48. 残された手がかり
朝食を終え、食堂を片づけたあと。
レンとリーナは校門を抜けて街の方へ向かっていた。
レンの手には一枚の地図――
ルデスが置いていった紙束の中にあったものだ。
淡いインクで描かれた街並みに、
ところどころ赤い×印がついている。
「ここが、例の“被害のあった場所”……か」
リーナが地図を覗き込みながらつぶやく。
「思ったより広いね」
「西区が多いな。路地が多いから、子供でも隠れやすい」
レンは地図の端を指でなぞりながら、街の外壁を思い浮かべる。
昼の王都は人で賑わっているが、通りを一本外れるだけで別の空気になる。
古い石畳、湿った木の匂い、軒先で揺れる洗濯物。
リーナは腕を組みながら周囲を見渡した。
「こういう時、宿をやってると便利だね。
常連さんからどこに何があるとか聞くの」
「宿の娘って、探偵みたいだな」
「ふふ、かもね」
彼女の笑顔が一瞬で柔らかく空気を変える。
そのまま二人は人混みを避け、細い路地へと入っていった。
地図の最初の×印――西区の端にある住宅街。
小さな家が並び、昼でも薄暗い。
レンは扉を軽く叩いた。
しばらくして、中から年配の女性が顔を出す。
「はい……どちらさん?」
「学園の者です。少しお話を伺ってもいいですか?
最近のお子さんの件で」
女性は一瞬目を伏せ、ゆっくりと頷いた。
「うちの子……三日前にいなくなりました。
朝、パンを買いに行ったきり戻らなくて」
リーナが優しく問いかける。
「最後に見かけたのはどこですか?」
「西の橋のたもとで。あの子、いつも友達と遊んでたの。
でもその日は一人で行くって言って……」
「怪しい人を見たとか、何か変わったことは?」
「うーん……その日は朝から霧が濃くてね。
人影もあまり見えなかった。
でも――そういえば、橋の下で“鈴の音”がしたって、近所の子が言ってたわ」
「鈴の音……?」
レンが眉をひそめる。
「それが消えると同時に、あの子もいなくなったって」
リーナが小声でつぶやいた。
「まるで……呼ばれたみたいね」
女性は肩を落とし、何度も「ごめんなさいね」と繰り返した。
レンは深く頭を下げ、静かに礼を言った。
「ありがとうございました」
二人は再び通りへ出た。
風が吹き抜け、遠くで教会の鐘が鳴る。
「鈴の音……それって、誘拐犯の合図とか?」
リーナが呟く。
レンは地図を開き、指で次の×印をなぞった。
「わからない。でも偶然にしては出来すぎてる」
「次は北の区画だね。少し距離があるけど」
「行こう。何か“共通点”が見つかるかもしれない」
二人は通りを抜け、また別の区画へ向かって歩き出した。
街の喧騒の中に紛れるように、
どこからか、かすかに――鈴の音が聞こえた。
リーナがぴたりと足を止め、レンが振り返る。
音はすぐに途切れ、風だけが残る。
「……今の、聞こえた?」
「……ああ」
二人は無言のまま、視線を交わした。
昼の光が街角を照らしながら、
不穏な影を、ゆっくりと伸ばしていった。
夕暮れが街を包み、石畳の上に赤い影を落とす。
昼間の喧騒が嘘のように消え、
王都の通りは静まり返っていた。
リーナは聞き込んだ情報を整理しながら呟く。
「みんな同じ時間帯に消えてる。
日が沈んでから、夜の鐘が鳴る前」
レンは隣で頷いた。
「子どもが外に出る時間じゃない。」
二人は地図を広げ、×印が集中している路地へ向かった。
そこは川沿いの裏通り。
古びた橋と、崩れかけた倉庫が並んでいる。
水面に灯りが反射して、ゆらゆらと揺れた。
夜風が冷たい。
人の気配がないのに、どこかで誰かが見ているような気がする。
リーナは小声で言った。
「……ねぇ、聞こえない?」
レンが足を止める。
最初は風の音かと思った。
でも、それは確かに“旋律”だった。
高く、細く、透き通った音。
