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44/83

44."格差"

 笛の音が止んだあとも、訓練場にはしばらく声がなかった。

 やがて、静寂を破ったのはカイルの取り巻きたちだった。


 「な、なんだ今の……!? 一瞬で終わったぞ!」

 「見たか? 今、あいつ消えたよな? ズルだろあれ!」

 「魔法か? 補助魔法使ったんじゃねぇのか? あんなの反則だ!」


 三人の声が重なり、場にざわめきが広がる。

 レンが木剣を下ろしても、誰も拍手をしない。

 ただ取り巻きたちだけが、悔しさを吐き出すように言葉を続けた。


 「カイルは手を抜いてたんだ。そうだろ?」

 「そうだよ、あいつ本気出してなかったんだ。

 ……そうじゃなきゃ、こんな結果になるわけがねぇ」


 その輪の中心で、カイルは何も言わなかった。

 木剣を握ったまま、うつむいて動かない。

 風が吹き、金髪が顔にかかる。


 誰も近づけない空気。

 ただ、その拳が震えているのを、リーナだけが遠くから見ていた。


 砂がさらさらと流れ、彼の足跡をすぐに覆い隠していく。

 まるで、さっきの勝負など最初から存在しなかったかのように。

 訓練場の端、柵の影に立ちながら、リーナは静かに状況を見ていた。

 取り巻きたちの声が風に乗って飛んでくる。

 「ズルしたに決まってる!」

 「目の前で消えるとか、おかしいだろ!」

 誰も彼の動きを見切れていなかった。

 それが普通だ。見えるはずがない。


 ――でも、自分には所々見えた。


 リーナはわずかに指先を握る。

 (ほんの一瞬。

  あの人の体が、空気の流れごと“滑った”……そんな感じだった)


 速さじゃない。

 力でも、技でもない。

 “存在が流れた”ような違和感。

 その動きは、美しいほどに自然で、理屈が追いつかない。


 「……あれは、魔法じゃない」

 呟きが漏れる。

 リーナは学園でも上位にいる。魔術も剣も心得ている。

 だからこそわかる――今の現象は、どちらでもない。


 (殿下は、あれを知ってたのかな)

 思考がふと冷える。

 王子の指名。突然の警護命令。

 そのすべてが、今の一撃に繋がっているように思えた。


 ――けれど、それでも。


 レンが木剣を下ろした時の表情は、ただ静かで、どこまでも人間らしかった。

 勝ち誇るでもなく、威圧するでもなく、

 ただ“終わったから剣を置いた”だけの自然な動き。


 「不思議な人だな……」

 思わず零れた声を、誰も聞いていない。


 取り巻きの騒ぎはまだ続いていた。

 けれどリーナの視線はもう、砂の上に残る二人の足跡に向けられていた。

 片方は重く深く、もう片方は軽く、まるで風が通り抜けた跡のように。


 リーナはそっと柵から離れた。

 日差しがまぶしい。

 それなのに、胸の奥には冷たい影が落ちていた。


 訓練場の喧騒が落ち着いた頃、空はもう橙に染まり始めていた。

 砂の上にはまだ足跡が残り、風が少しずつそれを消していく。

 レンは道具を返し終えると、静かに校舎裏の道を歩いていた。


 ――足音。


 「ねぇ、レン」


 振り向くと、リーナが夕陽を背に立っていた。

 光の向こうで、茶色の髪がふわりと揺れる。


 「すごかったね、今日の模擬戦」

 彼女は笑っている。けれどその声の奥に、探るような響きが混じっていた。


 「そうか?」

 レンは軽く首をかしげる。

 「自分では、ただ避けただけなんだけど」

 「避けただけ、ね」

 リーナはくすっと笑い、少し近づく。


 「みんな“消えた”って言ってたよ。

 でも、私には――ちゃんと見えてた」


 レンが目を瞬く。

 リーナの茶色の瞳が、真っ直ぐこちらを射抜いていた。

 「風の流れが変わったの。あれ、意識してやってるの?」

 「……さぁ」

 曖昧に笑って答えるレン。

 彼自身も、うまく説明できなかった。


 沈黙が落ちる。

 けれどそれは気まずくなく、どこか柔らかい空気だった。


 「ねぇ、レン」

 「ん?」

 「殿下に言われたこと、気にしてる?」

 「……まぁ、少し」

 短い返事。リーナは微笑む。


 「うん。あの人、面倒くさいけど悪い人じゃない。

 でも、少し“見てる世界”が違うんだ」


 レンはその言葉に何かを感じたように眉を動かした。

 「リーナは、どんな世界を見てる?」

 「んー……そうだな」

 リーナは夕焼けを見上げ、少し考えるように言葉を探す。


 「人が笑ってる場所、かな。

 私、それだけでけっこう満足なんだ」


 その声は穏やかで、どこか寂しげでもあった。

 レンは一瞬だけ、何かを言いかけてやめた。


 風が吹き抜け、彼女の髪を揺らす。

 太陽はもう建物の向こうに沈みかけている。


 「そろそろ戻ろっか。門限、過ぎるよ」

 リーナが笑いながら歩き出す。

 その背中を追いながら、レンは胸の奥のわずかな違和感を押し込んだ。


 ――あの速さは、何だったのか。

 そして、彼女の瞳に映った“それ”は、本当に自分の力なのか。


 問いは残ったまま、二人の影が夕陽に溶けていく。


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