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80.レンとセイル

 セイルは、真っ赤に濁った瞳で、まっすぐこっちを見ている。


 次の瞬間、足元の空気が一気に冷えた。


 「――っ!」


 床石ごと、白い霜が一気に走る。

 氷の刃が、ためらいもなく俺の喉元めがけて突き上がってきた。



 考えるより先に、体が動いていた。


 半歩横に滑り、短剣の腹で氷の刃を叩き折る。

 折れた破片が頬をかすめ、冷たさと痛みだけが残った。


 


 「容赦ねぇな、おい……!」


 思わずこぼれた声に、返事はない。


 セイルの指が、無造作に横へ払われる。

 それだけで、十数本の氷槍が俺の胴と脚をまとめて貫こうとしてきた。


 一本なら避けられる。

 けど、これは完全に“殺しに来ている”数と角度だった。


 床を蹴る。

 風が足に絡みつき、ルデスの補助がタイミングよく背中を押した。


 腰をひねり、ギリギリのところで槍の群れをすり抜ける。

 上着の裾が裂け、冷気が肌に直接触れた。


 


 「顔が、違いすぎるだろ……セイル」


 呟きは届いているのか、いないのか。


 セイルの表情には、迷いらしいものがひとかけらもなかった。

 ただ、目だけがぎらぎらと赤く濁っている。


 氷紋が、床一面に広がっていく。


 今度は、先に動いたのはセイルだった。


 滑るような速さで距離を詰め、

 手のひらから、至近距離の氷弾を叩き込んでくる。


 「っ……!」


 短剣で受けた瞬間、手が痺れた。

 氷とは思えないほど重く、硬い。


 


 「最初から……それ前提で組み立ててる動きかよ」


 目の前の冷気の壁を見て、思わず笑いが漏れた。


 手加減も、牽制もない。

 本当に殺すつもりで撃ってきている動きだ。


 (なのに――)


 ほんの一瞬、違和感が走る。


 今の弾を、あと指一本分だけずらされていたら、

 俺の肋骨は確実に砕けていた。


 「……わざとじゃない、のか?」


 問いは口に出さなかった。


 出したところで返事が返ってくる顔じゃなかったからだ。


 


 「レン!」


 背後から、リアムの声が飛んでくる。


 「そいつ、完全に敵だと思って動け! 油断したら、本当に死ぬぞ!」


 「言われなくても分かってる!」


 短く返す。


 同時に、セイルの足元で氷紋がまた光った。


 今度は、頭上から。


 天井近くまで伸びた氷柱が、一瞬で鋭い杭に変わり、

 雨のように降ってくる。


 


 (避け切れない数だ)


 全部を避けるのは無理だと直感した。


 けど――だからといって、止まる気は一切ない。


 「……だったら、前に出るしかねぇよな」


 前へ、踏み込む。


 降り注ぐ氷杭の“間”を、無理やりこじ開けるように走る。

 肩と腕にいくつか浅い傷が走るが、致命傷は避けた。


 セイルとの距離が、一気に詰まる。


 「っ……!」


 セイルの目がわずかに揺れた。


 そこで初めて、セイルの中の“何か”が、ほんの少しだけ反応したように見えた。


 


 「お前、ほんとに俺を狙うなら――」


 短剣を構え、息を整える。


 「そんな顔で、撃つなよ」


 返事はない。


 代わりに、セイルの周りで冷気がさらに膨れた。


 足元から、床一面に細かい氷紋が走る。




 肩の傷が、ずきりと痛む。


 同時に、そこから伸びているはずの細い糸が、強く引かれた気がした。


 


 「……やっぱり、第七をどうにかしないとダメだな」


 歯を食いしばりながら、俺は短剣を握り直す。


 セイルの殺意と、見えない糸と、自分の意識。


 全部が、十四層の広間の中でごちゃ混ぜになってる、あの糸の原因さえどうにか出来れば…


そう考えている時だった。


 「あなたたちそろそろ壊してもいいかしら」


 第七の指先が、ふっと動く。


 床の割れ目から立ち上がっていた糸が、一斉に張り詰めた。

 セイルの胸元へ刺さっている束が、ぎゅっと締め上げられる。


 「――っ……!」


 セイルの体が大きく震えた。


 次の瞬間、冷気が爆発した。


 空気そのものが凍ったみたいに息が重くなる。

 床石にまで霜が食い込み、ひび割れの隙間から白い煙が噴き出した。


 


 「……マジかよ」


 思わず小さく漏れる。


 周囲の魔力が渦を巻き、セイルの周りに集まり始めた、さっきまでの氷槍とは“質”が違った。

 ただ速くて鋭いだけじゃなく、当たった瞬間に中から凍らせにくるような圧力がある。


 肩の傷が、それに共鳴するようにズキズキとうずく。

 


