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83.意志の揺らぎ

 嫌な熱が、頭の奥まで一気に駆け上がる。

 その輪郭が、少しずつぼやけていく。


 世界の音が、ほんの少しだけ遅れて届き始めた。


 剣がぶつかる音。

 残っていた氷が砕ける音。

 誰かの叫び声。


 それら全部が、一拍遅れて耳の奥に落ちてくる。


 (……マズいな)


 肩の傷の中で、心臓の鼓動と同じリズムで“何か”が脈打っていた。


 ドクン、と一回鳴るたびに、

 糸がきしむ感覚が、骨の奥まで入り込んでくる。




 「っ……ぐ」


 思わず片膝をつきかける。


 床の冷たさが、膝を通して伝わってくるはずなのに、

 感覚が上手く結びつかない。


 (立て……まだ、倒れてる場合じゃない)


 短剣の柄を握る手に力を込める。


 刃が、黒に近い銀色へと、さらに濃く染まっていく。

 暴れる魔力を吸い込みながら、じりじりと震えていた。


◆◇◆◇◆ 


 ――土の匂い。


 いきなり、別の匂いが鼻を刺した。


 ダンジョンの湿った石のにおいじゃない。

 乾いた土と、煙と、焦げた木のにおい。


 (……村だ)


 視界の端に、トルネアの家並みが浮かんだ。

 小さな家。畑。丘。


 「レン! 今日も手合わせだ!」


 木剣を構えたリアムが、笑っている。


 「……今、それ出してくるの、ずるいだろ」


 思わず、声が漏れた。


 もちろん、目の前のリアムじゃない。

 頭の中に流し込まれてきた“記憶”の方だ。


 


 「へぇ」


 第七の声が、少しだけ近づいた気がした。


 「その景色が、一番最初に浮かぶのね」


 糸が、わずかに引かれる。


 丘の空が、にじむように赤く染まり始めた。

 さっきまで澄んでいた青が、濁った色に変わっていく。


 


 「やめろ」


 短く言う。


 「勝手に記憶をいじるな」


 「いじってなんていないわ。

  少し、“今”と重ねてあげてるだけ」


 声、丘の風の音、ダンジョンの風の音が、頭の中で混ざる。


 


 「レン!」


 ルデスの声が飛ぶ。


 「立て! まだ落ちるな!」


 「……分かってますって」


 返事はできた。


 けど、自分の声が、ほんの少し他人のものみたいに聞こえた。


 


 肩の傷から伸びる糸が、また強く引かれる。


 ドクン。ドクン。


 心臓の鼓動に合わせて、

 誰かの感情みたいなものが流れ込んでくる。


 苛立ち。嫉妬。焦り。

 それから――得体の知れない“諦めのようなもの”。


 (これ、俺のじゃないな)


 セイルの中を通ってきた感情が、少し混じっているのが分かった。




 でも、糸は止まらない。


 肩の中で、自分の輪郭と、誰かの感情が、ぐちゃぐちゃに混ざる。


 


 ――「レン、すごいよな」

 リアムの声。


 ――「レンがいてくれて、助かっちゃった」

 リーナの声。


 ――「君は本来、勇者の隣に立つべき人材なんだ」

 ルデスの声。


 


 それら全部が、一瞬ずつ頭の中に流れてきて、

 最後に周囲の音にかき消される


 (こんな風に並べて見せられると、ムカつくな)


 自分でも気づかないくらい奥底に沈めていた感情が、

 勝手にかき混ぜられているのが分かった。




 ゆっくりと立ち上がる。


 膝は重い。

 けど、足はまだ動く。


 短剣の重さが、唯一“現実”を教えてくれている気がした。


 


 第七の指先が、すっと上がる。


 こっちに糸が、今度は一気に引き寄せられた。


 「っ……!」


 頭の中が、真っ白になった。


 景色が、一瞬ごっそり抜け落ちる。


 ダンジョンの広間。

 勇者たち。

 ルデス。

 眠るリーナ。

 横たわるセイル。


 それら全部が、遠くへ押しやられていく。


 


 代わりに、目の前に浮かんだのは――


 燃え落ちる家。

 崩れた村の門。

 空を覆う巨大な影。


 (……母さん)


 ずっと“病気で死んだ”と思い込んでいたはずの背中が、

 巨大な影にさらわれていく光景が、はっきりと見えた。


 あの日の鈴の音と、

 さっきまで十四層で聞こえていた鈴の音が、重なる。


 チリン…


 


 「レン!」


 誰かの叫びが、すごく遠くで聞こえた。


 自分でも、誰の声か分からない。


 (……マズい。本当に持っていかれる)


 足の裏の感覚が、ほとんど残っていない。


 代わりに、糸が張り付いている肩だけが、やけに重かった。


 


 「まだ、“自分”でいられる?」


 第七が聞いてくる。


 「ここから先は、どっちでもいいのよ。

  手を離しても、掴んだままでも」


 「……勝手なこと言いますね」


 口は、まだ動いた。


 でも、その次の瞬間――


 自分の指が、勝手に短剣を構え直した。


 意識していない角度で、腕が上がる。

 足が、半歩前に出た。


 


 (……今の、俺の意思じゃないな)


 ようやく、はっきり分かった。


 “動き”が、自分の感覚とズレ始めている。


 まだ中から見ていられる。

 でも、手足の操縦桿だけ、誰かに奪われていく感じ。


 


 「ルデス!」


 リアムの声が飛ぶ。


 「レンの様子、おかしい!」


 「分かっている!」


 ルデスの返事。


 風が、一瞬だけ強く俺の体にまとわりついた。

 でも、その風を利用して、一歩前へ出たのは――


 俺じゃなかった。


 


 「……レン?」


 ルデスが、目を細める。


 「大丈夫か」


 「平気だよ」


 口が勝手に、そう答えた。


 言い回しはいつも通り。

 声色も、ほとんど変わらない。


 でも、自分の中で、それを聞いている“もう一人の自分”がいた。


 (あぁ、今の、俺じゃないな)


 妙に冷静な声が、心の奥でそう呟いた。


 


 「いい子ね」


 第七が満足そうに笑う気配がする。



 糸が、最後にぐっと締め上げられた。


 肩の痛みが、すっと引く。


 代わりに、頭の中のノイズが、きれいに整えられていく。


 


 (……あ、これで終わりか)


 自分の考えが、自分のものかどうか分からなくなる感覚。


 剣を握る指。

 足の位置。

 視線の向き。


 全部が、“他人の操作”なのに、

 それを自然だと思い始めている自分がいた。


 


 「レン、聞こえるか」


 遠くから、誰かが呼ぶ。


 ――聞こえている。

 でも、もう返事をする権利だけが、指先から零れ落ちていく。


 (悪いな)


 心の中でだけ、そう呟いた。


 父さんにも。

 リアムにも。

 ルデスにも。

 リーナにも。

 セイルにも。


 


 「――さあ」


 第七の声が、はっきりと聞こえた。


 「まずは、勇者の前に立ってあげて」


 足が、音もなく前に出る。


 視界の中央に、リアムの姿が収まった。


 金色の髪。

 光をまとう剣。

 驚いたような瞳。


 その全部を、どこか他人事のように眺めながら――


 


 俺は、短剣をゆっくりと構えた。


 その動きに、もう“俺の意思”は、ひとかけらも乗っていなかった。

☆☆☆☆☆でランキング乗れるかもしれませんので是非お願いします!

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