41. 静寂の導き
夜の王都は、不気味なほど静かだった。
灯りの消えた石畳の道を、レンはリゼの背を追いながら歩く。
言葉は一つもない。足音だけが、乾いた夜気に吸い込まれていった。
向かう先は、王城のすぐ脇――街の高台に建つ古びた屋敷。
見た目こそ貴族の別邸のようだが、門の前には衛兵の姿も、灯りのひとつもない。
風に混じる冷気が、まるで「入るな」と告げているようだった。
「……ここは?」
レンが問いかけても、リゼは答えない。
ただ、沈黙のまま鉄の門を押し開け、軋む音とともに屋敷の中へと進んでいく。
中は思いのほか整っていたが、人の気配は一切ない。
床は磨かれ、埃すら落ちていない。
リゼは一枚の絵画の前で立ち止まった。
古びた肖像画の裏に手を伸ばすと、壁が鈍い音を立てて横に滑った。
――隠し通路。
レンが息をのむ間もなく、彼女は無言で中へ進む。
狭く、湿った石造りの通路。
天井を這う魔導灯が淡く灯り、長い影を二人の足もとに落とした。
どれほど歩いただろう。
曲がりくねった通路を抜けた先に、重厚な扉がひとつ。
リゼが止まると、扉の魔法陣が静かに光を放つ。
ギィ……と音を立てて開いたその奥。
冷たい空気の中、ひとりの男が立っていた。
「ようこそ」
その声に、レンの全身がわずかに強張る。
そこにいたのは――第2王子だった。
王子の視線が、レンをまっすぐ射抜いた。
その笑みは優しいのに、どこか底の見えない冷たさがあった。
「君の力を、私のもとで使ってほしい」
その言葉に、周囲の“刃”たちがわずかに動く。
空気が張り詰めた。誰も口を開かない。
拒めば――その場で斬られる、そんな緊張。
王子はそれを楽しむように、ゆっくりと続けた。
「王の刃として迎え入れる。ただし……表向きは違う」
レンが息をのむ。
「……違う?」
「そう。君には、明日から僕の“警護”についてもらう」
穏やかな声。しかし、その場の空気はさらに重くなる。
「それも――警護だと悟られない形で。
学園で、僕の友人としてね」
レンの眉がわずかに動く。
「なんで僕が? 他にも強そうな人がいると思いますが」
王子は目を細め、唇の端をわずかに上げた。
「それは簡単な話さ」
周囲の黒衣たちの気配が微かに変わる。
王子が言葉を紡ぐたびに、誰かが呼吸を止めた。
「ひとつ、君は裏の人間に知られていない。
ふたつ、僕と年も近い。
みっつ、そして――強い。」
微笑の奥、氷のような本音がのぞく。
王子の声は優しく響くのに、拒絶の余地を与えなかった。
短い沈黙ののち、レンはゆっくりと頷いた。
拒めば、この場で終わる――そう感じたからだ。
「……わかりました」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気がわずかに緩む。
王子が満足げに目を細め、口元に微笑を浮かべた。
「よかった。君のような人材を失うのは惜しいからね」
彼は一歩前へ出ると、胸に手を当てて軽く頭を下げた。
「改めて名乗ろう。私はルゼス・リステア――この国の第2王子だ」
静かにその名を告げると、部屋の全員が膝を折った。
レンだけが立ったまま、どう応じていいか分からずにいた。
ルゼスは軽く笑い、手を上げる。
「そんなに堅くならなくていい。君はもう“こちら側”なんだから」
声の温度が低くなる。
それが宣告のように響いた。
「何か質問はあるかい?」
少し迷ってから、レンが口を開く。
「……明日から、カイとのパーティはどうすれば?」
「ああ、その件はこちらでどうにかしておくから、心配いらないよ」
ルゼスは即答した。まるで、すでに全てを手のひらで転がしているように。
「他に何か?」
「……いえ」
「そう。では明日――学園に来てくれ。
そこのリーナが案内してくれるはずだよ」
リーナの瞳が一瞬だけ揺れたように見えた。
だがすぐに、また何事もなかったように伏せられる。
「では、今夜はここまでだ。おやすみ、レン」
王子の声が響いた瞬間、黒衣たちが一斉に動く。
レンの退路を開けるように、静かに並んだ。
――もう、引き返せない。
その確信だけが、胸の奥に残った。




