45.これからと王子の本音
日が沈み、学園の中庭は赤から群青へと色を変えていた。
訓練場の喧騒もすでに遠く、校舎の窓に灯りが点り始めている。
「寮、まだ場所わからないでしょ?」
リーナが歩きながら振り向いた。
彼女の声は明るいが、どこか疲れを含んでいる。
「うん、正直まったく」
レンは苦笑して答える。
学園の規模は想像以上に広く、道も入り組んでいた。
講堂、温室、鐘楼を通り抜け、ようやく寮の建物が見えてくる。
「こっちが男子寮ね。女子寮は向こう側。
でも食堂と浴場は共用だから、間違えないように」
「助かる。……なんか、まるで城みたいだな」
「まぁ、殿下も住んでるからね」
軽く笑うリーナ。その笑い方には意味深な響きがあった。
寮の廊下は静かで、赤い絨毯が敷かれている。
壁には油ランプが等間隔で灯り、影が長く伸びていた。
「ここが君の部屋だよ」
リーナが立ち止まり、扉の前で振り返る。
部屋番号は「207」。
彼女がノブに手をかけた瞬間、内側から声がした。
「やあ、待ってたよ」
扉が静かに開く。
中には、いつもの穏やかな笑みを浮かべたルデス王子が座っていた。
読書でもしていたのか、机の上には開いた本とランプの灯。
レンは一瞬、言葉を失う。
「……え?」
「知らなかったみたいだね」
リーナが苦笑する。
「今日から、君の部屋はここ。
――ルデス・リステア殿下と同室」
レンは言葉を探すように視線を動かした。
王子は本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。
「そんなに驚かないでよ。僕も最初は驚いたんだ」
穏やかな声。
「でも、話しやすい相手のほうがいいだろう? それに――」
王子は軽く笑みを深める。
「君のことを、もう少し知りたいと思っていたから」
その言葉に、リーナの横顔がわずかに固まった。
「……あまり困らせないでくださいね、殿下」
「もちろん。僕はただ、友人として話がしたいだけさ」
静かな空気が流れる。
ランプの炎が、三人の影をゆらりと揺らした。
リーナは小さく息をつき、扉の外へ出る。
「じゃ、私はここまで。……おやすみ、レン」
「……ああ」
扉が閉まり、静寂が戻る。
部屋の中には二人だけ。
ルデスが机のランプを調整し、柔らかく光を落とす。
「さあ、座って。――君と話したいことがある」
部屋の中は静かだった。
机の上のランプが、柔らかく二人を照らしている。
ルデスは椅子に腰を下ろしながら、軽く笑った。
「君、スキル《ショートウェポンマスター》だったね」
「……そうだけど」
レンは少しだけ警戒した声で答える。
「しかもステータス補正がついてるスキル」
「珍しいの?」
王子は頷いた。
「珍しいも何も――ステータス補正が乗るスキルなんて、そう多くはない。
この国で確認されているのは、ほんの数例だけだよ」
彼は指を折りながら、順に挙げていく。
「たとえば《ブレイブソード》。今代の勇者が持つスキルだ。
俊敏とMP以外、すべてのステータスに成長補正がかかる。
次に《大賢者》。勇者パーティーの一員で、MPと知力に補正が乗る。
同じく《聖女》――こちらも勇者パーティーの仲間だね。
彼女はMPと知力、そして“治癒効果”に成長補正がある」
レンは黙って聞いていた。
ルデスは少しだけ口元を緩める。
「そして《ウェポンマスター》。確か君の父だったかな?
筋力と器用に補正がかかる。君の《ショートウェポンマスター》はその派生系――
つまり、才能の分岐だ」
「……父のこと、知ってるんだ」
「王城にいた頃、少しだけね。戦場では伝説の人だった。
そして伝承にはこうある――
“ステータス補正を持つスキルは、極めれば魔王を超越し、神に挑む資格を得る”と」
ルデスは視線を落とし、ゆっくりと言葉を続けた。
「本来なら、君は勇者と共に魔王を倒す側の人間なんだ。
でも……そうはならなかった」
レンの表情がわずかに揺れる。
「……俺は、人を殺した」
「知ってる」
ルデスは穏やかに答えた。
「だから、放っておけなかったんだ。
罪悪感に押し潰されて、それでも剣を捨てられない君をね」
その声はあくまで静かで、温かい。
けれど、すぐに続いた言葉が空気を変えた。
「――もっとも、優しさだけじゃないけど」
レンが顔を上げる。
ルデスは少しだけ笑い方を変えた。
「僕ね、大占い師のババアに言われたんだ。
“二十歳になったら殺される”って」
「……は?」
「そう。だから、君みたいに強い人間を近くに置いておこうと思ってさ。
要するに――護衛兼保険ってやつだよ」
軽く言いながらも、その瞳は冗談ではなかった。
ランプの炎が揺れ、壁に二人の影を映す。
レンはしばらく沈黙した後、小さく呟いた。
「……そんな理由で?」
「そんな理由“も”だよ。優しさだけじゃ、人は動けない」
ルデスは肩をすくめて笑った。
「安心して。僕は君を道具にするつもりはない。
君が罪を忘れない限り――君は、誰よりもまっすぐな剣だから」
その言葉には、不思議な重みがあった。
夜の静寂の中、二人の間にだけ灯りが揺れる。
それは信頼とも、策略ともつかない、曖昧な光だった。




