51.響く声
南橋での救出から一時間後。
王都の空は深く沈み、遠くで稲光が瞬いた。
寮の一室――
ランプの灯が、三人の影を揺らしている。
「――以上が、現場で確認した内容です」
レンが報告を終えると、
ルデス王子は静かに椅子にもたれ、顎に指をあてた。
「音を媒介にした誘導術、そして遠隔操作……」
彼は低く呟く。
「術者の位置は特定できなかったのか?」
「はい。魔力の波は広範囲に散っていて、追跡は不可能でした」
リゼが答える。
「ただし、術の“指向性”が強かった。
発信者は意図的に南橋を中心にしていました」
ルデスは頷く。
「つまり、あそこは“実験場”だった可能性が高い」
重い沈黙が落ちる。
ランプの火が一瞬、揺らいだ。
その時――
カラン……カラン……
部屋のどこからともなく、鈴の音が響いた。
誰も動いていない。
それなのに、空気が震えていた。
レンがすぐに立ち上がる。
「今の音……!」
「落ち着いて」リゼが冷静に言う。
「これは“直接流入”。音が魔力波に乗っている」
ルデスの目が鋭く光る。
「つまり、向こうから接触してきたということか」
鈴の音が重なり、空気が歪む。
ランプの火が大きく揺れ、部屋の影が動いた。
『――最近ネズミに嗅ぎ回られていると思っていたが、お前だったか、ルデス・リステア』
声は男とも女ともつかない。
耳の奥ではなく、脳の内側に直接響く。
リゼが即座に詠唱を短く切る。
「魔力波、遮断開始――」
だが声は止まらない。
『お前たちは境界を越えた。
子らの声を拾うな。あれは“神の音”だ。』
「神の……?」レンが息を呑む。
ルデスは冷ややかに口を開いた。
「神の名を騙る者か。
音を使って子どもを操る、それが神の業だと言うのか?」
声が笑う。
『神は選ぶ。見える者と、見えぬ者を。
お前たちは後者だ――』
その瞬間、ランプの灯が弾けるように消えた。
部屋が闇に包まれる。
リゼが即座に魔光石を起動し、
淡い光が空間を満たす。
「……波、消失。完全に切られました」
リゼの報告に、ルデスは小さく息を吐いた。
「やってくれる」
机の上には、一枚の黒い紙片が残されていた。
誰も置いた覚えはない。
その表面には、乾いた血のような赤で
**“目覚めを拒む者、音に沈む”**とだけ書かれていた。
紙片を手にしたルデスは、無言のままそれを燃やした。
炎が赤く揺れ、黒い灰が舞う。
焦げた文字は、まるで触れてはならない呪のように崩れていった。
「……虚神教団、か」
ルデスの口から、静かにその名が落ちた。
レンが顔を上げる。
「きょしん……きょうだん?」
リゼがわずかに視線を動かした。
その瞳には驚きではなく、静かな諦めのような色があった。
「古い名よ。もう何十年も前に壊滅したはずの組織。
けれど、まだ“残響”がある」
「残響?」
「信仰って、簡単には消えないものなのよ」
ルデスが机に手を置き、淡々と続ける。
「奴らは“神の音”を媒介に人を導くと称し、
子どもや弱者の心を奪った。
信者の多くは洗脳され、二度と戻らなかった」
レンは思わず息を呑む。
「……そんな組織が、本当に?」
「“音”がある限り、奴らは再び現れる」
ルデスの声は静かだが、底に怒りがあった。
「彼らにとって、音は祈りであり支配の象徴だ。
そしてこの王都で再び鈴が鳴った。
つまり――誰かが、あの信仰を“蘇らせた”」
リゼは目を閉じ、短く息を吐いた。
「殿下、南区だけでなく北の市場でも“音”が確認されています」
「分かっている」
ルデスは頷き、燃え残った灰を指先で潰した。
「リゼ、北区の調査を。
レンは明日は学園へ。普段通りに過ごして、
“音の話”が出たら全て記録してくれ」
「了解しました」
リゼの返答は即座だった。
レンは黙って二人を見つめる。
“虚神教団”という言葉が、頭の中で何度も反響する。
神を名乗り、人を操る――。
自分の知らない世界の闇が、すぐそこまで広がっている気がした。
ルデスが最後に呟く。
「今夜はもう休め。
だが覚えておけ、レン。
“音”を恐れるな。そして聞き漏らすな」
その言葉が、鈴の余韻と共に胸に残った。
窓の外、遠くの街でまた微かに鈴が鳴る。
まるで、誰かが笑っているかのように。




