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35.隠された真実

 石畳の隙間を指先でなぞりながら、レンはゆっくりと呼吸を整えた。

 視線の先、古びた井戸がひときわ目を引く。

 蓋は半分外れ、木の枠は苔むしているのに、ホコリが被っている様子はない。


 (……手入れされてる?)

 子どもが遊ぶような場所ではない。にもかかわらず、周囲の土も掘り返した跡が新しい。

 胸の奥がざらつく。


 井戸の縁に近づき、小石を拾って落とす。

 「コツーン」――硬質な音が返ってきた。

 水ではない。底に何かがある。


 レンはあたりを見回す。裏庭は昼の陽射しに照らされ、誰の姿もない。

 そのとき、視界の端で縄ハシゴが目に入った。

 古びた壁にかけられたそれは、誰かが最近使ったように土がまだ乾ききっていない。


 (まさか……)

 胸の奥で鼓動がひとつ鳴った。

 レンは静かにハシゴを手に取り、井戸の中へと降ろした。

 ゆっくりと足をかけ、体を滑らせる。

 石壁は冷たく、指先が少し湿っている。


 腰に吊るした小型のランタンを灯すと、橙の光が井戸の内側をぼんやり照らした。

 壁の苔が光を受け、まるで何かを隠しているように暗く沈む。


 底に着いた。足元は固く乾いた石。

 (やっぱり、水なんてない……)


 ランタンを掲げ、ゆっくりと壁をなぞる。

 指先がざらついた石を滑り、ふと異質な感触に触れた。

 ――金属だ。


 光を近づけると、そこには小さな鍵穴があった。

 レンは息をのむ。

 ポケットから、女に渡された銀色の鍵を取り出す。


 カチリ――。

 短く乾いた音がして、石壁の一部がわずかにずれた。

 その奥から、冷たい空気が吹き出してくる。


 「……開いた、のか?」

 細い通路が続いている。

 レンはためらいながらも、数歩だけ足を踏み入れた。


 通路の壁は石造りだが、奥に行くほど湿気が濃くなり、空気が鉄臭い。

 光を掲げると、暗闇の奥から何かが浮かび上がった。


 ――錆びついた鉄具、ねじ切れた鎖。

 壁に打ちつけられた輪。

 床には散らばる白骨と、黒く乾いた染み。


 「……っ!」

 息を呑む。

 足元の骨が「コツ」と鳴った瞬間、全身の毛が逆立つ。

 (なんだここ……何をしてたんだ?)


 喉が乾き、心臓が速く打つ。

 これ以上はまずい――そう思い、レンは踵を返した。

 冷たい石を踏みしめながら、急いで通路を引き返す。


 井戸の底まで戻り、縄ハシゴを掴んで登り始める。

 額に汗がにじむ。

 地上の光が少しずつ近づいてくる。

 最後の段を登りきり、地面に手をついた瞬間、肺の奥の空気を吐き出した。


 「……はぁ、はぁ……」

 喉が焼けるように乾いていた。

 レンはランタンの火を落とし、乱れた呼吸を整える。


 ――今すぐ立ち去らなければ。


 ……縄ハシゴを手に取る指先が、まだ震えていた。

 井戸の底で見た光景が、まぶたの裏に焼きついて離れない。

 (早く片付けて……帰ろう。)


 レンは地上に出て、周囲を確かめてから縄ハシゴを引き上げはじめた。

 湿った縄が石の縁を擦る音が、やけに大きく響く。

 あと少し――そう思ったとき。


 「おや……そんなところで何をしているのかね?」


 背後から声。

 心臓が跳ねた。

 振り返ると、院長――ブランが井戸のすぐ背後に立っていた。

 丸い体をわずかに前へ傾け、笑っている。だがその目は冷え切っていた。


 「院長……これは、その……」

 「“その”とは?」

 笑みを浮かべたまま、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 「何を見た?」

 「……何も見てません。」

 「ほう。じゃあ、なぜ震えてる?」


 ブランの声が低くなる。

 太い腕が伸び、レンの胸倉を掴んだ。

 「まさか降りたのか? あの下まで!」

 「ち、違――」

 「何を見たッ!」


 怒声とともに力がこもる。

 肩が軋み、息が詰まる。

 レンは抵抗したが、力がまるで違う。


 「やめてください!」

 「黙れ!!」


 押し込まれる。井戸の縁が踵に当たる。

 石の感触が背に冷たい。


 (まずい、落とされる――!)


 レンは咄嗟に身を横へひねった。

 体を滑らせるようにかわすと、掴んでいたブランの手が空を切る。

 そのまま、ブランの巨体が勢いのまま前へと倒れ込んだ。


 「――っ!?」


 踏みとどまろうとしたが、足が縄に絡んだ。

 体勢を戻す暇もなく――


 ずるり、と。

 重い音を残して、ブランの体が井戸の縁を越えて消えた。


 「――っ!」

 レンは反射的に井戸の縁に駆け寄り、身を乗り出す。




 「……お、俺……」

 喉が乾いて声が出ない。

 昼の光が、まぶしくも痛かった。

 井戸の奥だけが、まるで世界から切り離されたように暗い。

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