63.ルデス王子想像より強かった
五層の入口に立った瞬間、空気が変わった。
肌を刺すような冷たさ。
壁に走る文様が、かすかに青く脈を打っている。
「ここから先は、油断できない」
ルデス王子の声が静かに響く。
「戦闘間隔も短くなる。各自、判断を早く」
レンが無言で頷き、短剣を抜いた。
刃が淡く光を反射する。
その姿は、何度見ても淀みがない。
――目で追うたび、自分との差を思い知らされる。
「セイル、右の通路、冷気が濃い」
彼女がペンダントを押さえて言った。
「魔力の乱れ、近い距離に三……いや、四体」
「確認しました」
俺は前に出て、手をかざした。
指先が白く光る。
「《アイス・スパイク》」
氷の槍が放たれ、通路の奥を貫く。
魔物の悲鳴が響き、直後にレンが突っ込む。
彼の短剣が閃き、二体を一瞬で切り伏せた。
俺が作った氷の槍の隙間を縫うような動き。
まるで、こちらの魔法の軌跡まで読んでいたかのようだ。
「……すごいな」
思わず呟いていた。
「いいコンビネーションだね!」
彼女が笑う。
俺は微笑みを返しながらも、
(今のは俺が合わせただけだ)
と、心の中で静かに思った。
⸻
六層。
天井から光が降り注ぎ、霧のような魔力が流れる空間。
敵の数は多く、動きも速い。
レンは迷いなく踏み込み、次々と仕留めていく。
俺は後方から《フロスト・ウォール》を展開し、
彼の死角を塞いだ。
「後方、封鎖完了」
「助かる」
短いやり取りの中でも、
彼の声はどこか冷静で、鋭い。
俺が追いつく余地がないほどに。
――けれど、負けてはいられない。
彼女の風が通路を流し、敵の位置を露わにする。
俺はタイミングを合わせて、上空に魔力を展開した。
「《アイス・レイン》」
氷の雨が降り注ぎ、床を叩く音が重なる。
その中を、レンがひとり駆け抜けた。
水しぶきと氷の破片の中で動く姿が、
ほんの一瞬、光の残像のように見えた。
(……俺も、あの速さに届くようになりたい。)
⸻
七層では、敵の出現位置が変則的になった。
左右から、上下から。
立体的に動く相手に、俺の魔法は一瞬遅れる。
「セイル、上!」
彼女の声。
反射的に《フロスト・ウォール》を展開。
氷の壁が頭上に張り付き、落下してきた魔物を受け止める。
次の瞬間、その氷の上をレンが踏み込み、
上段から一閃――光が走る。
俺の作った壁を足場にして、彼は戦っていた。
「……使うなとは言えないけど、上手すぎるだろ」
思わず苦笑する。
彼女が笑いながら言った。
「いいチームプレイじゃない。 」
「……そうですね」
言葉ではそう答えたが、胸の奥で別の感情が生まれていた。
(俺の魔法は、彼の戦いを“支える”ためのものになっている。)
(でも、本当は――自分の戦い方を見せたい。)
⸻
八層と九層。
光が少なく、空気はさらに冷たい。
床の氷が足音を吸い込み、音も消えていく。
レンは前へ。
俺は後ろから援護。
何度も同じパターンを繰り返すうちに、
体の動きは自然と噛み合っていた。
「敵、右奥に三体!」
彼女が叫ぶ。
「任せてください」
指先が冷気に包まれる。
何百回も使った動作――けれど、今のそれは、
今までで一番速く、正確だった。
「《アイス・スパイク》!」
氷の槍が三本、同時に発射される。
狙い違わず、三体の魔物を撃ち抜いた。
レンが振り返る。
その目に、わずかに驚きが宿った。
「……悪くない」
その一言が、胸の奥で響いた。
「次は、もっと驚かせますよ」
自然と、そう言葉が出た。
⸻
階段の前で立ち止まる。
天井から差す青い光が、足元の氷を照らしていた。
ルデス王子が短く言う。
「ここからが本番だ」
レンが静かに頷き、彼女は笑みを浮かべる。
俺は二人の背中を見つめながら、
氷の冷たさが、心の中で小さな熱に変わるのを感じていた。
(次は、俺が前に出る。)
そう心に刻み、十層への扉を見上げた。
第十層。
階段を降りた瞬間、空気が変わった。
薄暗い空間の奥、巨大な石像が膝をついた姿勢で沈黙している。
胸の中心で青い魔石が淡く脈を打ち、まるで心臓の鼓動のように光っていた。
「……これが、《ストーンガーディアン》」
彼女の声がわずかに震えている。
「油断するな」
ルデス王子の声は低く落ち着いていた。
剣を抜き、軽く一振り。
その刃が空気を切ると、風が一瞬だけ震えた。
(風を……剣に纏ってる?)