鈴でも笛でもない。
まるで金属が水に沈むような、冷たい響き。
「この方向だ」
レンは足音を殺し、音の方へ進んだ。
曲がり角の先には、古い井戸がある。
石垣の間から光が洩れていた。
リーナが息を呑む。
井戸の縁に、小さな木の人形が置かれていた。
子どもが遊びで落としたような、粗末な作りの人形。
けれど、その胸元には――鈴がひとつ、結びつけられていた。
「これ……」
リーナが手を伸ばしかけた瞬間、
――カラン。
鈴が鳴った。
誰も触れていないのに、確かに音がした。
夜気の中で響いたそれは、すぐに遠くから呼応するように続いた。
レンはリーナの腕を引き、背中で庇う。
「下がれ」
「……何か、来る」
川沿いの道の奥――
闇の向こうに、かすかに“子どもの笑い声”が混じった。
ひとつ、ふたつ、三つ。
それが鈴の音と重なりながら、少しずつ遠ざかっていく。
「……子どもたちが、歩いてく?」
リーナの声が震える。
レンは地面に視線を落とし、足跡を確認した。
小さな靴跡が、川の方へ続いている。
だが、途中で――跡が途切れていた。
「……消えてる」
レンの低い声が、夜の空気を切った。
二人は慎重に川沿いへ進む。
そこには何の人影もない。
ただ、水面がかすかに光を反射しているだけ。
風が止み、代わりに――遠くでまた鈴が鳴った。
カラン……カラン……
どこか懐かしく、そして胸の奥がざわつく音。
リーナが耳を押さえ、膝をつく。
「だめ……これ、聞いてると頭がぼやける」
「離れろ、リーナ!」
レンが肩を掴み、引き離す。
その瞬間、風が吹き抜け、
井戸の方から一斉に鈴の音が響いた。
夜の街が、音に染まる。
冷たい旋律が、ゆっくりと王都を包み込み始めていた。
鈴の音が途切れたあと、
レンとリーナはしばらくその場に立ち尽くしていた。
冷たい風が吹き抜け、夜の川面がかすかに揺れる。
リーナの瞳は焦点を失い、ぼんやりと宙を見つめている。
「……リーナ?」
返事がない。
レンは小さく息を吐き、肩に手を置いた。
その体は驚くほど冷たかった。
「今日はもう帰ろう」
返答を待たず、彼女の腕を取り、ゆっくりと歩き出す。
夜の王都は静まり返り、石畳を踏む足音だけが響いていた。
途中、何度もリーナが立ち止まりかけたが、
レンは言葉をかけず、そのまま寮まで導いた。
部屋の扉を開けると、ランプの灯りが差し込む。
机の前にルデス王子が座っていた。
まるで、二人の帰りを待っていたかのように。
「遅かったね。……顔色が悪い」
レンは軽く頷き、リーナの肩を支えながら答える。
「音を聞いた。鈴みたいな音がして、
そのあと――様子が急におかしくなった」
ルデスの表情がわずかに曇る。
「彼女を座らせて。詳しい話はあとで聞こう」
レンはうなずき、リーナをベッドの端に座らせた。
リーナは何も言わない。
ただ、視線の焦点がどこにも合っていない。
ルデスは小さくため息をついた。
「……記憶が曖昧になってるのかもしれない。
無理に話を聞くのはやめて、今夜は休ませよう」
「はい」
レンはリーナの靴を脱がせ、毛布をかけた。
彼女の呼吸が少し落ち着くと、ようやく安堵の息をつく。
ランプの灯りが静かに揺れ、三人の影を壁に映した。
ルデスは椅子に腰を戻しながら、
「君も休みなよ。僕はここで見てる」
と言ったが、レンは首を振る。
「いえ、自分もここにいます」
そう言って、床のカーペットに毛布を敷き、
背中を壁につけて腰を下ろした。
ベッドの上ではリーナが浅い眠りに落ち、
彼女の指先が微かに震えていた。
レンはしばらくそれを見つめてから、
小さく呟いた。
「……あの音、まだ耳に残ってる」
窓の外では風が止み、
街の遠くで、かすかに鈴の音が鳴った気がした。
けれど、もうレンはそれを確かめようとはしなかった。




