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53.記憶の扉

 鈴の音が夜を裂いた。

 短く、しかし耳の奥に焼き付くような音。


 レンとリゼはほとんど同時に駆け出していた。

 市場裏の路地を抜け、石畳を蹴る。

 月明かりが途切れるたびに、前方にちらつく小さな影――

 あの子どもだ。

 右手にはあの鈴が握られている。


 「待て!」

 叫んでも、返事はない。

 子どもは振り返りもせず、真っ直ぐに走っていく。

 その足取りはまるで夢遊病者のように揺らぎ、

 それでいて迷いがなかった。


 リゼが低く呟く。

 「誘導術がまだ続いてる……!」


 曲がり角を抜けた瞬間、空気が変わった。

 前方に――淡い光の輪が浮かんでいた。

 地面からわずかに浮かび、静かに揺らめく光。

 周囲の石畳は黒く焦げ、そこだけ現実の輪郭が歪んでいる。


 「……転移門?」

 「間違いない。術式は虚神語系――危険よ」

 「でも、このまま見失えば……!」


 レンが一歩、踏み出す。

 リゼは一瞬だけ彼を見た。

 「無理はしないこと。中で何が起きても、判断は早く」

 「了解です」


 子どもが光の中へ吸い込まれるように消えた。

 リゼがすぐに後を追い、レンも続いて飛び込む。


 ――瞬間、世界が裏返った。


 音が消える。

 視界が白く、そして赤く染まる。

 全身を貫くような痛み。

 脳に直接、何かが流れ込んでくる。


 「見ろ――思い出せ」


 声が響いた。

 知らない声。

 けれど、どこかで聞いたことがある気がした。


 リゼの姿が一瞬見えた。

 しかしその身体は光に溶け、遠ざかっていく。

 伸ばした手が届かない。



 そして、視界は闇に飲み込まれた。



 風の匂いが変わった。

 草の香り、木々のざわめき。

 見覚えのある――懐かしい、村の匂い。


 レンは気づくと、小さな手を握っていた。

 それは温かく、柔らかかった。

 見上げると、そこにひとりの女性がいた。


 肩まで伸びた栗色の髪。

 瞳は深い琥珀。

 旅装束の上からでも分かる、鋭く整った体の線。

 けれどその横顔は、驚くほど優しい。


 ――母さん。


 名前を呼ぼうとしても、声が出なかった。

 喉の奥で音が引っかかる。

 ただ、手の温もりだけが確かだった。


 「ほら、レン。見てごらん」

 母は道端の花を指さした。

 小さな白い花が風に揺れている。

 「剣も人の心も、同じよ。

  力で折るより、根を守る方がずっと難しいの」


 彼女の声は穏やかで、

 それを聞くと胸の奥が温かくなる。

 幼いレンは、その言葉の意味も分からないまま頷いた。


 ――記憶が、滲む。


 景色が少しずつ揺らぎ始めた。

 空が暗く、赤く染まっていく。

 遠くで誰かが悲鳴を上げた。


 次の瞬間、

 地を裂くような轟音が響いた。


 「……なに、これ……?」

 幼いレンが顔を上げた。

 空に、黒い影があった。


 巨大な翼。

 鱗に覆われた胴体。

 その口からこぼれる白い光が、

 夜のように世界を塗りつぶす。


 「レン、下がって!」

 母が叫び、レンを抱き寄せる。

 腰の剣を抜き、構える。


 「古の竜……どうして、ここに……!」

 母の声が震える。


 大地が揺れ、風が爆ぜた。

 次の瞬間、閃光が走り、視界が白く染まる。


 母の姿が一瞬だけ見えた。

 その瞳がレンを見つめていた。

 涙を堪えるように、微笑んで。


 「――レン、必ず、生きて」


 光が爆ぜた。

 音が消え、すべてが止まる。


 気づくと、レンはひとりだった。

 手を伸ばしても、誰もいない。

 ただ焦げた大地と、崩れた家。


 風の中で、鈴の音が鳴った。

 カラン……カラン……


 その音が、今の現実と重なる。


 レンは息を呑み、叫ぼうとした。

 けれど声は出ない。

 光が再び頭上から降り注ぎ――

 世界が崩れた。


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