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72.狂う歯車

(セイル視点)


 作戦会議が終わり、隊が解散したのは夜遅くだった。

 宿舎に戻ったセイルは、湯だけ浴びるとベッドに体を投げ出す。

 身体の疲れは深く、意識はすぐに沈んでいった。


 ――そのはずだった。


 


 ふと、耳の奥で何かが鳴る。


 ――チリン。


 金属が触れ合うような、小さな音。


 セイルは眉を寄せ、薄く目を開けた。

 だが、見えるはずの天井は消えていた。


 


 霞のような霧が漂う、知らない部屋。

 床には赤い線が糸のように伸び、ゆっくりと脈打っている。


 「……夢、か?」


 声を出しても、返事はない。

 ただ、空気がやけに静かだった。


 


 その静寂に、別の足音が混ざる。


 コツ、コツ、と。

 柔らかい靴音が、霧の向こうから近づいてきた。


 


 「気づいたのね。セイル」


 女の声だった。


 振り向いた先――

 そこには、銀の針を指にかけた女が立っていた。

 輪郭ははっきりしているのに、顔立ちだけがどうしても焦点に合わない。


 


 「……誰だ」


 「あなたの夢を覗いているだけよ。

  だから安心して。ここは痛みがほとんどないの」


 女はそこで笑った。

 その笑みは優しいのに、背筋が冷える。


 


 気づくと、足元に赤い糸が絡みついていた。

 動こうとした瞬間、糸がきゅっと締まる。


 「……っ」


 腕も重い。

 まるで、体が鉛になってるようだった。


 


 女は糸を見下ろしながら、ゆっくりと近づく。


 「セイル。あなたには“守りたいもの”があるでしょう?」


 その言葉に、胸がざわつく。


 リーナの姿が、小さく浮かんだ。


 


 女はその表情の変化に気づいたのか、針を軽く持ち上げた。


 「ええ、そう。それでいいの。

  その感情を、少しだけ整えてあげる」


 「……整える?」


 「あなたの心の“糸”を縫い直すの。

  優先順位を、ほんの少し……ね」


 


 針先がセイルの胸元に触れた。


 痛みはない。

 だが、胸の奥がざわりと逆流する。


 思い出すのは――

 リーナの笑った顔。

 困ったように眉を寄せた顔。

 そして、あの日の不安そうな瞳。


 すべてが異様に強く胸を締めつけた。


 


 「はい、できた」


 針が離れると、赤い糸はすぅっと溶けて消えた。


 セイルは息を吸おうとした。

 しかし胸の中の“偏り”だけが残ったままだ。


 


 「……今の……」


 問いかけようとすると、女は指を唇に当てた。


 「いいの。夢だから。

  明日になれば、もっと自然になるわ」


 視界が揺れ、霧が崩れていく。


 


 消える直前、女はたった一言だけ残した。


 「楽しみにしているわ、セイル。

  あなたが“どちら”を選ぶのか――」


 


 次の瞬間、意識が浮上する。


 


 セイルは大きく息を吸い、目を開けた。

 朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。


 心臓は速く、額には汗。


 なのに――

 夢の内容はほとんど思い出せなかった。


 


 ただひとつだけ、

 胸に不自然なほど強い感情が残っていた。


 


 (……リーナを、守らないと)


 


 それが本物かどうかすら、

 セイル自身には分からなかった。



◇◆◇◆◇◆◇


(レン視点)


 陽の光が斜めに差し込む廊下を歩きながら、俺は軽く伸びをした。

 昨日は遅くまで会議だったが、身体の疲れは意外と残っていない。


 寮の玄関を抜けると、リーナがすでに待っていた。

 ペンダントは光っていないが、表情はどこか晴れない。


 「おはよう、レン」

 「リーナも早いね」


 彼女は小さく頷くと、視線を横に向けた。


 「……セイル、ちょっと様子がおかしい気がして」

 「昨夜の疲れじゃないですか?」

 「それならいいんだけど……」


 気にしすぎだろうと思ったが、否定はしなかった。

 あいつは昨日の“あの一撃”のあと、ずっと顔色が悪かった。


 


 そんな話をしていると、玄関の扉が開いた。


 「……おはよう、二人とも」


 セイルが出てきた。


 髪は整っているし、制服も乱れていない。

 だが、動きがほんの少しぎこちない。

 眠れていないというより、“何かを飲み込んだ”ような顔だ。


 「朝から揃ってるとは珍しいな」

 「遅いよセイル。体調、大丈夫?」

 リーナが一歩近づいた。


 セイルは一瞬だけ、視線を逸らした。


 「……問題ない。寝不足なだけです」

 「そう?」


 そのとき、セイルの目がわずかに俺をかすめた。

 その一瞬の“鋭さ”に、胸の奥が引っかかった。


 (……なんだ?)


 敵意ではない。

 ただ、何かが以前と違う。

 それだけが妙に気になる。


 


 そこへルデス王子が姿を現した。


 「全員そろってるね。じゃあ行こうか。

  今日は十四層の再調査だ。昨日の違和感を確認する」


 王子はいつも通り涼しい顔で言い、軽く歩き出す。


 俺とリーナがその後ろに続くと、

 セイルは一拍遅れて歩き出した。


 


 学園の石畳を歩く音が、朝の静けさに吸い込まれていく。

 しばらくして、リーナが俺の袖を軽くつまんだ。


 「……やっぱり、変じゃない?」

 「そう……でだね。少しだけ」


 「少し、じゃないよ……昨日から……」


 言いかけて、リーナは口をつぐむ。

 王子の耳に入らないように、慎重に言葉を選んでいる。


 俺は小さく頷いた。


 「戻ってきたら王子に相談しましょう」

 「……うん」


 


 その会話の少し前を歩いていたセイルの肩が、

 ほんのわずかだが強張ったのを、俺は見逃さなかった。


 (……聞こえてた、か?)


 いや、違う。

 聞こえたというより――

 声に反応した、そんな風に見えた。


 


 ダンジョン入口の前で一度足を止める。

 冷たい空気が吹き抜け、石造りの門が淡く光っていた。


 ルデス王子が振り返り、短く言う。


 「――行こう。今日の目的は“違和感”の確認だ。

  深入りはしない。全員、気を抜くなよ」


 その声に、全員が頷く。


 セイルも頷いたが――

 その横顔は、昨日までとはどこか違っていた。


 


 リーナの不安。

 セイルのわずかな変化。

 そして、あの鈴の音。


 全部が、一つに繋がりかけている気がした。


 (……大丈夫だよな、セイル)


 そう思いながら、俺は転移門へ足を踏み入れた。

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