57.勇者リアムの噂
長く続いた夜が明け、王都の空には柔らかな朝の光が差し込んでいた。
鈴の音が止んでから三日。
鈴の噂も喧騒が薄れ再びいつものざわめきを取り戻しつつあった。
レンは寮の自室で目を覚ました。
まだ少し夢の名残が残る。
昨日まではずっと警備や報告に追われていたが、今日は久々に“学園の生徒”としての一日だ。
上体を起こし、机の上に置かれた二本の短剣へ目を向ける。
一つはリゼに武器屋であった時貰った銀の刃。
もう一つは、ルデス王子から受け取った黒銀の短剣――“双極の刃”の片割れ。
どちらも磨き上げたように美しく、
だが後者の刀身には、どこか生き物のような“気配”があった。
レンは静かに鞘から抜き、
光の下でゆっくりと刃を眺めた。
「……やっぱり、ただの武器じゃないな」
目を凝らすと、金属の表面に微かに文様が浮かんでいる。
見たことのない古代文字のような線。
触れた指先に、かすかな熱が伝わった。
(発動条件も分からない。……鑑定も効かない)
リゼに頼んで調べてもらったが、結果は空白のままだった。
スキルの鑑定すら拒むような武器。
まるで、持ち主を試しているかのようだ。
軽く振ってみる。
風を裂く感触が、いつもと違う。
音が鈍い。いや、沈む。
――振るうたびに、空気の流れが吸い込まれていくような感覚。
「……これが“王の刃”の本性か」
そのとき、扉の外からノックの音がした。
「レンくん、起きてる?」
リーナの声だった。
「はい、もう起きてます」
扉を開けると、彼女は明るい笑みを浮かべていた。
体調はもう完全に戻ったようで、あの虚ろな表情はどこにもない。
「今日は授業再開の日でしょ? 一緒に行こ」
「うん、そうだね」
レンは短剣を鞘に戻し、上着を羽織った。
リーナはその動作を横目で見て、首をかしげる。
「あれ?2本剣持ってたっけ?」
「ちょっと報酬で……新しいのを」
「ふーん……なんか、すごく“重い”感じするね」
彼女は近づき、刃の鞘に手を伸ばそうとした。
その瞬間――。
カン、と乾いた音。
鞘が微かに震え、リーナの手がはじかれた。
「わっ……! な、なにこれ!?」
「……触れるな、ってことらしい」
レンは苦笑して、鞘を押さえた。
まるで刃が持ち主以外を拒絶するように、冷たい波動が残っている。
「やっぱり、ただの短剣じゃないね」
「リゼさんが持ってる短剣に似ているわね」
リーナが笑って言うと、少しだけ部屋の空気が和らいだ。
学園の中庭には、久々に学生の笑い声が戻っていた。
それでも、耳を澄ませばあちこちから同じ名前が聞こえてくる。
「聞いたか? 本当に勇者リアムが来るらしいぞ!」
「次の“大剣術祭”で審査員をするって! あの“光の剣士”がだよ!」
「実物を見たら卒倒しそう……」
噂の熱が、風よりも早く校舎中を駆け抜けていた。
それはもう、ちょっとしたお祭りの前触れのようだった。
リーナが窓際で頬杖をつきながら笑った。
「ねえレンくん、勇者リアムって知ってる?」
「……ああ、少しだけ」
レンは視線を外へ向けた。
外の校庭では、訓練用の木剣を振るう生徒たちが見える。
朝日に照らされたその光景が、どこか遠い昔と重なった。
――丘の上で笑っていた少年。
金色の髪と、まっすぐな瞳。
木剣を振るたびに、空気が弾けるようだった。
“お前の剣、俺よりも正確だよ”
そう言って笑った声が、今も耳の奥に残っている。
「……リアムは、本当に強いよ」
レンの声は自然と小さくなった。
「力だけじゃなくて、人を引き寄せる。そういうやつだった」
リーナが首をかしげる。
「会ったこと、あるの?」
「昔ね。同じ村に住んでた。……子どもの頃、一緒に剣を振ってた」
「えっ、幼なじみ!?」
「そんな大げさなものじゃないよ。ただの友達」
そう言いながら、レンは少しだけ笑った。
けれどその笑みには、かすかな影が落ちていた。
“また王都で会おう”
その約束を、十四の春の日に交わした。
そして、まだ一度も果たされていない。
「ねえ、レンくん」
リーナの声が現実へ引き戻した。
「大剣術祭、知ってる? 三ヶ月後に開かれるんだって。
その審査員が――勇者リアム」
「……そうか」
「学園の上位生も、みんな出るみたいだよ。
王族の子や冒険者まで参加できるらしいし、すごい大会になるって!」
リーナの瞳は期待で輝いていた。
けれど、レンの胸の中には別の光があった。
それは再会の予感であり、同時に、
あの約束を果たせなかった悔しさでもあった。
「……負けられないな」
レンが小さく呟いた。
「え?」
「いや、なんでもない。行こう、次の授業だ」
リーナが首をかしげながらも、楽しそうに頷いた。
二人が教室を出たあと、
レンの腰に下げられた二本の短剣が、わずかに震えた。
まるで遠くの“光”に反応するように。
黒刃は沈黙を保ち、
黒銀の刃は微かに脈動していた。




