70.動き出す感情
勇者パーティと別れ、霧に消えていく背中を見送ったあと。
その場には、俺たち五人だけが取り残された。
ルデス王子が振り向き、軽く顎を上げる。
「――予定どおり十四層の周辺調査を続ける。勇者たちは中心部だ。
俺たちは入口側の安全を固める」
「了解です」
セイルが短く返事をする。声は落ち着いているが、ほんの少し緊張が滲んでいた。
リーナはペンダントに触れ、淡い光を灯す。
「魔力の流れ……さっきのよりは穏やか……だけど、まだ重い感じね」
「無茶だけはしないように」
ルデスが前に出て、風の魔力を薄く纏った。
俺たちは列を作ってゆっくり霧の奥へ進む。
十四層は、他の階層より静かだった。
音が吸い込まれるようで、足音さえ遠く感じる。
「……来る」
セイルが突然立ち止まった。
その直後、霧が左右に動き、狼に似た魔物が三体、低く身をかがめて飛び込んでくる。
「前二、右一。リーナ、下がって!」
ルデスが指示を出す。
「う、うん――きゃっ!」
一体が急加速してリーナに飛びかかった。
ペンダントの光がぶれ、リーナの足元の霧が乱れる。
『リーナ!』
声が重なり俺とセイルが同時に飛び出した。
しかし――先に届いたのは俺だった。
爪が当たる直前、短剣の側面で軌道を弾き返し、
返す刃で喉を切り裂く。
魔物は霧へ溶けた。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……ありがと、レン」
リーナの声は震えていて、胸のあたりを押さえていた。
その横で、セイルがわずかに表情を曇らせる。
「……間に合ってよかった」
言葉はそれだけだが、悔しさを隠しきれていない。
「話はあとだ。残り二体!」
ルデスが風の斬撃を繰り出す。
俺はもう一体に飛びかかり、セイルは氷魔法で援護し、
リーナが光の魔法を重ねる。
短時間で全部片付いた。
「次の広い通路を確認したら戻ろう」
ルデスが言い、俺たちは再び列を整えて歩き出した。
少し進んだ先で、ゴーレム系の魔物と狼が混ざった小集団が現れた。
「前衛は俺とレン。セイルは後衛から援護。
リーナは光で動きを鈍らせてくれ」
「了解!」
「任せて!」
リーナの光が狼の動きを止め、ルデスがゴーレムに突っ込む。
俺は狼へ走り、背後からセイルの声が響いた。
「氷槍、撃つ。レン、右に二歩!」
言われた通り、俺は右に跳んだ。
――その瞬間だった。
――チリン。
耳の奥を、小さな“鈴”がかすめる。
え? と意識が揺れたと同時に、
セイルの動きが一瞬だけ“歪む”のが、目に見えた。
「っ!?」
本来、魔物へ向かうはずの氷槍が、
まっすぐ――俺の方に飛んできた。
「レン!!」
リーナが叫ぶ。
反射で身体をひねり、氷槍をギリギリで避ける。
頬を冷気が切り、背後の岩に深く突き刺さった。
ルデスが声を上げる。
「セイル、今のは……!」
セイルは真っ青な顔で震えていた。
「ち、違う……狙いは魔物だった……!
手が……勝手に……!」
必死に言い訳しているわけじゃない。
本当に、いま自分に何が起きたのか分かっていない顔だ。
(……鈴の音。まさか……)
脳裏を冷たい予感がかすめたが、まだ確信は持てなかった。
今は戦闘中だ。
考えるのは後だ。
「戦闘続行!」
ルデスの声で我に返り、残る魔物を片づけた。
戦闘が終わり、霧の奥に静けさが戻る。
ルデスが周囲を確認しながら言った。
「今日はここまでだ。ここより先は勇者たちが担当している。戻るぞ」
全員が頷く中で、ひとりだけ――セイルが動かない。
「……セイル?」
リーナが声をかけると、
セイルはハッとしたように顔を上げた。
その表情は、どこかぼんやりしている。
「ごめん……少し、魔力の感覚が……」
リーナが心配そうに近づく。
「本当に大丈夫? さっきの氷槍、かなりぶれてたけど……」
「っ……!」
セイルの眉がわずかに跳ねた。
「ちがう。違うんだ、リーナさん。
僕は……僕は、絶対に仲間に向けて撃ったりしない……!」
声が震えている。
それを否定してほしいように、リーナを見つめていた。
リーナは困ったように微笑む。
「分かってるわよ。でも……無理だけはしないでね」
セイルはうつむいた。
俺はその横顔を見ながら、心の奥で小さく息を吐く。
(あの“鈴の音”。あれが原因じゃないのか……?)
だが、口に出すことはしなかった。
セイル自身が気づいていない。
リーナを不安にさせるだけだ。
そして――
そのわずかな沈黙の中で、セイルの瞳の色がほんの一瞬だけ赤く揺れたことに、
俺もリーナも、気づかなかった。