彼の姿を見た瞬間、胸の奥で何かがざわついた。
これまで王子が本格的に戦う場面を見たことはなかった。
だが、いま目の前にいる彼は──
明らかに“現場を知る戦士”の構えだった。
石像の眼が光り、地面が震える。
巨体がゆっくりと立ち上がり、腕を振り下ろす。
床の岩が弾けるように砕け、粉塵が舞った。
ルデス王子が前へ出る。
「レン、右から回り込め。セイルは援護を」
その声は落ち着いていた。
「《ウィンド・ブレード》」
ルデスの剣が淡く緑に光り、
放たれた斬撃が風の刃となって空気を裂く。
目に見えぬ圧力がガーディアンの腕を逸らし、
レンの攻撃が胴をかすめた。
(すげぇ……あれ、完全に魔法と剣の一体化だ。)
俺は後方で手を掲げ、
「《アイス・スパイク》!」
氷の槍が空中で散開し、脚部を狙う。
風が流れ、氷が一斉に滑るように飛ぶ。
ルデス王子の風の流れに乗って、
俺の魔法の軌道がわずかに変わった。
結果、槍が正確に関節へ突き刺さる。
(……合わせてくれてる。風で、俺の魔法を導いてるんだ。)
レンが踏み込み、魔石へ一撃。
ルデス王子がその横で《エア・ステップ》で体を翻し、
ガーディアンの反撃を受け流した。
「セイル、氷の壁を!」
「了解です!」
《フロスト・ウォール》が展開され、
地を這う風の刃が壁にぶつかり、粉雪のように散った。
壁の向こうでルデス王子が一瞬だけこちらを見た。
その目に映るのは指揮官ではなく、
戦場を理解している“仲間”の目だった。
「……やっぱり、この人、強いな」
思わず呟く。
彼女がすぐ横で微笑んだ。
「ふふ、王子って呼ばれてるけど、実戦経験も豊富だよ。
王都警備の任務も、昔は自分でやってたらしいし」
「そんな話、聞いてない……」
「本人、あんまり言わないもん」
ルデス王子が風を纏って跳び上がる。
「今だ、リーナ!」
「《ウィンド・バースト》!」
彼女の詠唱が重なり、
風と氷が交差した瞬間、ガーディアンの動きが止まる。
そのわずかな隙に、レンが魔石へ跳び込んだ。
短剣が青光を反射しながら突き刺さる。
ガーディアンが叫び声のような音を上げ、
身体全体がひび割れ、崩れ落ちた。
静寂。
氷が溶け、風が止む。
ルデス王子が軽く息を吐き、剣を納める。
その姿は一切乱れていなかった。
「……かなりの実力ですね」
思わず口に出す。
彼は軽く笑った。
「そんな風に言われるのは、久しぶりだ。」
「今の戦い、俺の魔法の流れ、誘導してくれてましたよね?」
「気づいたか。……風は流れを変える。君の氷は、それに乗ればより速く届く」
彼女が手を合わせて笑った。
「つまり、相性ばっちりってことね。」
俺は肩をすくめて答える。
「……次は、風に頼らなくても届くようにしますよ」
ルデス王子が短く頷いた。
「いいね。その意気だ、セイル」
⸻
戦いのあと、
冷気の残る空間に小さな風が通り抜けた。
砕けた石片の上で、彼女のペンダントが青白く光る。
それを見つめながら、俺は静かに息を整えた。
(このチーム……想像以上に、強い。)
(でも、だからこそ負けたくない。)
氷の冷たさの奥で、
確かに小さな炎のようなものが灯っていた。




