87.大剣術祭・開会
そして、翌日。
大剣術祭当日の朝、学園の中庭――いや、今日はもう立派な「闘技場」だった。
観客席は、昨日見たときよりさらに埋まっている。
生徒、教師、来賓、王都から来た客らしき人たちまで、ぎゅうぎゅうだ。
中央には、昨日はなかった巨大な水晶柱が一本立っていた。
その上に、薄い幕みたいな魔法陣が、空に向かってふわっと広がっている。
「……ほんとにやるんだな、これ」
思わず、小さく呟く。
「当たり前でしょ」
隣のリーナが、緊張と興奮が混じった顔で周りを見回していた。
「勇者パーティが十五層のボスを倒すところを、同時中継なんだよ?
滅多にないイベントなんだから」
「イベントって言うなよ」
肩をすくめつつも、目は自然と水晶柱の方に向いてしまう。
しばらくして、ざわめきが少しずつ静かになっていく。
壇上に学園長が現れた。
その横には、偉そうな人たちが何人も並んでいる。
ルデスの姿も、上級生たちの列の奥に見える。
「――これより、大剣術祭の開会式を始める」
拡声魔法の声が、闘技場全体に響く。
「だが、その前に。
今年は少しこちらを見てもらおう」
学園長が、水晶柱の方へ杖を向けた。
「まずは諸君に、“今この瞬間の迷宮”を見せる」
その合図と同時に、水晶柱の上の幕が、ぱっと明るくなる。
薄い光の中に、別の場所の景色が浮かび上がった。
石造りの広い部屋。
天井は高く、壁には古い紋章のようなものが彫られている。
床のあちこちには、魔力の筋がうっすらと走っていた。
(……十五層、か)
中央には、巨大な影。
岩と黒い甲殻が混ざったような体の魔物が、ゆっくりと頭をもたげた。
背中からは鈍く光る棘がいくつも突き出ている。
「うわ……」
周囲の観客席から、素直な声が漏れる。
「岩竜種の変異体、だったかな」
すぐ近くで、誰かがそう呟いた。
画面の中で、四つの影が動く。
光をまとった剣を持つリアム。
大盾を構えたセリカ。
杖を握るオルフェン。
祈りの姿勢で詠唱を始めるイリス。
(やっぱり、絵になるな……)
十四層で一緒に戦ったときと同じ背中が、今は遠くの映像越しにそこにあった。
竜がゆっくりと目を開く。
「ギャアアアアア――!!」
低い咆哮が、水晶柱を通して少し遅れて空に響く。
耳がびりっと震えた。
「セリカ前! イリスは結界! オルフェン、脚を削れ!」
画面の中で、リアムが短く指示を飛ばす。
セリカが盾を構え、竜の突進を真正面から受け止める。
前脚が振り下ろされ、床が砕け、土煙が舞い上がった。
「……あれ受け止めるの、おかしくない?」
思わず口から出た。
「セリカさんだからね」
リーナが、ちょっと誇らしげに頷く。
竜の足元に、オルフェンの魔法が走る。
石の脚がひび割れ、動きが鈍る。
イリスの光が、セリカの前に透明な壁を作り出し、
砕けた岩片や熱線のような吐息を、ぎりぎりで弾き飛ばしていた。
「うわ……」
歓声とも悲鳴ともつかない声が、スタンドのあちこちから上がる。
(……本当にさすがって感じだな)
やがて、竜が大きく息を吸い込んだ。
口元に魔力が集まり始める。
「まずい。来るぞ」
思わず、画面越しに体が固まる。
だが、リアムは一歩も引かなかった。
「セリカ、盾を斜め!」
「了解!」
セリカが構えを変え、イリスの光がそれに重なる。
次の瞬間、竜の口から真っ白な光線が放たれた。
轟音と共に、画面の中が真っ白になる。
観客席から、どよめきと悲鳴が一斉に上がった。
白がゆっくりと晴れていくと――
まだ、四人は立っていた。
