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3.宿のぬくもりと、冒険のはじまり

 夕暮れの街を歩きながら、レンはため息をついた。

 冒険者登録を終え、Eランクのギルドカードを手に入れたものの、

 懐はほとんど空だった。


「銀貨……三枚。

 これ、宿泊まったら明日の飯代もないな……。」


 街の宿屋を何軒か回ったが、

 一泊あたり銀貨三〜五枚が相場。

 旅人の街リステアは、思っていたよりずっと物価が高い。


 通りの灯りがともり、パンと肉の焼ける匂いが漂う。

 その香りに胃が鳴った。


「……父さん、“これでしばらく困らん”って言ってたけど、

 一泊が限界だよ。」


 手の中の布袋は軽い。

 中に入っているのは銀貨三枚だけ。


 父ウィルは、腕は確かだった。

 だが十数年も田舎の村で暮らすうちに、

 すっかり金銭感覚を忘れていた。


『都会でも、笑ってりゃなんとかなる!』


「……宿代は笑顔じゃ払えないんだよ、父さん。」

 レンは苦笑して肩をすくめた。


 それでも、どこかで笑えてしまう。

 ――笑っていれば、なんとかなる。

 父の無責任な言葉が、今はほんの少しだけ背中を押してくれる。



 街のはずれ、小さな木製の看板が目に入る。


《ねこのしっぽ亭》


 木の扉は古びているが、窓から漏れる明かりは温かい。

 胸の奥で、何かが“ここだ”と囁いた。


 扉を押すと、カランと鈴の音。

 香ばしい匂いと、笑い声。

 その空気だけで少し安心できた。


 カウンターの奥で、ふくよかな女将がこちらを見る。

「いらっしゃい。……見ない顔だねぇ。」

「はい。今日、ギルドに登録したばかりで……その、宿を探してます。」

「なるほどね。悪いけど、部屋は銀貨三枚だよ。」


 レンは苦笑した。

「……実は、それが全部で。

 もしよければ、手伝いをさせてもらえませんか? 料理か掃除でも。」


 女将は少し目を丸くした。

「へぇ……あんた、見た目まだ子どもじゃない。

 料理なんてできるのかい?」


「はい。父と二人暮らしだったので、ずっと僕が作ってました。」


 女将は腕を組み、じっとレンを見つめた。

 細い腕、まだ幼さの残る顔。

 だが、その瞳は真っすぐで、冗談を言っているようには見えない。


「……そうかい。じゃあ見せてもらおうか。

 厨房、貸してやるよ。味を見てから決めようじゃないの。」


「本当ですか!」

「ただし、焦がしたら皿洗いね。」

「はいっ!」


 女将はため息をつきながらも、口元に笑みを浮かべた。

「まったく……面白い子が来たもんだねぇ。

 ほら、厨房は奥だよ。火傷しないようにね。」



◆厨房


 厨房は狭く、けれど整っていた。

 レンは袖をまくり、包丁を手に取ろうとして止まる。


 古びた包丁が棚に数本並んでいるのを見て、

 レンはおそるおそる女将に声をかけた。


「包丁、お借りしてもいいですか?」

「これかい?」

 女将は一本を抜き取り、柄をレンに差し出した。

 刃こぼれはあるが、よく研がれている。


「まずは貸してやるよ。返すのは出る時でいい。

 ただし、うちの子を傷つけたら承知しないよ。」

「大事に使います!」


 レンは包丁を両手で受け取り、深く頭を下げた。



 鶏肉、タマネギ、卵、トマト、米。

 女将が「このくらいで足りるかい?」と出してくれた材料だ。


「オムライスを作らせてもらえますか?」

「おむ……なにそれ?」

「卵で包んだご飯料理です。」

「へぇ、聞いたことないね。やってみな。」



 包丁の刃が火の光を反射してかすかに光る。


 レンはタマネギを手に取り、まな板の上に置いた。

 コン、コン、コン――一定のリズムが厨房に響く。

 切るたびに、透明な汁が光を反射して煌めいた。


 そして――三度目の刃が落ちた瞬間。


 包丁の刃が、ほんの一瞬だけ淡く光を放った。


 レンは思わず手を止めた。

 まるで包丁が息をしたかのようだった。

 だが、すぐに首を振り、作業を続ける。



 油をひいた鍋が、ジュッと音を立てた。

 タマネギを炒め、香りが甘く変わっていく。

 肉と米を加え、トマトを潰す。

 香ばしい音と香りが厨房を包み込み――

 女将の表情が驚きに変わった。


