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75.狂う嫉妬心

 セイルの指先に、ふたたび冷気が集まり始めた。


 「ちゃんと、消してあげます」


 さっきよりも魔力の密度が濃い。

 この狭さで連発されたら、本気で洒落にならない。


 (マズいな……)


 左肩はまだじんじん痛む。

 動きも少しだけ鈍っているのが自分でも分かる。


 俺が短剣を握り直した、そのとき――


 ――チ……リン。


 さっきまでの鈴とは、少し違う響きだった。

 耳の奥ではなく、“部屋そのもの”が鳴ったような音。


 空気が、ゆっくりねじれる。


 「いいね。

  とても、きれいに歪んでる」


 第三者の声が、広間の真ん中に落ちた。


 


 いつの間にか、そこに女が立っていた。


 霧が人の形になったような輪郭。

 銀の細い針と、指に絡んだ赤い糸だけがやけにくっきりしている。


 「……誰?」


 思わず構えを低くする。

 女は俺ではなく、真っ直ぐセイルだけを見ていた。


 「セイル。久しぶり」

 女は楽しそうに微笑む。

 「今度は、夢じゃなくて現実で会えたわね」


 「……あなたは……」


 セイルの顔色がさっと変わる。

 “見覚えはあるのに、はっきり思い出せない”ときの、()()()()


 女は肩をすくめた。


 「いいの。名前なんて覚えなくて。

  私はただ、あなたの“糸”を()っているだけだから」


 その言い方に、背筋がぞわっとした。


 (……鈴のときと、同じ種類の気配だ)


 頭の奥がうっすら痛む。

 あの“何かに心を握られたような感じ”が、じわじわ蘇る。


 


 「セイル。あなた、とても素直ね」

 女は一歩近づき、セイルの真正面に立つ。

 「リーナさんを守りたい。レンが邪魔。

  ちゃんと縫った通りに、きれいに動いてる」


 「……僕は……」


 セイルの声がかすれた。


 「僕は、本当に……そう思って……」


 「そう。だからね、少しだけ“足りない”の」

 女は銀の針を指先で回した。

「もっと強くしてあげる」


 次の瞬間、針先がセイルの首筋に当てられる。


 「っ……!」


 セイルの身体がびくりと震えた。


 針の先から、赤黒い液体が糸のように流れ込んでいく。

 魔力とも血とも違う、いやな色だった。


 「おい、やめろ!」


 踏み込もうとすると、床から細い糸のような魔力が立ち上がり、

 俺の足首に絡みついた。


 「っ……!」


 足が、ぴたりと止まる。

 力を入れても、一歩も前に出られない。


 「レンくんは、まだよ」

 女がちらりとこちらを見る。

 「あなたはあとで“じっくり”縫うつもりだから」


 その目は、俺を“人”ではなく、

 ただの“材料”として見ていた。


 


 セイルの呼吸が荒くなる。


 「っ、はぁ……っ……!」


 さっきまで青白かった魔力が、

 濁った色に変わり始めた。


 空気がきしむ。

 広間そのものが、セイルの魔力で満たされていくような圧迫感。


 「いい反応」

 女は楽しそうに頷く。

 「これはね、“魔力を膨らませて、すこしだけ壊す薬”よ。

  誰かの糸を引っ張るには、ちょうどいいの」


 「セイル!」


 呼ぶと、セイルはこちらを見た。


 さっきと同じ顔なのに、

 瞳の色だけが明らかにおかしい。

 理性の光が薄くなって、濁った炎が揺れている。


 「……レン」


 「やめろよ。こんなの、お前らしくないって分かってるだろ」


 「分かりませんよ」

 セイルは静かに首を振る。

 「でも……ひとつだけ、はっきりしました」


 冷気が、彼の周りで渦を巻く。


 「あなたには、消えてもらわないと困るってことです」


 俺の足を縛っていた糸が、すっとほどけた。


 女は一歩下がり、完全に“観客”の位置に立つ。


 「さあ、見せてちょうだい。

  あなたの“暴れ方”を」


 セイルの周囲に、氷の粒子が竜巻のように立ち上がった。


 次の瞬間――


 <<凍嵐ブリザードレイン>>


 広間いっぱいに、氷の雨が降りそそいだ。


 氷の雨が、天井から一気に降ってきた。


 「マジかよ……!」


 細かい氷の槍が、無数に広間を埋めつくす。

 避け損ねれば、一瞬で串刺しだ。


 俺は床を蹴り、右へ、前へ、時に滑り込むように転がった。


 短剣で弾けるのはごく一部だけ。

 残りは、とにかく“当たらない位置”に体を運ぶしかない。


 「そんなに避けられるなんて……さすがですね」


 セイルの声が、妙に楽しそうに聞こえた。


 「褒められてる気がしないんだけど……!」


 肩の傷がズキズキと痛む。

 さっき刺さった氷片が、まだ中に残っている感覚だ。


 それでも足は止めない。

 止めた瞬間、蜂の巣だ。


 


