47.ルデス王子は気になる
ルデスは片手で髪を整える。
「そういえば――レンくん、料理上手いんだってね」
レンが手を止め、思わずリーナを見た。
彼女は窓際に立って、こっちを見ていたが、視線を感じるとすぐに目をそらした。
「……はい、まぁ一通りなら」
「じゃあ、なんか朝食作ってよ。食堂、借りれるように頼んでおくから」
「え?」
思わず声が漏れる。
ルデスは悪びれもせず、楽しそうに続けた。
「どうせみんな朝は遅いし、使ってる人もいないだろう? 君の腕前、気になるんだ」
リーナが苦笑いを浮かべる。
「私も手伝うから。ね、いいでしょ?」
レンは小さくため息をついた。
「……まぁいいですけど。何か食べたいものあります?」
「そうだな――最近考えることが多くて疲れてる。
甘いものがいいな。甘いけど、お腹にたまるやつ」
「……分かりました。食堂の材料を見てから決めてもいいですか?」
「もちろん」
食堂に入ると、まだ人影はなかった。
広い窓から差し込む朝日が白い床を照らし、
鉄鍋や木の調理台が光を受けて静かに輝いている。
「さすが貴族も通う学園ですね……」
レンは棚を開け、整然と並んだ食材を見て感心した。
「砂糖も、蜂蜜もあるなんて。
どちらも高価なはずなのに……」
ルデスは椅子に腰を下ろして、頬杖をついた。
「この学園は王家直轄だからね。
食堂の備蓄も、ちょっとした城並みさ」
レンは苦笑しながら、材料を並べていく。
「牛乳、卵、小麦粉、バター、砂糖、それに蜂蜜……」
リーナが興味深そうに覗き込む。
「何を作るの?」
「パンケーキ。甘いけど、しっかり食事になる」
レンは袖を軽くまくり上げ、静かに息を整えた。
ボウルに卵を割り入れ、フォークを泡立てる様に滑らせる。
しゃらんしゃらん、と金属の細い線がぶつかり合う音が、
まだ眠っている学園の空気をやわらかく震わせた。
卵に牛乳を加え、白い渦がゆっくりと混ざっていく。
続いてふるいにかけた小麦粉を落とすと、
粉雪のような粒が舞い、空気がふわりと甘くなった。
さらにフォークを使って混ぜていく
リーナが隣で、そっと息をのむ。
「手際いいね……」
「慣れてるだけですよ」
レンは小さく笑い、木べらで生地をすくい上げる。
とろりとした黄金色の生地が、滑らかに流れ落ちた。
鉄板を温めると、すぐに油が小さくはねた。
“じゅううっ”という音が、静かな食堂に広がる。
そこへ生地をゆっくりと流し込む。
甘い香りが一気に広がった。
小麦が焼ける匂いに、溶けたバターの香ばしさが混じり、
それを包むように蜂蜜の柔らかな甘さが立ち上がる。
まるで朝の光が匂いになって漂っているようだった。
「……いい匂い」
リーナが思わず目を細め、口の端から少しヨダレが垂れている。
レンは鉄板の縁に指先を当て、焼き色を確認する。
表面がきつね色に変わり始めると、
手首の返しだけで軽やかにひっくり返した。
ふわり、と生地が宙を舞い、
再び鉄板に戻ると、こんがりとした香りが一層濃くなる。
ルデスはその様子を見ながら小さく笑った。
「……なんだか、戦場の剣さばきみたいだね」
「料理も剣も、結局は手の延長です」
六枚のパンケーキが焼き上がるころには、
食堂全体が甘い香りで満たされていた。
金色の生地に蜂蜜がとろりと垂れ、
朝の光を受けて、まるで宝石のように輝いていた。
数分後、きつね色のパンケーキが六枚、
きれいに積み上げられて皿の上に並んだ。
仕上げにバターを乗せ蜂蜜をとろりとかけると、
朝の光を受けて金色に輝いた。
「どうぞ。焼きたてです」
レンが皿を差し出すと、
ルデスが目を丸くして「これは見事だ」と笑った。
リーナも嬉しそうに席に着く。
「さあ、できました」
彼が皿を差し出すと、リーナが思わず笑みをこぼした。
「すごい……お店みたい」
ルデスはフォークを取りながら、
「いや、王宮でもここまで丁寧に作られないよ」と感嘆の声を上げた。
席に着き、三人はしばし静かにパンケーキを見つめた。
湯気がゆらゆらと立ち上り、蜂蜜の香りがふわりと鼻をくすぐる。
レンが軽く頷き、
「冷めないうちにどうぞ」
その一言で、二人が同時にフォークを動かした。
ナイフが生地を切るたび、
ふかふかの断面から湯気が立ち上る。
口に入れた瞬間、ほのかな甘みが舌に広がり、
バターの香ばしさと蜂蜜の優しい甘さが重なっていく。
「……おいしい」
リーナがぽつりと呟く。
「甘いけど、重たくない。ふわってしてる」
ルデスも頷きながら笑みを浮かべる。
「本当に……心までほぐれる味だ」
レンは照れくさそうに肩をすくめた。
「そんな大げさなものじゃありませんよ」
「いや、本気で言ってるよ」
ルデスはフォークを止め、レンを見た。
「こういう食事を一緒にできる人って、そう多くない。
君は、空気まで優しくする味を作る」
言われて、レンは少し目を伏せた。
横でリーナが頬を染めながら、蜂蜜をもうひと匙たらしている。
その姿をちらりと見たルデスは、何か言いかけてやめた。
――食堂には三人の声と、
フォークが皿を叩く小さな音だけが響いていた。
外では鳥の声がして、
朝日がゆっくりと窓の縁を滑っていく。
ほんのひとときの穏やかな朝だった。