 卵を熱したフライパンに流し込み、

 ふわりと広がる膜の中心に炒めご飯を乗せる。

 手首を返すと、柔らかな黄色が包み込むようにまとまった。


 皿に盛られたオムライス。

 湯気とともに漂う香りが、客席にまで届いた。


 一口、そしてもう一口。

 女将の目が見開かれ、次の瞬間笑みがこぼれた。


「……うまいね。

 鶏肉の旨味がちゃんと出てる。

 塩加減も完璧だよ。」


 店の客たちが匂いにつられて振り返る。

「おい、なんだこの匂い……」「腹減るな。」


 女将はスプーンを置き、満足そうに頷いた。

「いい腕してるじゃないか。

 皿洗いと仕込みを手伝うなら、部屋と飯付きで泊めてやるよ。」


「本当ですか!?」

「うん。それに――」


 女将は少し声を落とし、照れくさそうに言った。

「できれば、もう少しの間ここで料理を手伝ってくれないかい?

 あんたの料理、客にも評判になるよ。」


 レンは驚き、少し戸惑ったように笑う。

「……僕なんかでいいんですか?」

「いいに決まってるさ。働き者で、腕も確かだもの。」


 そう言って女将は、棚の奥から一本の包丁を取り出した。

 さっきよりも刃渡りが短く、よく手入れされた一本だ。


「これ、うちで一番扱いやすい子だよ。

 しばらくあんたに貸してやる。大事に使いな。」


「ありがとうございます。料理に使わせてもらいます。」

「そうしておくれ。料理は命を支える武器だからね。」



◆昼前──ギルドにて


 昼前、レンは宿を出て再び冒険者ギルドへ向かった。

 依頼掲示板の前には、活気あふれる冒険者たちの姿。


 そんな中で、昨日模擬戦で見かけた三人組がいた。

 一人は陽気な火魔法使いの青年――カイ。

 一人は短剣を扱う冷静な少女――ミナ。

 そして岩のような体格の防御役――ゴルド。


「お、昨日の!」

 カイが笑顔で手を振る。

「見覚えあると思ったら、あんた昨日の剣の子だろ?

 動き、悪くなかったじゃん。」


「ありがとう。でも、まだまだです。」


「俺たち、今日からパーティ組もうと思ってさ。

 前衛、魔法、盾まではいるけど、もう一人欲しくてな。」


「俺か?」


「そう。落ち着いてるし、根性もありそうだ。」


 ミナが口を開く。

「でもスキルは不明、でしょ? 鑑定はまだ?」

「うん、金がなくてね。」


 ゴルドが腕を組み、うなずいた。

「なら稼げばいい。Eランクなら採取依頼が安全だ。」


 カイが掲示板を指差す。

「“西の森で薬草採取”ってのがある。報酬は銀貨12枚。

 一見地味だけど、4人で行けば1人3枚。宿代と食費を引いてもギリ黒字だ。」


ミナが呆れたように笑う。

「また計算してる……昔から変わらないわね。」


カイは肩をすくめた。

「まあでも、命あっての物種だろ?

冒険者なんて、無理して死んだら元も子もない。

人数は少ないより多い方がいいに決まってる。」


ゴルドがうなずく。

「……それは正しいな。慎重すぎるくらいがちょうどいい。」


「だろ? 俺はちゃんと計算して“生き残る冒険者”を目指してんだ。」

カイは笑いながら親指を立てた。

「ま、ついでにちょっとだけ儲かれば最高だけどな!」


ミナがため息をつきながら笑う。

「調子いいのか真面目なのか、ほんと分かんないんだから。」


レンはそのやり取りを見て、自然と笑みをこぼした。

「……いいパーティだね。」


カイが振り返り、軽く顎を上げた。

「だろ? じゃあ――今から向かうが、それで構わないか?」


「もちろん。」レンは力強くうなずいた。

「準備はできてる。」


カイがにやりと笑う。

「よし、決まりだ! 昼飯は森で食おうぜ!」



 こうして、レンの初めての冒険が始まった。

 まだ自分のスキルの意味も知らないまま、

 少年は新しい仲間たちと一歩を踏み出す。

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― 新着の感想 ―
主人公のレンの前向きな性格が良いですね。 スキルが気になるところだけど、 自前の料理の腕でとりあえず寝床を確保。 父が言うように料理も立派な武器ですね。 面白かったので、ブクマさせていただきました。
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