 「レン」


 セイルが、低く名前を呼んだ。


 さっきまでの空ろな声とは違う。

 憎しみとも怒りともつかない、まとわりつくような感情が混ざっている。


 「……ずっと思ってたんですよ」


 赤く濁った瞳が、真正面から俺を射抜いた。


 「なんで、いつもあなたなんですか」


 氷の魔法陣が足元で回る。


 「リーナさんを助けたのも、十四層で一番最初に飛び込んだのも。

  ボス部屋の前で、真っ先に前に出るのも」


 言葉と一緒に、冷気が押し寄せてくる。


 「あなたばかり……」


 最後の一言だけ、妙に生々しかった。


 


 「セイル!」


 返事を返す前に、足元の氷紋が一斉に光る。


 周囲一帯から、無数の氷柱が生えた。


 床から、壁から、斜め上から――

 “逃げ道を潰すように”生えてくる。



 ルデスからの風の補助を全開で使い、最初の数本を滑り込むようにくぐる。

 どうしても避けきれない軌道だけ、刃の腹で叩き割った。


 ひとつ折るたびに、腕に鈍い衝撃が走る。


 「ほんと、加減って言葉知らないな、お前!」


 氷柱を蹴り台にして、さらに一歩前へ。


 


 「……羨ましかったんですよ」


 セイルが、ぽつりと落とす。


 氷の嵐の中、声だけが妙にはっきりと届いてきた。


 「リーナさんが、自然にあなたの名前を呼ぶのも。

  ダンジョンの話をするとき、いつもあなたのことが一緒に出てくるのも」


 氷刃が、横から滑り込んでくる。


 ぎりぎりで身をひねり、頬をかすめていった。


 冷たさと、少しの血の感触。

 セイルは怒りと言うより、少し悲しそうな顔をしていた。


 「そんな顔で、そんな言い方するなら――」


 短く息を吐き、床を蹴る。


 「最初からリーナのこと相談してこいよ!」


 


 氷柱の森を抜けた瞬間、視界が開けた。


 目の前に、セイルがいる。


 距離は、もう一息。


 「させないわよ」


 そこで、第七の声が割り込んだ。


 指先で、セイルに繋がる糸をきゅっと引く。


 「っ……!」


 セイルの体が跳ねる。


 次の瞬間、足元の氷紋が“別の形”に組み替わった。


 「まずは――感情から、潰しましょうか」


 糸が、さらに深く食い込む気配がした。


 


 「……うるさい」


 セイルの顔から、一瞬だけ表情が抜け落ちる。


 代わりに、冷たい殺意だけが残った。


 今度の視線には、さっきまで混ざっていた迷いも、嫉妬もない。


 ただ、“標的”として俺を見ている目だった。


 「――レン」


 名前だけを呼び、手が上がる。


 足元の魔法陣が、これまでで一番暗く、深い色で光った。


 (まずい、これは――)


 体が勝手に警鐘を鳴らし始める。


 


 「王子殿下!」


 背後から、オルフェンの声が飛ぶ。


 「レンを中心に、風を厚く! 一歩でも遅れたら凍り付く!」


 「分かっている!」


 ルデスの返事と同時に、足元の空気が一段と軽くなる。


 まるで見えない手が、背中を押しているみたいな感覚。


 「リアム!」


 今度はイリスの声。


 「こっちも、いつでも動けるようにしておくから!」


 「恩に着る! セリカ、前!」


 背後の気配が、一気に戦闘態勢に変わるのが分かった。


 それでも――セイルの魔力の重さは、それを上回っていた。


 


 「レンさん」


 セイルが、ほんのわずかだけ口元を歪める。


 「……ここで、終わらせます」


 その一言と同時に、魔法陣が弾けた。


 床一面から、無数の氷槍が“爆発するように”飛び出す。


 さっきまでとは違う。

 一発当たれば、そこから先は全部凍り付くと直感で分かる密度と圧。


 「上等だよ、セイル!」


 叫びながら、前へ飛ぶ。


 逃げない。下がらない。


 目の前にある“殺意”ごと、全部まとめて受け止めるつもりで――2本の短剣を構えた。


 氷槍の嵐に向かって飛び込みながら、

 俺は短剣を前に突き出した。


 刃が、黒に近い銀色へと濃く染まっていく。

 触れた氷ごと、魔力を吸い上げていく感覚が腕をしびれさせた。


 氷槍を一本、二本、三本――

 避けきれない分は、全部短剣で弾き飛ばす。


 「ッ……!」


 肩の傷が焼けるように熱くなる。

 けど、その熱と一緒に、氷の圧も少しずつ薄くなっていくのが分かった。


 


 (まだいける)


 歯を食いしばり、なんとか正面を切り抜ける。


 視界の端で、勇者たちが、第七使徒と向き合うのが見えた。

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