34.陽だまりの家
坂道を上るたびに、空気が少しずつ静かになっていった。
遠くで商人の声が響く街の喧騒が、いつの間にか鳥のさえずりへと変わっていく。
“陽だまりの家”――そう木製の看板には刻まれていた。
白い壁と赤い屋根の建物。小さな花壇にはパンジーとマリーゴールドが並び、
風が吹くたびに黄色と紫がゆらゆらと揺れた。
門の前では子どもたちが笑いながら追いかけっこをしている。
その無邪気な笑顔に、レンの口元がゆるむ。
(……ここに、何かあるようには見えないな。)
けれど胸の奥に、どうしても消えない小さな棘のような違和感が残っていた。
(“武器は持っていくな?警戒心が強い?”――あの人、どうしてそんなことを言ったんだ?)
風が吹き抜け、ふと鉄の匂いが鼻先をかすめた。
ほんの一瞬のことで、レンは首を振って息を整える。
(届けて、少し話して、それから探そう。)
そう決めて門を押し開ける。
木の軋む音が耳に心地よく響き、陽射しの中に子どもたちの笑い声が重なった。
門をくぐると、木造の建物の玄関前で一人の男が子どもたちを見守っていた。
年の頃は五十前後、丸みを帯びた体つきに、油気を帯びた笑み。
白いシャツの襟元には、汗がうっすらとにじんでいる。
「どなたですかな。」
声は柔らかく、しかしどこか押しつけがましい響きを持っていた。
「はじめまして。リステアのギルドから頼まれて、寄付物資をお届けにきました。レンです。」
布袋を差し出す。中には食料が詰められていた。
「おお、これはこれは……ありがたい。最近は食料に困っておりましてねぇ。」
「ああそうだ、私は“陽だまりの家”の院長をしております、ブランと申します。」
ブランは笑いながら袋を受け取ると、やけにゆっくりと中身を覗き込み、
その視線を一瞬だけレンの腰元へ滑らせた。
「ふむ……若いのに、ずいぶん筋がいい腕をしておられる。
……剣士さん、ですかな?」
「ええ、まあ。今は修行中みたいなものです。」
「なるほど。それは立派なことです。」
ブランは口角を吊り上げた笑みを崩さないまま、奥へと手を差し伸べる。
「どうぞ中へ。子どもたちも喜びます。遠慮なさらず。」
木の床が鳴る。
中は外観よりも広く、廊下には陽の光が差し込み、
古い木の香りとわずかな湿気が混じっていた。
子どもたちの笑い声が近づく。
「お兄ちゃん、だれ?」「荷物持ってきたの?」「遊んでってよ!」
笑いながら駆け寄る子どもたち。
レンは膝をつき、頭を撫でながら笑みを返した。
「ちょっとだけだぞ。」
小さな手が袖を引き、無邪気な声が跳ねる。
けれど、その明るさの奥に、どこか妙な静けさがあった。
笑っているのに、瞳の奥が沈んでいる。
(……気のせいか?)
笑顔を崩さず子どもたちの相手を続けるレンだが、目線は折に触れて廊下や壁の縁を滑っていた。
棚の裏、額縁の影、扉の隙間――鍵穴がありそうな僅かな陰影を探す。
そのとき、ふと気づくと院長の姿が見えなくなっていた。廊下の奥へ入ったまま、戻ってきていない。
(院長、どこへ行ったんだ?)
声をかければ子どもたちも気にするだろう。今はそれを避けたい――だからレンは自然な動作で立ち上がり、目立たぬよう距離を取りながら動き出した。
「お兄ちゃん、まだ遊ぶー!」
「ちょっと待っててな、すぐ戻るから。」
子どもたちに笑顔を向けつつ、レンは廊下の影に沿って歩く。足音は床に吸われ、袖で軽く額の汗を拭う仕草は遊びの一部に見えるだろう。だが視線は常に扉の縁や床板の継ぎ目へと落ちる。誰にも気づかれないように、指先で触れて異物の感触を確かめる。
廊下の端、古い額縁の裏、花壇の手前に置かれた木箱の隙間――どれも鍵穴には見えない。だが視線を逸らさずに奥へ進むと、やがて裏庭へ通じる小さな勝手口の扉が見えた。鍵穴の類は見当たらない。井戸へ向かう石段の手前で、レンは一瞬立ち止まり、辺りの音を確かめる。子どもたちの声はまだ室内に残り、外から聞こえるのは遠い街の喧騒だけだ。
(ここら辺りに……)
荷物の中の鍵をそっと握りしめポケットに入れた、レンは身を低くして井戸まわりと倉庫の戸、石段の繋ぎ目を細かく確認していった。いかにも注意を引かないよう、作業しているふりをしながら、視線だけで可能性のある場所を舐めるように探る。
風が一度、庭木を震わせ、葉擦れの音が小さく響いた。レンの心拍は上がらない。動作はゆっくり、あくまで「手伝い」をしているかのように。院長が戻る前に見つけられればそれでよし、見つからなければ、そのまま何事もなかったように戻るつもりだ。