「すご……」
隣でリーナが、小さく息を呑む。
セリカの盾は半分以上焼け焦げていたが、その後ろの三人は無事。
オルフェンの魔法陣が、既に次の術式を組み上げている。
「今のうちに、脚を狙う!」
リアムが床を蹴った。
光をまとった剣が、ぶれない軌跡で竜の前脚を斬り裂く。
続けざまに、もう一撃。
竜の体勢が崩れ、巨体がぐらりと揺れた。
「――今だ!」
最後の一歩で踏み込んだリアムの剣が、
竜の頭部にまっすぐ突き立つ。
爆ぜるような光と、短い悲鳴。
そのあと、巨体はゆっくりと床へ倒れ込んだ。
「討伐、完了だな」
隣で、小さくルデスの声が聞こえた。
映像の中で、リアムが剣を払って納め、
セリカと拳を軽く合わせる。
オルフェンは周囲を確認し、イリスは竜の残滓が暴れないよう、静かに光で封じていた。
魔法陣が少し暗くなり、映像が薄れていく。
やがて、幕は完全に消えた。
「――以上が、十五層の“現在”だ」
学園長の声が、再び広場に響く。
「先日の迷宮探索において、色んな噂が流れていたと思う」
空気が、すっと冷えた気がした。
「詳しくは語らないが、
そのまま戻らなかった者がいる」
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
(……セイル)
心の中で、名前を呼んだ。
「彼の死だけではない。
心に傷を負った者、不安を抱えたまま日常に戻った者もいるだろう。
それを“なかったこと”にすることは、私にはできない」
学園長は、一度だけ静かに目を閉じる。
「だが、迷宮で何も無かったかのように騙し通すつもりは無い」
ゆっくりと周囲を見渡しながら、言葉を続けた。
「だからこそ、我々は“見せる”ことを選んだ。
勇者たちによる十五層の制圧――
そして、学園と王都が連携して危険に対処しているという現実を」
スタンドのあちこちで、固唾を飲む気配が伝わってくる。
「同時に、ここにいる諸君に伝えたい。
これから先、その一端を担うのは諸君自身だということを」
学園長は杖を軽く上げた。
「迷宮で命を落とした仲間に、黙祷を」
名前は言われなかったが、
それでも、誰のことか分からない人間は、きっと少ない。
椅子のきしむ音が止まり、
闘技場全体が、すっと静まり返った。
俺も目を閉じる。
(……見てるか、セイル)
(あんたのこと、ちゃんと覚えてるやつは、ここにもたくさんいるからさ)
しばらくの沈黙のあと、学園長の声が再び響く。
「顔を上げよ」
目を開けると、いつもより少しだけ真剣な顔の生徒たちが並んでいた。
「恐れるだけでは、何も守れない。
無謀に突っ込んでも、何も残らない」
杖の先が、ゆっくりと空を指す。
「だからこそ、学び、鍛え、考えよ。
――その一つの形として、今から始まる“剣の祭り”を、私は歓迎する」
空に、大きな魔法陣が一瞬だけ浮かび上がった。
「王立魔導学園・大剣術祭」
学園長がその名をはっきりと告げる。
「これより、開会を宣言する」
その瞬間、張り詰めていた空気が一気に弾けた。
歓声と拍手が、闘技場全体を揺らす。
「……始まっちゃったな」
思わず、そうこぼす。
「うん」
リーナが、少しだけ笑った。
「レンの出番も、すぐだよ」
空を見上げると、さっきの映像はもうなくなり、
代わりに今日の対戦表が、大きく宙に浮かんでいた。
そこには、俺の名前も、ちゃんと刻まれている。
(見てろよ、セイル)
心の中で、もう一度だけそう呟き――
俺は、自分が立つ“場所”へ向けて、ゆっくりと息を吸い込んだ。




