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50. 闇に響く鈴

 夕方、王都の風が涼しくなり始めるころ。

 学園の門の外には、橙の光が斜めに差し込んでいた。

 通りを歩く人々の影が長く伸び、街のざわめきがゆっくりと遠のいていく。


 レンは門の前で立ち止まり、周囲を見回した。

 ルデスから預かった地図を再確認する。

 印のついた南区――昨日、鈴の音が聞こえたという区域。

 あの夜の冷たい音がまだ耳の奥に残っていた。


 「……やっぱり、気のせいじゃなかったな」

 独り言のように呟いたとき、背後から声がした。


 「そうやって一人で構えてると、余計に狙われるわよ」


 振り返ると、影の中から黒衣の女性が歩み出た。

 夕日がその横顔を照らし、灰色の瞳がかすかに光る。


 「リゼ」

 レンが名を呼ぶと、彼女は軽く頷いた。


 「久しぶりね。前に会ったときより、顔つきが少し変わった」

 「そっちも。前より冷たくなった気がします」

 「褒め言葉と受け取っておくわ」


 わずかな笑みを残して、彼女は視線を後ろに向ける。

 「――サイラス」


 呼ばれて姿を現したのは、赤茶の髪を持つ青年だった。

 革鎧の上から羽織った警備服には、学園の紋章が縫い込まれている。


 「サイラス・ヴェイル。学園警備補佐。よろしく頼む」

 「レン・ヴァルトです。こちらこそ」


 サイラスは軽く頭を下げると、門の外を一瞥した。

 「殿下の命令ってのは聞いたが、まさか夜の王都で音の捜索とはな」

 「昼は人が多すぎる。音の性質上、夜でないと気配を拾えない」

 リゼの言葉に、レンが頷いた。


 「昨夜、確かに“鈴の音”を聞きました。

 リーナがその影響を受けています。気を抜かない方がいい」


 「了解」

 サイラスの表情から冗談が消える。

 リゼは静かに目を閉じ、意識を集中させた。


 彼女の瞳が淡く光る。

 「……魔力残滓、残ってるわね。

 南橋の方角に微弱な“誘導波”が漂ってる。

 鈴の音は、意図的に発されてる。自然現象じゃない」


 「誰かがやってるってことか」

 「ええ。魔力の波形が均一すぎる。これは“術式”よ」


 レンは短剣の柄に軽く触れた。

 リゼが彼の動きを見て、わずかに表情を和らげる。


 「あなた、以前より速くなってる。

 あの夜よりも、ステータスが上がってるね」

 「自覚はあります。自分でも制御が追いつかないときがある」

 「これが終わったらまた鑑定してあげましょうか?」


 彼女の灰色の瞳が、まるで測定器のようにレンを見つめる。

 空気が一瞬、張りつめた。


 だが次の瞬間、サイラスが肩をすくめて言った。

 「おいおい、もう少し和やかに行こうぜ。

 俺たちチームだろ?」


 「口を動かす暇があるなら足を動かしなさい」

 リゼが淡々と返す。

 「……はいはい、了解でございます」


 軽いやり取りのあと、三人は南へ向けて歩き出した。

 夕日の赤がゆっくりと沈み、街の影が伸びていく。

 リゼの足音はほとんど聞こえず、サイラスがそれを追い、

 レンは二人の背中を静かに見つめながら歩いた。


 ――夜が、また始まろうとしていた。

 夜が降り始め、王都の灯がひとつ、またひとつと消えていく。

 昼間の賑わいが嘘のように、南橋の周囲には人影がなかった。

 風も止み、ただ川のせせらぎだけが耳に届く。


 「静かすぎるな」

 サイラスが呟く。

 革鎧の上にかけた外套の裾を押さえ、辺りを見渡す。

 リゼは短く答えた。

 「魔力の残り香がある。」


 レンは膝をつき、石畳の隙間を覗き込む。

 そこには小さな靴跡がいくつもあった。

 子どものものにしては数が多く、同じ方向へ続いている。


 「やっぱり、ここが“入口”か」

 「可能性は高い。……ただし」

 リゼが声を落とす。

 「誘導系の術式は、仕掛けを辿るほどに“音”を強くする。

 不用意に近づけば、再び精神を侵される」


 「なら、音が出る前に終わらせよう」

 レンが立ち上がった。


 少し歩いたところでリゼが手を上げる、

空気が変わった。

 周囲の音が一瞬にして消える。

 風も、虫の声も、川のせせらぎさえも――。


 《隠密》が発動していた。

 彼女の存在が闇に溶け、気配そのものが消える。


 サイラスが低く呟く。

 「相変わらず、これやられると背筋が寒くなる」

 「油断しないで。音は南東の橋脚下、かなり深い」

 彼女の声だけが微かに届く。


 レンが目を閉じ、耳を澄ませた。

 ……カラン。


 遠くで、あの鈴の音が鳴った。

 昨日よりもはっきりと、そして近い。

 まるでこちらを誘うように。


 レンが短剣に手をかける。

 その刃に月明かりが反射した瞬間、

 リゼが指を鳴らす。


 「動くわ。サイラス、後衛の確保を」

 「了解」


 三人は一斉に動いた。

 リゼが闇を裂くように前へ、

 レンがわずかに遅れて地を蹴る。

 その足音すら、夜の空気に飲まれて消えていった。


 橋脚の下は狭く湿っていた。

 苔の生えた石壁、流れる水の匂い。

 奥の暗闇で、微かに光が揺れている。


 「ランタンの灯……誰かいる」

 サイラスの声に、リゼが手を上げて制する。


 音が――鳴った。

 カラン……カラン……

 子どもの笑い声が、それに重なる。


 「来るぞ」

 レンの目が光を捉える。


 次の瞬間、暗闇から“何か”が歩み出た。

 小さな影。

 だがその歩みは人間のそれではない。

 体が揺れ、まるで操られた人形のように不自然だった。


 リゼの瞳が光り、《鑑定》が発動する。

 「……魔力の糸。精神支配じゃない。

 魂の“共鳴”による操り」


 「共鳴?」

 「鈴の音に同調した心が、術者の魔力と繋がってる。

 子どもたちは、今もどこかで“呼ばれてる”」


 レンは息を吸い、短剣を構える。

 「なら――断ち切る」


 足元の石を踏む音が、雷鳴のように鋭く響いた。

 次の瞬間、彼の姿が消える。


 疾風。

 リゼがその残像を追えなかったほどの速さ。


 暗闇に閃光が走り、音の源――金属の鈴が粉々に砕けた。

 耳を裂くような金属音が広がり、光が霧散する。


 レンが息を吐くと同時に、

 リゼが短く呟いた。

 「……上出来ね」


 サイラスが肩で息をしながら、崩れ落ちた子どもたちを確認する。

 「生きてる。気を失ってるだけだ」

 「よかった」


 リゼは静かに周囲を見渡した。

 「……けれど、まだ終わってない。

 音の根源は、ここじゃない」


 その言葉と同時に――

 遠く、街の北からまた“鈴の音”が鳴った。


 今度は、まるで答えるように重なって…

 

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