついていた。
ため息をついて少し困った顔をしたお母さんは
「全く……でも、良かった」
そう言いながら僕の頭を撫でるお母さんの手の感触が、泣きじゃくる僕をやさしく包んでいた。
なんとか間に合いました……
人の心と言うのはちょっとした言葉が隙間に入って
良い方にも悪い方にも、ゴロンと転がしてしまうものです。
……と言う事を表現したかったのですが。
御覧のとおりです。
誤字脱字、ここの表現分かりません。等ありましたらご意見いただけるとありがたいです。