66.今後の方針
夜の空気が少し冷えていた。
寮の集会室に集まったのは、ルデス王子、リーナ、レン、そして俺の四人。
テーブルの上には簡単な地図と書き込み済みの記録紙が並んでいる。
「明日から本格的に十一層から十四層を一括で調査する」
王子の声は落ち着いている。
「十四層には勇者パーティが入っているから、
僕たちは十四層手前までの攻略に集中だ」
俺は地図を見ながら頷く。
「各層の魔力値は午前と午後で変動しています。
周期的ではないので、何か動いている可能性が高いです」
「その分析を続けてくれ。君の解析魔眼は信頼できる」
王子の言葉に軽く会釈する。
視線を横に向けると、彼女が柔らかく微笑んでいた。
その隣でレンが軽く腕を組み、彼女と何か小声で話している。
(……またそれか。)
些細なやり取りなのに、胸の奥がざらついた。
別に、特別な理由があるわけじゃない。
ただ、彼女が笑う時の視線が、いつもレンに向いている。
そのことに気付くたび、喉の奥が詰まる。
「セイル?」
「……あ、すみません。もう一度お願いします」
我に返ると、王子が少し首をかしげていた。
「明日は僕とリーナが先行、君とレンは後方で記録だ」
「了解です」
「夜は早めに休め。体調を崩すと誤差も増える」
「気をつけます」
会議は一時間ほどで終わり、
解散したあと、彼女が軽く手を振った。
「じゃあ、また明日ね」
「うん」
レンが自然に隣を歩く。
その姿を見ながら、俺は息を飲んだ。
(……俺、何を気にしてるんだ。)
頭の中で自分に言い聞かせても、
小さな違和感だけが残ったままだった。
翌日、十層の魔法陣を抜けて、
十三層までの調査は順調に進んだ。
王子が地図を畳みながら言った。
「今日はここまでにしよう。
勇者たちは十四層の中心まで到達したらしい」
「明日も同じ範囲を?」
「いや、明日は休みだ。報告を整理する」
その言葉に、彼女が小さく息をつく。
「やっと休めるね……」
「お疲れさまです」
俺は少し距離を取って歩いた。
⸻
帰り道、十層への転移陣へ続く通路は薄暗く静かだった。
王子が先頭、その後ろにリーナ、レン、そして最後尾に俺。
魔力の流れを確認しながら歩いていたとき、
――かすかな“ゆらぎ”を感じた。
「……?」
後方から、空気がわずかに波打つ。
解析魔眼が、一瞬だけ刺すように反応した。
(何か……いる。)
振り返った瞬間、視界が白く弾けた。
音もなく、空気ごと引きずり込まれる。
魔法の気配。転移だ。
「っ――」
声を出す間もなかった。
身体が消えたのを、誰も気づかない。
ルデス王子たちはそのまま歩き続け、
足音が遠ざかる。
残ったのは、揺らぐ空気と、
わずかに残る魔力の痕跡だけだった。
――冷たい感触が、指先を包んでいた。
目を開けると、灰色の天井がゆっくりと視界に広がる。
石造りの部屋。四方を囲うように黒い布が垂れている。
かすかに香の匂いがした。
(……ここは、どこだ。)
体を動かそうとしたが、手足は柔らかい布のようなもので固定されていた。
力を入れても、まるで生き物のように締め付けが強くなる。
「起きた?」
静かな声がした。
目線を上げると、部屋の奥にひとりの人物が立っていた。
長い黒髪、顔の下半分を覆う薄布。
その瞳は、淡い紫――眠気と理性の境目のような色をしていた。
「……あなたは誰ですか?」
「セブンナンバーズの1人、第七使徒。『夢を縫う者』と呼ばれている。」
名乗り方が淡々としていて、感情がまるで見えない。
「セブンナンバーズ?第七使徒?なんの話しですか?」
「そうか君は何も知らされて無かったんだね」
見透かしたように笑う。
「君は見えるのだろう? 他人の魔力の“形”が」
セイルは言葉を失った。
夢を縫う者はゆっくりと歩み寄り、手にした針のような銀色の道具を掲げた。
それは魔力でできた細い糸をまとっている。
「魔力の流れを見る力は、こちら側でも珍しい。
私たちは“縫う”。君は“観る”。似ているようで、根本が違う。
――でも、合わせることはできる」
糸が光を放ち、空中でふわりと揺れた。
セイルの頭の奥に、微かに鈴のような響きが混じる。
「これは、夢に入るための糸。
記憶と感情をつなぐ“縫い目”になる」
「やめろ!」
「怖がらなくていい。これは痛みを与えるための術じゃない。
痛みは覚醒を生む。眠りは安定を生む。
君には“静かな目覚め”が似合う」
針先が近づく。
光が額に触れた瞬間、世界が波打った。
(――視界が、歪む。)
足元の石床が柔らかく変形していく。
暗闇が水のように広がり、遠くで声がした。
「リーナ……?」
彼女の声が、聞こえる。
笑っている。手を伸ばそうとしても、指が動かない。
「そのまま、見ていればいい」
夢を縫う者の声が、頭の中で響く。
「君の心が“揺れる”場所を、私は探す」
糸がさらに深く潜り込む。
温度のない感触が脳を撫でるように通り抜け、
思考の断片が少しずつ溶けていく。
(……思い出せ。俺は、何を――)
「眠って」
その一言で、すべてが途切れた。