 「……足元、甘いですよ」


 セイルが指先を下に向けた。


 床にぶつかった氷が、今度は一気に凍りつき、

 俺の足を取ろうとする。


 「っと……!」


 つるりと滑りかけた瞬間、

 俺はとっさに短剣を床に突き立てて体を支えた。


 「よくそんなこと思いつきますね。

  でも――逃げるだけですか?」


 「逃げてるわけじゃないよ。

  お前を『攻撃出来ない』だけだ」


 「……そうですか」


 セイルは少しだけ眉をひそめた。

 その表情は、どこか悔しそうで、どこか嬉しそうでもある。


 


 氷の雨が弱まり、今度は前方に魔力が凝縮していく。


 「じゃあ、これならどうですか」


 「……まだ来るのかよ」


 <<氷刃連弾アイスバレット>>


 無数の氷の弾丸が、一直線ではなく、

 “曲がりながら”こちらに殺到してきた。


 (誘導弾かよ……!)


 俺は壁際まで一気にダッシュし、

 直撃コースにある弾だけを短剣で叩き落とす。


 それでも全ては切り払えない。

 かすった弾が頬や腕を裂き、冷たい痛みを残していく。


 「ほんとに、避けるの上手ですね。

  ……イラつきます」


 「本音が出てるよ、セイル」


 「出してるんですよ」


 セイルの目が、氷の色を深めていく。


 


 (このままじゃ、じり貧だな……)


 攻撃しないまま避け続けているせいで、

 傷だけがじわじわ増えていく。


 短剣を握る手に、血がにじむ。


 (でも、ここで本気で斬ったら……取り返しがつかない)


 セイルが操られているのは、もう分かっている。

 本当の敵はあの女だ。


 だから――

 セイルの体は、できるだけ傷つけたくない。


 


 その迷いが、一瞬、動きを鈍らせた。


 「――甘いですよ」


 セイルがすっと手を振った。


 床の氷が、刃の形に盛り上がる。


 <<氷裂スプリットライン>>


 足元から走った氷の線が、爆ぜるように弾けた。


 「っ――!」


 避けきれず、爆風と氷片に巻き込まれる。

 体が宙に浮き、そのまま床に叩きつけられた。


 「……ぐっ!」


 息が止まりそうになる。

 視界が一瞬、白く飛んだ。


 耳がじんじんと鳴って、世界の輪郭がぼやける。


 (やられた……)


 体を起こそうとしても、力が入らない。

 左肩から流れる血が、じわじわ床を濡らしていく。


 


 「やっと、倒れてくれましたね」


 近づく足音。

 氷の靴底が、石の床をゆっくり踏む音。


 セイルの影が、目の前に落ちる。


 「すみません、レンさん。

  恨んでくれても構いませんよ」


 「……恨まないよ。

  お前が言ってるんじゃないだろ、今のそれ」


 「いいえ。僕ですよ」


 答えながらも、その瞳の奥は泣きそうに揺れていた。


 届いていないだけで、“本物のセイル”はまだ中にいる。


 


 セイルが手を上げた。


 今度は一点に、濃い魔力が集まっていく。

 さっきまでとは違う“決めの一撃”の気配。


 (まずい、本当にここで――)


 立ち上がろうとした瞬間――


 ――ドンッ!!


 耳をつんざくような衝撃音とともに、

 広間の壁が一部、吹き飛んだ。


 「っ……なに?」


 セイルがそちらを見るより早く、

 冷たい風が吹き込んでくる。


 「やっぱりここか」


 聞き慣れた声だった。


 「レン!」


 リーナの叫びが、崩れた壁の向こうから響く。


 舞い上がる砂煙の中、

 風をまとったルデス王子と、息を切らしたリーナが中に飛び込んできた。


 「間に合ってよかった。

  ……状況は、最悪だね」


 ルデスが一目見てそう言った。


 俺はゆっくりと上半身を起こし、口の中の血を吐き出す。


 「王子、リーナ……悪い、ちょっとヘマした」


 「しゃべらないで! 今、治すから!」


 リーナが駆け寄ろうと一歩踏み出した、その瞬間――


 ――チリン。


 また、鈴が鳴った。


 今度の音は、はっきりとこの部屋の“真ん中”から響いた。


 リーナの足が、ぴたりと止まる。


 その瞳が、ゆっくりと濁った光を帯びていくのを、

 俺は息を詰めて見ていた。

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